第21話 魔女の諦念―常闇の魔女―

 

「ふん! こんな小娘に何が出来る」

「ヴェロムの胆嚢にケチを付けたんだ。貴様はさぞかし立派な薬を持っているんだろうな?」



 ガラックさんは鼻を鳴らし、グェンさんが息巻いてきます。


 何度も説明をしているのに、どうすれば理解してくれるのでしょう。



「先程から申し上げていますが、魔狗まく毒に解毒薬はありません。すべき治療は対症療法と毒の排泄を促すだけです」

「薬を使わない治療などあり得ない!」



 解毒薬が無いだけで、誰も投薬しないとは言っていないのですが……

 それに薬は医療にとって重要ですが、必ずしもそれが全てではありません。



「薬はちゃんと使用します……」



 お祖母ばあ様より譲り受けた使い古しの鞄を開け、中から幾つかの薬を取り出しました。



「何だこれは!?」



 私が机の上に並べたそれらを見て、バロッソ伯爵は絶句しました。



「この真っ黒な粉はなんだ?」

「それは薬用炭と呼ばれる炭を粉にしたものです」

「炭だと!?」



 薬用炭は毒と結びつき糞便として排泄を促進してくれるのです。



「これを服用すると魔狗毒が糞便中に排出され……」

「はっ! 薬用炭などまやかしであろう」

「まったく、そんな根拠も無いものを持ち出すとはな」



 私の説明をグウェンさんが遮り、ガラックさんが馬鹿にしてきました。

 利胆薬による中毒の治療の方がよっぽど根拠が無いのですが?



「こっちの白い粉は普通に薬のようだが」



 説明の途中でしたが、ガラックさん達に腰を折られたせいで、伯爵は最後まで聞こうとはせず別の薬剤に興味が移ってしまいました。



「そちらはセロミドから抽出した薬で、尿中から毒素を排泄する……」

「ただの利尿剤ではないか!」



 その後も血圧、脈拍、鎮痛、解熱など他の薬剤を提示して説明しようとしました。


 ですが、一事が万事こんな感じで、解説をしようとしてもグェンさんやガラックさんの横槍が入るのです。


 伯爵もガラックさん達を止めるでもなく、あまり私の説明を真剣に聞いてはくれません。



「だいたい傷の洗浄に塩水を使用するなど正気とは思えん!」

「塩水ではなく生理食塩水です」



 生理食塩水の主成分は確かに塩ですが、ある濃度では人体に刺激が少なく傷口を洗うのに適しているのです。



「同じだろう」

「生理食塩水は医師の間ではもう常識です。どなたか医師に確認をしていただければ分かります」



 他国では更に技術が進んでいて、直接これを体内に補液して脱水を治療している治療例もあります。


 ファマスは医と薬の街として有名で、我が国では医療の最先端なのは間違いありません。


 ですが、近年どうにも薬学に偏重されており、それが医療技術の進歩を妨げているようです。



「もうよい!」



 ついにバロッソ伯爵は、怒気をはらんだ声を上げて治療についての私の説明を遮りました。



「真面目にやるつもりがないのなら出て行け!」



 私はいたって真剣に説明をしているのですが、伯爵に私の言葉は届いていないのですね。



「私が提示したこの治療法は別に特殊ではありません。どなたか医師を招聘されてお尋ねになられたらお分かりいただけます」

「弁明はいい!」



 バロッソ伯爵は声を荒げて出て行けと扉を指し示し、それ以上は話すつもりはないとばかりにそっぽを向いてしまわれました。


 声を掛けたくとも伯爵は私に顔を向けようともしません。


 その様子にガラックさんとグェンさんが勝ち誇った顔を、オーロソ司祭は相変わらず穢れたものでも見るような顔を私に向けていました。


 伯爵を始め誰も私の言葉に耳を傾けようとはしません。


 どれほど私が言葉を重ねても、感情が理性の目と耳を塞ぎ、真実を見極める為の思考を止めてしまう。


 人とはかくも愚かな生き物なのか。


 この街で私は魔女と謂れのない中傷を受けています。

 やはり伯爵も同じ感情を私に抱いているようでした。


 そして、娘を愛し救いたいと願っている筈なのに、伯爵はその感情を優先して理や利を退けてしまった。


 娘の命が掛かっている非常事態であっても……


 これは予想できた事です。


 だから私は貴族の方と関わり合いになりたくなかったのです。


 救える患者が近くにいて私は手を出せないのは何とも歯痒く、自分の無力さを痛感せざるを得ません。


 悔しさと悲しみと落胆に、自然と私の視線は床へと落ちていました。


 そして、私の口からは諦めの吐息がそんな負の感情とないまぜになって吐き出され、感情を殺せば少しだけ気持ちが楽になりました。



 この方々にとって私は薬師ではなく魔女。

 魔女の言葉はきっと誰の心にも届かない。



 そんな思いに寒々としてしまった私の胸中に、灯火ともしびの様に浮かんだのは森の中の小さな家



 もう帰りましょう……

 お祖母ばあ様との温かい想い出が詰まったあの森の家へ……




 私は伯爵の説得を諦め、薬を片付けようとしました……




――《用語解説》――

【薬用炭】

 現代の急性中毒医療においても使用される活性炭のことです。体内に入ったものは腎臓により尿中に排泄されるか、肝臓でグルクロン酸抱合され胆汁酸として排出されます。

 しかし、グルクロン酸抱合されて排泄された物質は腸管で再吸収(腸肝循環)されてしまいます。薬用炭を服用することで毒素の再吸収を抑えて体内に戻るのを防いでくれます。


【生理食塩水】

 人の体液とほぼ等張に調製された0.9%塩化ナトリウム水溶液です。その為、人体に対する侵害性が低く、傷口の他、目や鼻などの粘膜洗浄にも広く使用されています。

 また、脱水時の補液、注射剤投与の基本輸液などなど医療現場にはなくてはならない輸液です。

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