虹色生活

それはすなわち、宇宙人だった。


それと初めて会ったのは二年前の夏、うだるような暑さの中で雪遊びをする妄想をしているときだったように思う。妹が死んでちょうど一年経ったときだ。そのとき何を考えていたかなんてことは正直はっきり覚えていないから適当なことを言うかもしれないが、ご容赦していただきたい。


当時は大学一年生。初めての夏休みで課題もバイトもなく、暇をひたすら持て余していた私はふと思い立ち、近所の公園に向かうことにした。ちょっとコンビニ行ってくるくらいのノリなので髪がボサボサであるとか、眼鏡が余所行き用のものではないとか、メイクもしてないとか、やつれた部屋着のジャージのままであるとか、そういったことは一切気にしない方向性で。髪くらいはまとめるかとヘアゴムを洗面台から探し当て適当に後ろで括る。立て付けの悪い扉はキィと軋んだ音を立て、このアパートの歴史を感じさせた。錆の目立つ階段を下りて自転車に跨る。お隣さんに大変盛っている声が漏れていることを伝えるか出発する直前まで悩んだが、もし私が逆の立場だったらいたたまれなくて引っ越すと思うので何もしなかった。相手の立場になって考える、というのが人間社会で生きていくには必要なこと。なくても生きてはいけるのだけれど、あった方が何かと過ごしやすい。


向かう先は公園と言ったが、正確には違う。公園もどきという表現が正しいだろう。算数の問題に出てくるような極端な狭さの公園に、ブランコが一つだけ設置してある。友達と二人で来たところで一人は順番待ちをしなければならないという、何とも絶妙な遊具選択。鬱蒼とした木々がそこ囲んでおり、私が親なら子供はここに近付かせないだろうというスポットだ。何かの取引が行われてもおかしくないくらい、人目に付かない場所。犯罪の温床なのではないだろうか。さすがに公園の管理者に失礼かもしれないので口には出さないけれど。


「ぶらぶら大学生、ブランコに乗る」


はっはっはと乾いた大笑いをしてみたが、引いてくれる見物人も周りにはいなかった。どれだけ人通りが少ないかはその事実で以って十分な証明になるだろう。野良犬がくぅんと一鳴きして横を通り過ぎていったのがより哀愁を感じさせた。どうでもいい感傷はどこかに放り投げて、近くに自転車を置いて公園に入る。自転車をそこそこ漕いだせいで汗がおでこを伝って目に入りそうになり、パチパチと目を瞬かせた。汗が目に入ると痛いというのはこの世の真理であり、言われるまでもなく多くの人はそれを避けるだろう。こんな汗が湧き出る日には、真逆の妄想をするに限る。


雪だ。一面に雪が積もっている。なんという異常気象だろう、夏なのに雪が積もっているなんて。私は雪だるまを作る。手がかじかんで痛い。大きな球を二つ作って重ねる。それはもうアンパンマン、新しい顔よと言わんばかりの勢いだ。まあアンパンマンは横からで、今やっているのは縦からドンと置く行為なわけだけど。唐突に雪だるまの頭が弾ける。砕けた雪の欠片が顔に付いてひんやりとした感覚を伝える。結局その雪は妄想であり、痛みもまた妄想の産物であることに気付いて現実へと戻ってくる。


改めて公園を覗くと。


「お?」


それはレインボーだった。


白を基調としたその長い髪は光の当たり方で見る色を変える。まるで烏避けのCDがそのまま髪になってしまったかのようだ。オーバーサイズファッションがお好みなのか、真っ白なTシャツからは左の肩が完全に露出していた。瞳を閉じてブランコにちょこんと座るその少女はきっとエキセントリックな感性の持ち主に違いない。


「へい、そこの女児」


気さくなお姉さんを気取って話しかける。洋画やアニメではこういうお姉さんがよく出てくるものだろう。少年という呼び方に倣って少女と呼んでもよかったのだが、何故か変な照れくささが発生して結果として出力されたのは『女児』。これでは見た目も相まって通報されても何ら文句は言えない。


しかし女児の口から出た言葉は意外なものであった。


「んうらぬぇいぽ」


「ん~どこの国の言葉かな? 物知りだねぇ」


「違う。私の名前」


少女は目を開く。瞳の色は赤だった。いや、緑? そう思って凝視すると今度は鳶色に色を変える。黒色とかにはならないのかなと思ったら黒色になる。相手が思った色になるカラーコンタクトとは、最近のオシャレは行き着くところまでたどり着いてしまったようだ。


オシャレの未来について思いを馳せているとんうらぬぇいぽちゃんは私に向けて口を開く。奇抜な名前を着けるにしてもせめて呼びやすいものにして欲しい。彼女の親を呼び出して小一時間ほど問い詰めたい。


「んうらぬぇいぽは探してる。住むところ」


「うんうん、とりあえずお姉ちゃんはブランコに乗りたいからそこをどいてもらえるかな?」


やんわりとこちらの要求を伝えると彼女はさっとブランコからどいた。歩いて離れるのではなく、ふわっと浮いてブランコから飛んだように見えたのは暑さ故の幻覚だろう。水分補給の重要性をこんな場面で知ることになるとは驚きだ。


きぃこきぃこ。狭い公園で勢いよく漕ぐと木にぶつかってしまうから適当に。正直頭の中は渋滞していていつ事故が起きてもおかしくないくらいにはパンパンのすし詰め状態だった。それを足の裏から全部飛ばしてしまうようにブランコを漕ぐ。靴を飛ばしてみよう。オモテだったら話しかける。ウラだったら全力で逃げる。私の明日はこの靴占いにかかっている。


ブランコが前に出るタイミングでぽいっと靴を脱ぎ捨てる。くるくると空中で回ってぽすっと地面に落ちる。


深く息を吐き、私はその結果に従った。



そんなわけで私の部屋には宇宙人がいる。同居して二年になるが、特に不満を感じたことはない。頼めば洗濯物を干してくれるし、食器を洗ってくれるし、よきパートナーであると思う。気になることと言えば成長がないことくらいだろうか。それもそのはずで、この築五十年になるアパートにずっと引きこもって生活しているのだから、変化など起こるわけがない。私自身も大学一年生から三年生になっただけで、特にやっていることは変わらない。ぼーっとしたり課題を進めたりたまにはバイトをしたり。親からの電話とか同級生の就活とか、そんなものは見て見ぬふりをするのが賢い生き方だ。現実なんて見ないに越したことはない。


「なー、ぬい?」


「その呼称を訂正するのは通算七百十八回目かも」


呼びにくいことこの上ない名前は略称を考えることで解決した。いつも拒否されるけど知ったことじゃない。呼びにくい名前を着けた親が悪い。宇宙人に親がいるのかなんて知らないけども。繁殖をするのかも知らないし。もしかしたら個で完結している生物なのかもしれない。私がぬいについて知っていることは驚くほど少ないのだ。


「ぬいってなんで地球に来たんだっけ?」


「その質問は二十九回目」


「そうだっけ? まあいいじゃん」


「地球に住むため」


そういえばそうだったと言われてから思い出す。どうでもいいことは記憶に定着しないから二日もすれば忘れてしまうのだ。その反面、大事なことを忘れることはない。水道代の支払いとか、卵の消費期限とか、ぬいの脱皮した皮の処理方法とか。


「住むところを探していた。あなたには感謝をしている」


「こんなオンボロアパートでいいなんて安上がりな宇宙人だね」


「安上がりとは?」


「最高ってことだよ」


なるほどと呟く彼女を見ていると、ふわふわと虹色の粉が舞う。なんかよくわからないけど定期的に彼女から放出される粉だ。掃除が大変なのでやめて欲しいが、彼女に制御できるものではないらしいので諦めている。


「ほら、掃除機かけるからどいてどいて」


「む、あなたはんうらぬぇいぽを邪魔だと思うのか」


彼女が浮かべる不服そうな表情は天国にいるはずの妹にあまりにも似ていて、思わず私は声を出して笑ってしまうのだった。


掃除機の騒音があらゆる音を飲み込む。風が吹いた音、窓が揺れる音、セミの声、お隣さんの喘ぎ声、建物の軋む音。


「妹の変わりに宇宙人育ててるとか、どんな人生だよ」


私のその声も大きな音にかき消されて、誰に届くこともなかった。

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短編集 時任しぐれ @shigurenyawa

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