第98話 いつもの病室
いつもの天井、いつもの病室。
唯一異なるとすれば、そこに寝ている人間。
「……なんか、隣にいるのがトレハなの慣れねえ」
「病室に慣れるのが異常なんだよ」
イチトの隣のベットに寝ているのは、トレハ。
今回、ニコラは殆ど怪我を負わなかったため、そもそも病室に入らなかった。
「まあ、私も変な気分だね。戦ったのに自室で寝てる」
「いつの間に来たんだ、お前」
「ニンジャァだからね。気配と残高消すのはお手の物。ほれ、見舞い」
ニコラはフルーツ籠を二人の間に置いた。
「お、ありがたい」
「お前が他人に物を……?」
「流石に上半身の骨半分粉砕してまで守られたら礼の一つぐらいするよ。ってか、借金返済のめどたったから節約いらねーなり」
「任務前、もう次の借金作ってた気がするが。まあ、ありがたく貰っとくよ」
イチトはベッド下からミキサーを取り出すと、適当に果物を入れて混ぜる。
外部から衝撃を加えられ過ぎて、一次的に固形物が食べられなくなったのだ。
全員の分をコップに注ぎ、口に含む。不足気味のビタミンが補われる感覚がした。
「借金つってもいらないもの買ったわけじゃないからね。ブラジャー買ってなかったら、戦場で半裸だよ」
「逆に今までは持ってなかったのかよ!?」
「うん。あ、あと手錠貸したげる。これ、飲み物につけとくと便利なんだよ。喉乾いたらシューッて」
「戦場でもっと活躍の場があっただろ、多分」
詳しくは聞いていないが、ニコラも一人『星群』持ち犯罪者を倒した、とレイが言っていた。
『星群』が使えない以上、その手錠が戦闘に大いに貢献したのは想像に難くない。
だがニコラの説明では、二束三文の便利グッズを買ったようにしか聞こえない。雛型を作ったアルバーに申し訳ないと思わないのか。
「ま、ともかく良かったね。戻るんでしょ、それ」
「ああ。エイルにはマジで怒られたけどな」
「それはそうだろ。あ、俺からもありがとな。あんとき、レイこっちに寄越してくれたろ?」
「見捨てるのも気分悪いからな。それより、ネイピアからなんか聞いてるか」
ニコラは両手の親指を突き立てると、タブレットを取り出して映像を再生した。
そこには黒の軍服のような格好に身を包んだ、ネイピアの姿があった。
『クロイ、トレハ、先ずは任務ご苦労だった。そして貴様らは今回、それぞれが指名手配された芸術系犯罪者を、イチトはそれに加えてトゥルブリムを倒した。よって、昇給だ』
トレハは拳を握って喜んだが、イチトは全く反応しない。
彼が望むのは口座の数字が増えることなどではなく、両親を殺した仇についての情報を得ることなのだから。
『それと、情報だな。とりあえず事件前後のクロイ家の周囲、半径二十メートルの監視カメラ映像の閲覧ができるようにした。個人情報が含まれているから、宙域のPCでのみ閲覧できる。決して持ち出すな。以上だ』
画面が暗くなる。
瞬間、イチトは左手だけでなんとか立ち上がろうとする。
「あ、ちなみに閲覧できるのは一週間後からね」
「そんなこと、言ってなかっただろうが」
「うん。でも見れたらキミが休むわけないし、止めた」
「余計なことを」
イチトは不貞腐れてジュースを飲み干し、ベッドに倒れ込んだ。
だがそれだけでもギプスで包まれた体が痛む。まるで、ニコラの言い分を認めるかのように。
見るのは今でなくてもいいのはわかっているし、休むべきだというのも分かっている。
だがイチトの中の復讐心は、理屈ではそう簡単に止まってくれない。
「……トレハ、タブレット貸してくれ。液の補充してないんだ」
「そうか。ちなみにヴィーシには、今協力しないように連絡しておいたぜ。『死にかけたんだから、暫く寝ておきなさい』だとよ」
「……」
「タブレット液は多分そろそろ……きたね」
扉が開き、異様なまでに大きい女、正確には女性を象ったロボットが姿を表した。
レイの手にはイチトが取り寄せた最新型のタブレット液。
「マスター、指示されていた品です」
「ご苦労」
「あれ、その色、高いやつじゃね?」
「最新のフラグシップモデルだ。三十万」
イチトは頷くと、パッケージを開けてタブレットケースに注ぐ。
とく、とくと液面が揺らぐ度、一万円が入っていく。
そんな状況に、まだ貧乏性が抜けないニコラは顔を真っ青にして、雑に注がれる液状の大金を眺めていた。
「が、がさつぅー!こぼしたらどうすんのさ!」
「こぼさねえよ」
「にしても、随分奮発したな」
「あ?フラグシップ以外だと反応悪いだろ」
「金銭感覚が違うって感じか……」
イチトが金に困ったのは、宙域に入った時だけだ。
それ故節約するという意識が薄く、必要な物を買うのには一切出費をためらわない。
その感覚が金の為に宙域に入ったニコラとトレハには、理解できなかった。
「ニコラはともかくトレハは金貯まったんじゃねえのか?」
「いや、非戦闘員は給料安いからそんなに……今回のでやっと纏まった金入った」
「そんなに差があるんですか?」
「戦う側の士気にも関わるからな。数倍は違う」
「死の危険に晒されるのだから、そうでしょうね」
レイはふむ、と唸ると、ミキサーとコップ、それから空になったタブレット液ケースを手に取り、洗ってきますと言い残してその場を去った。
腕がない今は、雑用を代わってくれるロボットがいることは、心の底から有難かった。
「使い方を間違えなければ、便利なもんだ」
「だよね。私にも一台頂戴」
「メンテナンスは面倒だし、結構電気代かかるぞ。借金持ちには無理だ」
「誤差誤差。すぐ返し終わるよ」
「それで、結局聞いてなかったと思うんだが、返し終わったら辞めるのか?」
トレハは何の気なしに、ポロッと呟いた。
だがニコラは目を見開き、そして閉じ、落ち着きなく病室を歩き回って考えを巡らせる。
「わからん!」
その末に出た結論は、元気な逃避だった。
「計画性皆無か」
「もう少し頭を使ったらどうだ」
「罵倒連打するのやめてくださる?」
「嫌ならハッキリしろ。お前はなんとなくで命をかけるのか」
切り捨てるような言葉に、ニコラは反駁できず、頭を掻き回した。
だが何も言うべきことを思いつかなかったようで、何事もなかったかのように病室の扉に手をかける。
「おい」
「わかんないんだよ、どうしたらいいか」
イチトは相棒として、その煮え切らない態度を非難するつもりだった。
だが、情けない声で答えたニコラに、その気も失せてしまった。
先ほどのは、元気ではなく空元気。
一か月の猶予も、任務の危険も、全てニコラに決断させるには至らなかったのだ。
死と隣り合わせの宙域で稼ぐのか、それとも普通の社会に戻り、真っ当に働いてそれなりの生活を送るのか。
普通に考えれば後者なのだろうが、ニコラは既に何度も生き延び、それによって大金を得ている。
もう少し、もう少しだけ働いてから、なんて思いが芽生えるのも仕方のないことだ。
「前にも言ったかもしれないが、辞めるなら俺に教えろ。辞めること自体は構わないが、準備はしておきたい」
「…………」
ニコラはそっと、部屋を出ていく。何も言わずに、何も言えずに。
遠ざかった後、トレハは覚悟を決めたように口を開いた。
「……なあ、イチト」
「なんだ」
「ニコラは、どうして悩んでるんだろうな」
「……金が欲しいからじゃないか」
「本当に、そうなのか?」
真剣な瞳。トレハは本気で、それ以外に理由があると思っていたようだ。
だが全くその心当たりがない。だから、何も答えることができない。
「お前に、引き止めて欲しいんじゃないのか?」
「戦わせろってのか、もう戦う理由がない奴を」
「相棒の為も、理由だろ」
「……俺は、そうは思えねえよ」
イチトはレイの手を借りて起き上がると、ゆっくりと歩いて部屋から出ていった。
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