電気……消してください

 電気を落とし、部屋は豆電球だけになった。


「じゃあ……」


「兄、電気……ぜんぶ消してください」


 李津のベッドからもぞりと莉子が顔を出す。隣に寝転んだ李津に寄り添い、暗がりの中で頬を赤らめていた。


「いいのか? 電気を切ったら真っ暗になるけど」


「そんなに見たいんですか? ……兄のえっち」


「……」


 にこにこ。


「お・ま・え・さ〜〜〜〜〜! わざと言ってんな? ああ゛? イエローカード1枚。2枚で退場な!!」


「えー、ケチ! 兄の被害妄想ー! 困ったら大声って、だせーと思いまーす。もっとヨユー持ったらどーですか? 童貞がバレますよ?」


「っ!!!!」(なにも言えない顔)


「はい論破。電気代がもったいないので電気は切ってくださいねー」


 そう言って、莉子はまた布団に深く潜り込んだ。


 ピッ。と軽いリモコンの音がしたあと、部屋には今度こそ暗闇が広がった。


 本日、以前二人が交わした約束「お兄ちゃんサービス」が施行されていた。


 打診なく「今日は一緒に寝ることにしました」といきなり来たものだから、李津も心の準備ができていない。


 自分のベッドがいつもよりほんのり暖かいし、いつもみたいに身動きができない。妹に背中を向けるように壁を見つめているが「なにこの状況!?」と混乱していた。


「いっ!!」


 そんな彼、急に叫んだ。何事かといえば、足に冷たいものを押し付けられたからである。


「兄、うるさい。妹は冷え性なので、我慢してください」


 押し付けた主が、李津の背中に額をくっつける。


「うー、あったけぇ。うりうり」


「つ、つむぎにもこんな虐待してるのかよ?」


「虐待ってひどいですなぁ。あいつは抱き枕ですよ」


「……」


 (……つむぎ、今日はゆっくり眠ってくれよな)


 素直に同情する李津だった。



 さてしかし、こんなにくっつかれるのは聞いていない。李津は体をカチコチにして固まっている。こんなに構われて寝られる自信なんてない。


 そんな兄の心妹知らずで、莉子の足が李津の足へと大胆に絡みつく。かにばさみでスリスリとされて、二度目の叫び声が出た。


「うおい! お、おまええ!! はいイエローカード、退場ー、出てけーっ!」


 莉子に背中を向けた体制で、李津は足をゲシゲシと軽く蹴る。


「やん。あたしも気を使って生足じゃないんですから、それくらい譲ってくださいよー。というか兄、あたし背中向けられると寝られないんですけど?」


 こっちは別の意味で眠れないんだけど、と文句を言いたいがぐっと飲み込んだ。


 これも兄の務めなのか。と憂いている彼だが、兄妹の同衾どうきんは世間一般的にポピュラーではないことをツッコむ人がいないため、天然の彼はこの間違いに気づいていないのである。


「せめてあおむけ! ね? おーねーがーいー!」


「あーうるさい、眠れねーっ!」


 妹が背中を揺さぶるため、李津は折れて仰向けに寝転んだ。その分、莉子と距離が近くなった気がしたが、暗闇に紛れてなんとか平常心を――。


(やっぱ無理だって!!)


 全然保てなかった。


 いつもより強い石鹸のにおいと女子の気配がしすぎて心臓がおかしくなりそうだった。足も引き続きコスコスされて、召されかけている。


「おっまえさあ。前に住んでた施設とこでは、寝るときどうしてたんだよ」


「寝る相手には困りませんよ、人、いっぱいいますし」


「えっ……」


「ちょっと、なに想像してドン引きしてるんですか? そういう意味じゃないです。子どもっちがたくさんいるので、ひとりで眠れない子と一緒に寝てたんですよ」


 李津はつい安堵のため息を漏らした。よかった、ビッチな妹はいなかったんだ。


 しかしこの妹、どうしてこんなにも落ち着いているのだろうか。兄妹だから? 自分が意識しすぎなのか? であれば、後ほど一人で反省会をしなければならない。


「でも、自分よりでけー人っていいですね。安心感があります」


 そう言われてからふと、李津は気づく。


「そういえば部屋暗くて、本当に大丈夫か?」


「うん。暗所は別に。眠る瞬間がいちばん苦手なんですよ。このまま死んじゃうんじゃないかって、落ちていく感覚が苦手で」


 莉子は吐息混じりで一気につぶやくと。


「怖いんです。眠るまで、そばにいてください」


 小さく本心をこぼしたのだった。


 そろそろ暗闇に目が慣れ、薄ぼんやりと浮かんできた天井を李津は見つめた。


 トラウマ――。


 親が亡くなり、兄とも生き別れてしまった妹は当時3歳だった。なにがあったかは理解できていなかったとしても、寂しい気持ちはあっただろう。


 それは李津のせいではない。だけど、胸が痛むのは理屈ではなかった。


 再び李津は体勢を変えた。頭を支えるように肘をつき、莉子の方へと体を向ける。


「あ、兄? き、きゅうにこっち向かないでくださいよ、びっくりします」


 今まで平気ぶっていた莉子が、初めて戸惑う様子を見せた。これに李津はニヤリである。


「なんだよ。ははーん。さては恥ずかしいのか?」


「だ、誰がぁ? 兄なんて妹にバチバチに緊張してるくせに!!」


「あばれるな!」


 パンチを繰り出す莉子の腕をつかんで阻止したとき、顔が近づいた二人は互いに視線をそらした。


「……ちょっと顔伏せとけば?」


「……し、仕方ないですねっ!」


 なんともやれやれ、素直ではない似たもの兄妹である。


 莉子は背中を丸めて、そっと兄の胸に顔を埋めた。見られていないことをいいことに、めちゃくちゃ破顔している。もちろん、気づかれないようにクンクンスーハーも堪能中。このまま抱きついてしまいたいとムズムズしていた。


 そんな彼女の背中に、李津は腕を回した。


 ぽん。ぽん。


 ゆったりとしたリズムで、莉子の背中を叩く。


 ぽん。ぽん。


 母親の心音を聞いているような心地よさに、莉子の体はゆっくりと弛緩していく。


 ぽん。ぽん。


「……すごくうっすらとした記憶なんだけど。俺が眠れなかったとき、こうやって背中を叩いてくれていた人がいたんだよ」


 独り言のように、ぽつぽつと李津は語っていく。


「ジョディ……ああ、養母な。彼女じゃない大人の女性……あれは、今思えば母さんだったんだと思う」


 ぽん。ぽん。


「お母、さん……?」


 莉子の頭が、李津の胸に深く沈む。じんわりと、お互いに体温を交換する。


「なんかいいですね。お母さんのこと、もっと聞きたいです」


「子守唄を歌ってくれてた。歌おうか?」


「JASRACに触れなければ」


「たしか、スキマスイッチだった」


「やめときましょう」


 ふふと笑って、莉子はまぶたを閉じた。


 李津に触れている背中と足元。それから胸元の温もりに全てを委ねて。


「娘って、年頃になるとお父さんの匂いが嫌いになるそうです。それは近親相姦を避けるために仕方ないことらしいんですけど……兄はいい匂いがしますね」


「お、おう」


「……それって、兄妹だからそうなのか、それともあたしがまだ年頃じゃないのか……そもそも本当の兄妹じゃ、ないのか……」


 暖かな吐息が、李津の胸元にかかる。


「……兄は……どっちがいいですか……?」


「……」


 尋ねられた質問を返すことはできなかった。


 莉子に血がつながっていてほしいのか、他人でいてほしいのか。


 そんなこと、今まで考えたことはない。


 うとうとしはじめたらしく、莉子の言葉がおぼろげになっていく。


「…………むぎ……がっこう、まずいかも……」


「ん? 莉子?」


「ん。……いいうわさを、きかなくて……。あに、おねがい……むぎ……まもっ……て…………」


 呼吸が小さな寝息に変わった。天使のように無垢な寝顔を見て、やっと李津も肩の力が抜ける。そして改めて、彼女の話に眉をひそめた。


「つむぎを守れって。……俺が?」


 また面倒な話を持ち込んでくれたな、この妹は。


 莉子の体に掛け布団をかけ直すと、深いため息をついて頭を枕の上に預けるのだった。






 

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