第22話 彼女がその名を知らない鳥たち【STAGE 中央広場】

 

「今度は街に出てきましたか」

「犬の散歩じゃないのか?」

「だけど最初は1人で屋敷を出ようとしてたよぉ」

「確かに……あの子犬がリードを咥えて連れていけと訴えていたように見えたな」



 彼女は子犬のリードを握りながら街中を散策しているようだった。



 ――爽やかな淡い緑のワンピース、純朴な麦わら帽子。


 先ほどのドレス姿も美しかった――だが……

 今度はなんて愛らしい格好なんだ!



「それにしても彼女って人気者だねぇ」

「うむ! 老若男女問わず、みなに気さくに話しかけられているようだ」

「ふむ、領民への人気取りはできるようですね」


 セルゲイだけが少しカレリン嬢に評価が厳しい。

 彼には先の先の生足の件が衝撃的だったらしい。


 そんな頑ななセルゲイに私は苦笑いを禁じ得ない。


「領民に慕われているのは彼女のが民思いで人柄が優れているからだろう」



 カレリン嬢は広場に着くと子犬のリードを外し、噴水の前で1人佇む。



「むッ! 街中でリードを外すとは言語道断! 犬を愛する同好の士として許せん!」

「いつからマーリスは彼女と同好の士になったのさぁ」


 この2人は放っておこう。


 子犬は嬉しそうに彼女の元から走り去って、広場の若い女性たちの足下で尻尾を振って愛想を振りまいている。


 ふむ……領民たちもあの子犬に慣れているようだ。

 だとすると……


「どうやらカレリン嬢はよくここへ来るようですね」


 セルゲイも同じ結論のようだな。



「いったい彼女はここで何を?」

「まるでどなたかと待ち合わせをしているような」

「待ち合わせ……」



 まさか!

 領民の中に溶け込むようなおめかし。

 広場中央の噴水の前での待ち合わせ。

 佇みながらもどこか嬉しそうな様子。



 こ、これはまさか―――ッ!

 世に言うお忍びデート!!!


 それもきっと身分違いの恋なのだな!

 あの美しい彼女と想いを交わす―――なんと羨まけしからん!



 いやそれはダメだ!

 彼女(の脚)は私のものだ!

 絶対に他のヤローには渡さん!

《まだ貴方はカレリンと婚約していないでしょうに》


 どこのどいつだ!

 あの純真無垢な彼女を誑かした男は!

《ブワァハッハッハ! カレリンが純真! カレリンが無垢! いったいどこのカレリン様なんでしょうか?》


 くそッ! きっと疑うことを知らぬ彼女を甘い言葉で誘惑したに違いない!

 絶対に許さん!

 捕まえてひねり潰してやる!

《イ〜ヒッヒッヒッ!この男もう重症ですね》



 そう心に誓いを立てていた私の耳に翼の羽ばたく音が入ってきた。



 パタパタ――― パタパタ―――

  パタパタ――― パタパタ―――


「鳥?」


 白に青いラインの入った数羽の小鳥たち……

 カレリン嬢の周りに群がる。


「かなり彼女に慣れていますね」



 チチ…… チチチ……

  チチ…… チチチ……



 小鳥たちが彼女の手に、肩にと止まる。

 彼女の優しい眼差しと穏やかな表情。

 小鳥たちも嬉しそうに時折その翼を羽ばたかせながらも彼女から離れようとしない。


 筆舌に尽くし難いほどに荘厳で神秘的なのだろう。

 小鳥たちとも気持ちを通わせる、まるで聖女のような彼女の姿に心が洗われるようだ。

《ギャ〜ハッハッハッ!も、もう笑い死にしそうです》


 ああ! 先ほどまで嫉妬で醜く歪んだ己の心根が恥ずかしい。

《カレリンが何をしてるか知ったら、この男はどんな絶望感を味わうのでしょう?》



《ああ、いけません。私は女神(の分体)だというのに……人の不幸は甘露の味です》



――――――――――



「フェンリル!帰るわよ〜」


 カレリン嬢の呼び声に子犬はすぐに彼女に走り寄ってきた。


「彼女ももうお帰りになられるようですね」

「ああ……」


「悪くない収穫だったねぇ」

「ああ……」


「もう十分だろう。俺たちも王都へ帰ろう」

「ああ……」


 カレリン嬢は申し分の無い女性だ。

 そのことが分かったのだから、ここでの目的は果たした。


 ならば後は帰るのみ。


 だが、王都へ戻らねばならないと思うと胸が苦しい。

 帰らねばならない気持ちを帰りたくない想いが大きく上回る。


 だが私は第2王子。

 王位は兄上が継がれるとしても重い責務がある。


「そうだな、帰ろう……」


 私は後ろ髪引かれる思いを抱きながらも、屋敷への帰途についたカレリン嬢に背を向けた。



 と、その時……



「何をやっているの!」

「「「――――――!!!」」」


 彼女の高すぎず、それでいて透明感のある声が私の耳を打つ。


「なんだ!?」


 私たちは声の方へ振り向いた。


「殿下!あちらを!」

「なんなんだい?巨漢は!?」

「やべぇぜ殿下、すぐに助けに行こう!」


 セルゲイが指し示したのは泣いている小さな幼女を背に庇い、ぼうぼうの髭を生やした人相の悪い大きな男に立ちはだかるカレリン嬢の姿。


 小さなカレリン嬢と対峙するのは彼女の倍はあろうかという大きな男。

 このままでは彼女がこの男に狼藉を働かれるのは火を見るよりも明らか。


 マーリスの提案通りすぐに助けに行かねば!



 だが次の光景を見た私たちは行動に移さなかった。

 いや、正確には動くことができなかったのだ。



 カレリン嬢はその髭の大男の前で毅然とした態度で屹立していた。

 自分よりも遥かに大きい存在に決然と立ち向かう勇気あるその姿。



 なんという胆力の持ち主なのか!

 なんと神々しい少女なのだろう!



 ――その乱れるのない立ち姿から溢れる気品!

 ――その引き締まった表情から放たれる威厳!



 とても12歳の少女とは思えない。


 その場の雰囲気に圧倒されたのか、誰もが固唾を呑んで動向を見守っていた。



 カレリン嬢と巨漢は何か話しているようであったが、やがて彼女の威に打たれたのか男はカレリン嬢に頭を下げるとそのまま去って行った。


 当のカレリン嬢はまるで何事も無かったかのように、小さな女の子の手を引くとそのままどこかへと行ってしまった。


 私たちはただ茫然とその後ろ姿を見送るしかできなかった。


「なんという王者の風格……」

「すっげぇ恰好いい……」

「俺としたことが雰囲気に呑まれちまった……」


 3人とも彼女に圧倒されてしまっていたようだ。

 無理もない。


 王家の私でさえ完全に彼女の威に畏怖してしまったのだから……


 カレリン……

 君はなんて素晴らしい女性なんだ!

 美しく、優しく、気高く、そして……あ、脚が艶めかしくて……んッ、んッ! ごほん、ごほん!



 ――ああ! カレリン!



 君の可憐な姿をずっとこの目の中に入れておきたい。

 君の美しい調べのような声音をずっと聴いていたい。


 もう、私は君の(あしの)事だけしか考えられない。


 どうやら君はとんでもないものを盗んでいった……私の心を。

《いや〜!もう笑いすぎて涙が止まりません》



《こうして勘違いしたガルム王子は王都へ戻るとカレリンを婚約者にしようと積極的に動いた。そしてこの1年後、ゲームの設定通りに彼はめでたくカレリンを婚約者としたのでした》



 カレリン! すぐに君を私の元へ!!!

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