赤緑-3
ボクシングには、階級というものが存在する。ボクシングを知らない人でも、それくらいは耳にする。
階級は主に体重で決められ全部で17階級ある。進藤はその中でミドル級の世界王者に輝いた男だった。
極道になってからは顔も名前も変えているため、ファン自身も彼が元王者だということに気付くことはない。
だがボクシングの構えを取ると、かつての輝きが瞬時に彼を照らす。一度拳を振れば彼の技術は人の目を虜にした。
進藤も、そんな自分の力に誇りを持っていた。
「うぉお!」
拳が唸る。本郷の頬に当たり大きく後ろに仰け反る。
進藤は連打を浴びせる。
10秒ほど打ち続けたところで拳を引く。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、すました顔で仁王立ちする相手を見上げる。
冷ややかな目が見下ろしていた。進藤の額に脂汗が滲む。
「は、ははは」
プロボクサーは私闘を禁止されている。その縛りがなくなれば一般人に後れを取るはずがない。
そう思っていたが、やはり覆せないらしい。
なぜボクシングの階級が17階級も分かれているのか。
なぜ格闘技や武道の試合は体重別で行われるのか。
その理由が骨身に染みるようだった。
大きさと重さは、そのまま強さに直結する。とはいえ技術を磨けば体重差が3倍、4倍あろうと勝てるかもしれない。
だが今相対している本郷は別格だった。その理屈が通用しない相手だった。
「歯を食いしばれ」
本郷が腕を振る。腰の捻りを加えた裏拳。進藤は体を逸らし避ける。
一瞬の隙が生まれる。本郷は巨体を沈め、進藤の腰に腕を回し抱き上げた。
そのまま高く持ち上げ頭から地面に叩き落とす。進藤の体が跳ねる。
倒れる進藤の顔面に拳が叩き込まれる。後頭部を
足掻くように両腕を動かすと丸太のような本郷の足が脇腹に突き刺さった。
ボールのように吹き飛んだ進藤は壁に叩きつけられる。
「立て」
本郷が歩み寄る。
進藤は笑みを浮かべた。喉奥を鳴らし壁に手をつきながら立ち上がる。
「……本当に、強いな」
膝が笑っていた。視界も酷くグラついている。
壁に背をつき体重を預けていると、岩のような拳が飛んできた。咄嗟に顔の前で肘を曲げガードするが、バキッ、という音と共に腕がひん曲がった。
本郷の拳はまだ生きていた。進藤話すすべなく、再び壁に叩きつけられる。
体がズルズルと下がっていき尻餅をつく。
ガードした
「終わりだな」
滝のように鼻血を流す進藤を見下ろす。
「ひとつ聞く。なぜ魔法を使わなかった。俺は魔法が使えん。
本郷の声が嫌にクリアに聞こえた。
「お前もわかっていたんじゃないか? なぜ魔法を使わなかった。ブリューナクだって、使えるんじゃないのか?」
進藤は肩を揺らした。
「これでも、ボクサーなんでね」
折れてない左腕を上げ拳を握る。
「戦いの時は、自分の拳で、相手を叩きのめす。魔法なんか使って、たまるかよ」
「薬を飲んでいる時点で説得力がない。薬物の力に頼ってその体たらくがお前の現実だ。いまさら男らしいことをほざくな。3流ヤクザめ」
進藤が喉奥を鳴らした。頭を垂れると。
「本郷ぉ!!!」
素早く立ち上がりながら左拳を突き上げた。
本郷はそれを掴むと空いた手で拳を握り進藤の顔面に叩き込んだ。鼻骨が減り込み歯が音を立てて割れる。
進藤が口から、血に染まった砕けた歯を吐き出した。
「今のが藍島の分だ」
拳を掴んでいる方の腕が肥大化した。進藤の拳からミシミシと音が鳴り始める。
そして拳が砕けた。進藤が叫び声を上げ、目から涙を流した。
「これが椿の分だ。他の分は取り調べで、みっちり叩き込んでやる」
手を離すと後方から爆音が鳴り響いた。周囲の機動隊が警戒心を強める。
本郷は眉をひそめながらも進藤から目を離さなかった。
爆音の正体は天井が砕けた音だった。煙が晴れると、瓦礫の中に埋もれる巨大な獅子が姿を見せた。うつ伏せになっており金色の鬣は紅に染まり、酷く乱れていた。
「よいしょっ、と」
続いて赤志が降り立つ。重力を感じさせない優雅な着地を決め、本郷に近づく。
「終わったよ。そっちは?」
「今終わった」
進藤がボロ雑巾になったジャギィフェザーを見て頭を振った。
それを見て赤志はゲラゲラと笑った。
「マジ泣きしてんじゃん。あんま弱い者イジメすんなよ」
「すまん。こんなに弱いとは思わなかった」
「まぁいい気味だよ」
「お前の方は? 殺してないよな?」
「半殺しくらいで勘弁してやったわ」
扉が開く音がした。続々と足音が増える。他の場所で待機していた警察官たちが入ってきたのだ。
「とりあえずこのアホ逮捕しようぜ」
「ああ」
腰から手錠を取り出すと、進藤が虚ろな目を動かした。
それが徐々に見開かれていった。
「……進藤?」
明らかな怯えが籠った目を見て本郷は呆れる。
「男だろう。こんな時くらい堂々と────」
言葉を止める。
違う。進藤の視線は、本郷に向けられていない。
「ち、違う……俺は、あんたのために……」
「……おい、どうした?」
「俺はまだやれる……だから────」
2人が眉をひそめた時だった。
「かっ────」
進藤の両眼が破裂した。
大きな黒い穴が空き、そこから噴水のように血が噴き出した。
本郷と赤志は困惑しながらも振り返った。
大量の制服警官、私服刑事と機動隊。それらの先頭にいるのは楠美と武中、そしてジニアだった。
進藤が叫び、のたうち回る。
「な、なっが……なんで、なんでだぁぁああああ!! あぁああああああ!!」
慟哭にも似た悲鳴。
両眼から血の涙を流しながら、進藤は叫び続けた。
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