第23話 諍い―常闇の魔女―


「だいたい事の発端は、危険と知りながら皆の制止を無視してエリーナ様が騎士団の魔獣討伐を見たいとおもむいたからではありませんか」

「ちっ!」



 忌々しそうに舌打ちした伯爵がガラックさんに視線を向けましたが、そのガラックさんは首を横に振りました。



「ヴェロムの胆薬は全てエリーナ様に使います。余分はございません」

「そうか……聞いての通りだ。お前の娘の分まで治療薬はない」

「そんな!?」



 無下に切り捨てられたソアラと呼ばれた麻色の髪の中年の女性は、絶望のため真っ青になりました。



「旦那様、お願いですからメリルをお見捨てにならないでください!」



 ソアラさんの必死な剣幕に気圧けおされ、伯爵はしどろもどろになっています。


 伯爵にも引け目があったのでしょう、ふいっと逸らした目がちょうど私の姿を捉えました。



「ならばこの小娘に治療させよう」



 さすがに命を懸けた者への態度として気が咎めたのでしょうが、ご自分が全く信用していない者に任せようとするのは如何なものなのでしょうか?



「この小娘は薬師くすしを自称しておる」

「森の魔女……」



 ソアラさんは私を見て一瞬顔を顰めて、助けを求めるように伯爵を仰ぎ見ました。ですが、伯爵はそっぽを向いてしまわれています。



「あの……伯爵は私の治療法に懐疑的だったのではありませんか?」



 私の医療の良し悪しは別にして、ご自分が否定された者を他者へ薦めるのは如何なものでしょうか?



「先ほどは大言を吐いたのだ。できぬとは言わせぬ!」



 私の差し出口を伯爵は怒鳴って退けました。


 私はそれほど大それた事は口にしてはいないのですが、どうやら伯爵にとって私の言動がお気に障ったご様子です。



「この魔女が嫌なら街へ行って自分で薬師なり医師なり見繕って連れてくるのだな」

「そんな!」



 まあ、私としては魔狗まく毒の治療は医師に任せるべきだと思っておりますので、それでも構いません。


 ですが、ソアラさんは何故か絶望的な表情になりましたが。



「解毒薬はエリーナに使う分しかないのだから仕方があるまい」

「で、ですが……この者は……」



 ソアラさんは私をチラチラと見ながら言い淀みましたが、その顔ははっきりと私を拒絶していました。


 この方もご自分の娘の命が懸かっているというのに。人の刷り込まれた悪感情は容易には払拭できないものなのですね。


 さて、どうしたものでしょうか?


 伯爵はソアラさんの娘を私に押し付けたがっていますが、当のソアラさんは私に娘を任せたくはなさそうです。


 どうにも話し合いに埒が明きそうにもありませんが、だからと言ってこのまま帰るのもはばかれます。



「トーナ殿にせっかくご足労頂いたのですが、どうやら無駄骨を折らせてしまったようです」

「ハル様!?」



 どうしたものか思案していた私の耳元にハル様が囁くように声を掛けてきました。


 驚き振り向いてみれば、ハル様はいつの間にか私の背後にぴたりと立っていたのです。


 びっくりして心臓が飛び出るかと思いました。



「あっ、ぅぁ……ハ、ハルさ…ま……ち、ちかい……」



 私の発する声は言葉になりません。


 それも仕方ないのです。ハル様の端正な顔貌が本当に間近に迫っていたのですから。


 頭に血が激流の様に流れ、かあっと頬が火照っていますから、きっと顔はりんごの様に真っ赤になっている筈です。


 は、恥ずかしい……



「お詫びにもなりませんが俺が家までお送りいたします」

「あ、あの……」



 バロッソ伯爵とソアラさんが言い争いを続けていましたが、その内容はもう私の耳には届きません。


 今の私の頭の中は目の前のハル様でいっぱいなのです。


 ハル様はきっと身動きの取れない私を慮り、ご自身が私を連れ出す体裁を取ってくださったのでしょう。


 でも……だからと言って……恋人でもない女性に殆ど密着するかと思えるくらい接近するのは……


 もう、顔が熱いだけでは済みません。


 心臓がバクバクとうるさく鼓動し、お傍のハル様にもきっと聞こえていないでしょうか。


 嫌な手汗をかき、身体が緊張で強張っています。



「そ、それでは……わ、私はこれにてお暇させていただきます!」



 居た堪れなくなった私は、慌てて暇乞いをするとソアラさんはほっとした表情になりました。



 おそらく私以外の治癒師を呼べると考えたのでしょう。

 ですが、この件に私が関与できる事は何もありません。



 だから私はハル様と共に部屋を後にしたのでした……

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