第102話 スカイプール
「うっひゃあ〜!?すっごいなこれ!」
空中に浮かぶのは、巨大な水球。
直径二十メートルはありそうなそれに、十数人が泳ぎ回っている。
「星間定期便、『ドッグウッド』の名物、スカイプール。強力な重力調整器を大量に使用することで、空中で泳げるようにしたらしい。それはいいんだが……」
イチトは横を見る。
ニコラとトレハがいる。
「なあ、お前ら昨日のことを覚えているか?」
「なんのことだかな〜」
「いや、その、本当にすまん」
昨日、調子に乗って料理を持ってきすぎたトレハとニコラは、部屋から出ないことを条件にイチトに残り物を食わせた。
だが今、二人は部屋の外にあるこのスカイプールにいる。
「昨日の夜、大浴場に行くのは許可した。今朝、朝食を食いに行ったのもまあいい。だがこれは間違いなく約束と違うだろ」
「そうだね。ごめん、破るわ」
「二度とお前を信用しない」
「いや、もう、約束を破ったのは本当に申し訳ないんだけど、結構金払ってるしどうせなら楽しみたくて……」
「お前、態度が謙ってるからって何言っても良いわけじゃないからな?」
そもそも、二人の格好がふざけている。
食事の最中にトイレに行ったかと思ったら、何故か帰って来た時には水着になっていたのだ。
「さあて、そんじゃ泳いじゃいますか!」
「よっしゃ来た!ってか水着、なんかある意味似合ってるな」
「いや、ある意味って何よ。失敬な」
ぐぐっと伸びをするニコラは、ピンク色のワンピース型水着に、多くのフリルがあしらわれた可愛らしいものだ。
後で売店で確認すれば、おそらく一番値段が安いということがわかるだろう。
髪も気分を変えたかったのか、左右で結んでツインテールにしている。
体型も相まって、正直に言って小学生にしか見えない。
だからトレハ言った、ある意味似合っているという評価が一番的を射ている気がした。
性格はともかく顔は整っているので、写真や動画にして好事家に売りつければ、一瞬で旅費は回収できそうだ。
トレハはだぼっとした半ズボンのようなタイプの水着を買ったらしい。
勿論柄は大好きな迷彩柄だ。ついでに言えばゴーグルの紐まで迷彩模様。普段制服では身につけられていない分、思う存分身につけたらしい。
「あ、そうだ。水着だよ、何かコメントないわけ?」
「ガキにはお似合いだ」
「殺すぞっ!」
「ってかイチトは着ないのか?」
「俺は良い。荷物番してやるから行け」
「いいのか?ニコラが暴走した時どうするんだ」
「お前が止めろ」
イチトは気苦労で疲れ切っていたので、プールサイドに寝転がった。
流石のニコラも、その目がいつも以上に死んでいるのを見ると罪悪感が湧いてくる。
そして何をすれば機嫌が良くなるかと考えた結果、出た結論は酷いものだった。
「イチト、泳ぐ訓練しないの?」
「何?」
「いやほら、水中で戦……動かなきゃいけないこともあるんじゃないかなーって」
「……ありえなくはないな。お前ら、絶対に大人しくしてろよ」
イチトはそう言い残すと売店へと向かい、五分後、競泳水着のようなピッチリしたタイプの水着を着て戻った。色は黒で、青いラインが縦に入っている。
「おー」
「まあイチトならそういうやつだよな」
「別にコメントは求めてない。それより、絶対に問題を起こすなよ」
「かーちゃんか」
「俺の本物のかーちゃんは行方不明だけどな」
「笑っていいの、それ?」
あまりにもブラックなジョークに空気が少し沈む。
そもそも宙域の隊員は家族に問題を抱えている割合が非常に高い。家族例えるようなセリフを吐けば気まずくなるのは火を見るよりも明らかだ。
ともかく、イチトは近くの大きなタブレットに丸を描く。するとその直後、近くの壁にあった穴から水球が飛び出た。
「「おおっ!?」」
「満足したら言え」
「いやいや!今の何々何なるぞ!」
「俺もやりたい!なあ!何だよそれ!」
再び子供が二人、イチトに纏わりつく。
場は明るくなったが、それはそれで鬱陶しいものだった。
「自分用プールだ。俺は全力で泳ぐから別に出さないと迷惑がかかるだろ。お前らも隔離プール作って遊んどけ」
「おお、出来た出て来た!トレハ、行け!」
「おうっ!」
トレハは水の噴出口に走り込み、出来上がった水の玉に飛び込んだ。
水はぐにゅぐにゅと形を変えつつ空中へと上がっていく。
だがサイズが小さいせいで、下半身だけが水で包まれた妙な姿になっている。
「もっと水くれよ!」
「おっしゃ、作って投げ、あ、つかめない!水は水だね」
「……まあ、人に迷惑をかけるなよ」
バカをやってはいるが、楽しく燥いで遊ぶタイプの施設であるため周囲の注目は集まっていない。
放っておいてイチトは作った水の玉に飛び込み、まずは速さを重視して泳ぐ。
そう大きな球ではないが、泳ぐ練習をするだけなら十分だ。
小さな球体の表面を、出来る限り泳いで空中に円を描く。
「なんか丸いもんの表面回ってるとハムスターの回し車みたいだねえ」
「俺も昔飼ってたな、ハムスター」
「そうなんだ。生体?」
「いや、機械ハムスター。生は毎日餌やんないといけないし、掃除もいるしで面倒だろ?それに生だと回し車が遅くて面白くない」
ほら、と言ってトレハが取り出したタブレットでは、本物と見紛うクオリティのハムスターが歯医者のような音がするまで車を回している。
「うっひゃあ、エグっ!これ指削れるんじゃない?」
「試しに駄菓子を近づけたら一瞬で削れた上に車がスッ飛んでさ、家中走り回ってメチャクチャになった」
「んふふっ……めっちゃいいなそれ。今度やってみよ
二十分後、疲れ果てて戻って来たイチトが見たのは、下半身を水に囚われたまま動画サイトを見る二人の姿だった。
「……いや、まあ、大人しくしてるなら良いけど、泳がねえのかよ」
「んー、冷静に考えたら私ってそんな泳ぐタイプじゃなかった。でも勿体ないしデカい水の中行くかなあ」
「あっ、俺も。真ん中まで行って終わりにしようぜ」
「そうか。くれぐれも他に迷惑をかけるなよ」
どこまでがプールなのかは曖昧だが、おそらくプールサイドであろう所に座っていると、タブレットにテキストメッセージが届く。
『楽しんでる?』
『あいつらはな』
相手は当然ヴィーシだった。
宙域の裏方もイチト達同様に一週間の休みを与えられているが、部屋から出られないため暇を持て余しているらしい。
何をしただとかの説明も面倒だったので、適当に水中に潜った二人の写真を撮って送る。
『やる気のない写真』
『そりゃそうだろ』
『もっと凝って撮りなおし。ほら、こんな風に』
すると画面に、水砂浜と南国風の木、そしてエメラルドグリーンの海が映った。思わず見とれてしまいそうなど美しい。
だが一般的な男の目がそちらに向くことはないだろう。
その中心には、景色などよりも目を引き付ける、人並み外れたサイズの胸と惑星トップクラスに美しい顔を併せ持つ少女が、黒いビキニを纏って笑っていた。
『写真上手いな』
だがイチトはこの宇宙でもトップを争うぐらいに、一般から外れていた。
被写体よりもピント合わせ方とか、そういう技術的な所にしか感想を抱かない。
『それ、水着の女の子の写真にかける言葉?』
『俺の中では』
『……そう。ああ、それとついでなんだけど、レイにも構ってあげなさいよ。置いてかれて凹んでたから』
凹むも何も、当然のことだ。
惑星間移動は、当然厳重な管理のもと行われている。
そのため戸籍を持たず、その上背が異常なまでに高いせいで目立ちまくる違法物体を木星まで持ち運ぶことは絶対にない。
自分の代わりに連れて行ってほしいと言われた目玉型のデバイスも、余りに気味が悪いので置いてきてしまった。
『考えとく』
決してやるとは口にせず、タブレットを構えてもう一度写真を撮る。
今度はニコラが水中から飛び出、その水飛沫を散らす姿が綺麗に映った。
だがイチトは、ヴィーシはニコラを嫌っているので、この写真を送ってもケチをつけられるだけだと思い出した。
しかし既に二人は満足したのか上がる準備をしており、今更写真を撮ろうとも思えない状況になってしまった。
「……トレハ、何かきれいに撮れてる写真ねえか?」
「……?よくわかんねえけど、動画なら」
その日、ヴィーシは非常によく撮れた、機械ハムスターが回し車を高速回転させる動画を前に、何が起きたのか頭を抱える羽目になったという。
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