本郷-7

 平沼橋ひらぬまばし付近にあるスナック店が見えてくる。店のドアには「予約客だけ入店可」と書かれた看板が下げられていた。


 扉を開ける。カウンター奥にいる、黒い花柄のワンピースを着た狸人ラクーナが、本郷に双眸そうぼうを向けた。狸の耳に大きな丸い尻尾に、左右繋がってない黒模様が顔に描かれている。


「縁持さん。こんばんわ」

「ああ」

「うっす。本郷さん」


 カウンター席にいた男がグラスを掲げた。


椿つばき


 椿大翔つばきひろとは会釈した。グレーのスーツにエナメルの靴。ジャケットの胸元に鷹の刺繍。整った顔立ちも相まってホストのような風体だ。

 コートを脱ぎ椿の隣に座る。


「何か飲む?」

「いや。いい」

「仕事中?」

「そんなところだ」

「あなた、寝た方がいいわ。酷い顔してる」


 長い指が本郷の頬を撫でる。胸元にあるネームプレートには、店名と同じ名が刻まれていた。


「ウロングナンバー」

「ん? なに?」

「毎回思うが面白い名前だ。間違ってないか? その読み方」

獣人ヴォルフの名前は普通じゃないから」


 片目を閉じたウロングナンバーは笑みを浮かべた。


「椿も仕事中か」

「そうっすよ。いつも通りクソヤクザの真似っこしながら情報収集ですわ」


 小顔でシュッとした顔立ちの椿はカラカラと笑う。


 彼はSエスとして横浜市の暴力団「三鷹組みたかぐみ」に潜入している捜査官だ。

 主に抗争が起きるかどうかの監視を行っているが、一方で、「シシガミユウキ」を探している。


 彼も本郷の無実を晴らしたいと思っている人物だった。5年以上暴対課で世話になった、先輩である本郷に借りを返すという名目で、危険な捜査を続けている。


 彼は近場の金融会社にいる面倒な客を追い返したあと、ここに寄ったらしい。

 本郷はポケットからカロリーバーを出し封を切る。


「それ、まさか夕飯っすか?」

「そうだが」


 椿は「うわぁ」と心の声を漏らす。


「本郷さん。もっと栄養もカロリーも、心も籠っているもの食わないと」

「作ろうか、私。カツカレー」


 ウロングナンバーが割り込んできた。


「大盛りで、豚バラカツを5枚乗せて、ベーコンとウインナーもいっぱい。それを2人前」

「ああ。魅力的だな」

「それ栄養バランス悪いでしょうが」


 楽し気に笑う彼女に頭を下げる。


「ありがとう、ウロングナンバー」

「え? なに。どうしたの」

「アリバイのことだ。お前が話してくれたおかげで、この半年間、俺はまだ刑事として動けている」

「ちょっとなに? 突然お礼とか。やめてよ」


 小さく手を振った。


「言う必要ないわ。むしろ私が言いたいくらい。人間の役に立てたのなら、獣人冥利に尽きるってものよ」


 そう言って背を向けた。


「いい人ばっかりだなぁ獣人は。美人も多いし。ね、本郷さん」


 本郷は周囲を見回す。


「本郷さん?」

「ん、ああ」

「どうしたんすか?」


 耳を澄ませる。いつも聞こえてくる小さな足音や、拙い英語が聞こえてこない。

 バン、という大きな音と共にドアが開いた。スナックで働く犬人ドッグエスの女性が姿を見せる。顔がシベリアンハスキー、襟から白い体毛が突出している。舌を出しながら激しく呼吸している。


「ただいま~ってあら。本郷ちゃんいるじゃない!」

「ちゃん言うな」


 女性がパタパタと近づき腕を掴む。


「もう! 来るなら連絡してよ! 何々? 遊びに来たの?」

「仕事中に寄っただけみたいよ」


 不服そうな声が上がる。


「なぁ、気になることがあるんだが」

「ん? なに?」

「カンディットは? 静かだが、いないのか?」


 近くに置いてあるデジタル時計に目を向ける。


 11月25日、金曜。20時を回っていた。


「あ~外だよ、まだ。イルミネーション見に行くって言ってたし」

「俺が着た頃にはもういませんでしたよ」


 本郷が頭を振る。


兎人シャルトだが子供だろう」

「だから? 獣人の子供をどうこうしようって人間が、今時いるわけ?」


 ウロングナンバーは心配していないらしい。


「獣人に対する差別意識は未だ根強い。何かあったらどうする」

「大丈夫よ。ちょっと神経質になりすぎじゃない?」

「お前は楽観視しすぎている」


 空気が張りつめる。椿の瞳が右往左往する。

 本郷は立ち上がった。


「探しに行く。場所は」

「横浜の、えっと、ほら。なんとか島」

新高島しんたかしまじゃね?」

「そうそこ!」


 ウロングナンバーが溜息を吐く。


「行き違いにならないよう祈ってるわ」

「そうしてくれ。あと椿以外は。夜遅くにひとりで出歩くなよ」

「俺のことも心配してくださいよ~」

「行ってらっしゃい。本郷さん! 気を付けてね」


 本郷は脇にコートを抱え店を出た。

 嫌な予感が胸中を渦巻いていた。

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