悔しいなんて思ってやらない
私、折原涼香は人付き合いにおいて確定演出というものがあると思っている。『こうだったらだいたいこうなる』というテンプレのようなものだ。
例えば三回もデートをして、彼の家で遊んでいる今の状況なんかはまさに確定演出が鳴り響いている。彼の顔をチラッと見る。ぼーっとしているのか桃鉄に夢中なのか、判別しかねる表情だった。
「ねぇ」
私から切り出す。こういうのは速い方がいいし。中途半端な関係ではいたくないから。
「なに? どしたの」
彼がこちらを向く。身構えた様子もなく、至って自然体。少しくらい照れてくれてもよさそうなものなのになぁと思いながら、その先の言葉を口にした。
「私たち、付き合わない?」
〇
「私は人付き合いの踏み台じゃねーんだぞ! マジでなんだよアイツ!」
安めの居酒屋で飲み放題を頼み、ひたすらアルコールを体に入れていく。味は二の次、とにかく食べて飲んで気を紛らわせようとする。でも溢れる感情は止まらなくて、そのまま口から湧き出てくる。
「おかしいでしょ!? 私別にあんな恋愛映画とか一ミリたりとも興味ないんだけど!」
「それでも行ったんでしょ?」
対する友人、流川奏は冷静だった。銀縁眼鏡越しのジト目で見つめられて熱も酔いも冷めそうになる。冷めそうになるだけで、その程度で冷めるようならこうして彼女を誘うこともなかっただろう。
「行きましたよ? 本当に興味なくておもしろくなさそうだなって思ってましたよ? 見てみたら案外おもしろかったんだけどさ」
「涼香はそういうところがある」
「どういうところよ?」
「人に合わせるところ。そして親しみやすさ。だから友達で止まっちゃうんじゃない?」
パチンと頭の中で何かのスイッチが入る音がした。その一言でさらにヒートアップしてしまう。いや元から燃料はたっぷりあったから関係ないのだけど。
「いや、考えてもみてよ。まずさ、サークルの飲み会に誘われたのよ」
「うん」
「それで行けなくなったからってさ、わざわざ空いている日を伝えてきたのよ」
「それで?」
「これって私のこと好きでしょ?」
「どうしてそうなっちゃうかな……」
「しかも映画まで行ってさ、買い物も行ったりして」
「で、彼の家に誘われたと」
「そう。おもんない桃鉄で二時間くらいダイス回し続けてた」
あの時間ほど「私は何のためにここにいるんだ?」と思ったことはないだろう。オンラインで他人とやれば? と言いかけたが、その発言は確定演出が出ているということもあり見送ったのだ。
「それで告白して振られたんだ」
「いや意味わかんないでしょ? 好きでもない女家にあげるなよ、こっちはその気だったのにどうするんだよ」
「まあそう言われると、映画行って家まで誘って何もなし、っていうのは」
「ひどいと思うよね?」
「おもしろいと思う」
「奏の方が悪い人じゃんか」
こうやって私の愚痴をおもしろがって聞いてくれるから、奏との友人関係は辞められないし、愚痴も止まらなくなってしまう。こっちばかり一方的に頼っているみたいで少し申し訳ない。しかし、こんな考えが出てくるのは酒が足りていない証拠だ。
「すみませーん、日本酒くださーい」
「……大丈夫?」
「明日はバイトも何も入れてないから大丈夫」
「ならいいけど」
奏はそう言って梅酒をぐいっと煽った。やっぱり梅酒も頼めばよかったかなと思う。
酒も食事も進み、少しずつ本音に近い部分が表れていく。
「友達だと思ってるから~、で済ませられるこっちの身になってよ。お前の恋愛教科書になってやってるわけじゃないんだよってねぇ!」
「言ってることがよくわかんなくなってきたね」
「わけがわかってたまるかい!」
酔いが回っていることを自覚している自分がいた。が、その自分は今饒舌に話している自分とは別なので飲む口が止まることはない。しゃべる口も止まらない。
「だって彼氏欲しいじゃん、もう二十一だよ私たち」
「わたしは彼氏が欲しいと思ったことはないけどね」
「出ましたよ、奏は淡白だからなぁ。あ、淡白って言ってもタンパク質ってことじゃないよ?」
「わかってるわかってる、そんな注釈いらない」
奏もほとんど同じくらい飲んでいるはずなのに全く酔っている様子を見せない。それどころか常に私を気遣ってくれる。なんだか自分が情けなくなってくる。
「ごめんね、こんな愚痴ばっかで」
泣くつもりはないのに涙が止まらなくて、机に突っ伏す。あーあ、と頭の中の私が呆れる。飲みすぎだよと。泣くくらいなら最初から彼に近づくべきではなかったと。
「別にいいよ。涼香の愚痴くらい、いくらでも聞いてあげるから」
優しい声音がお酒でふにゃふにゃになった心に染みて、また涙が溢れてくる。泣き上戸ってわけじゃないのになぁなんて思いながら、唐突にやってきた眠気と戦い始める。アルコールが入ると思考の方向性がしっちゃかめっちゃかになる。
「奏は優しいよねぇ」
私が発言した言葉で私が覚えている言葉はそれが最後だった。
〇
「だから言ったのに。酔いつぶれるよって」
わたしの親友である折原涼香は酔った勢いで寝てしまっていた。あれだけの勢いで飲んでいればそうなるだろう。予測できていた事態だった。
とりあえず彼女の意識だけ起こして、当然ふらふらと足元がおぼつかないので肩を貸し、会計を済ませる。外に出ると冷えた空気が頭と頬の火照りを冷ましてくれた。ひんやりとした風が心地よい。
もう遅いし、彼女の最寄り駅まで送ったら終電がなくなってしまう。よって答えは一つに絞られているのだが、その答えに対して如何ともしがたい逡巡を抱えてしまう。
「別に好きじゃないんでしょ?」
聞いたところで答えるはずもない。これから言うのは、全部ただの独り言。
「そんな男、どうでもいい。こうやってわたしの前で酔いつぶれるってことはさ、わたしのこと好きなの? 違うでしょ? ならそうやって油断しすぎないでよ。わたしだっていろいろ考えていることがあるんだよ」
まだまだ言いたいことはあるけれど、今回はこの辺で終わらせておく。そうしないと余計なことまで口走ってしまいそうだから。お酒のせいにして全部奪ってしまえればいいのに。そう思ってもわたしは今の関係を崩すことが怖いから、何もせずに、彼女の話を聞くだけで終わる。それも特別という形の一つだろう。他の友達にこういったことをしている様子はないし、その他大勢の中からの一人には一応選ばれてはいる。今はその事実で満足するほかない。
涼香が身じろぎする。担ぎ直すついでに頬に軽く一発、ペシッと入れてやる。
「んぅ……?」
今の独り言が聞こえていればいいのになぁ。そんな、露ほどにしか思っていない願望が心の中に溶けて消えた。
〇
朝起きたら見慣れない天井だった。いや、多少見慣れているだろうか。
がばっと体を起こすと、その目線の先にはキッチンに立っている奏の姿がある。
「え、何。私は奏と同棲してたっけ?」
「冗談でもそこまで行くと怒るよ?」
「ごめんごめん、ありがと。迷惑かけちゃったね」
ぺろっと舌を出して誤魔化す。酔いつぶれてこの家で目覚めることはたまにあることだった。通算五回目程度。さすがに奏も慣れたもので、そんなことに慣れさせてしまっているのが申し訳ないなと思う。
「今度埋め合わせするからさ、何か欲しいものとかある?」
「何かな……パッとは思いつかないや」
奏の苦笑している顔が目に浮かぶ。欲の少ない友人なのだ。
「何でもいいよ……本当に迷惑かけっぱなしだから多少無茶ぶりでも受け入れるよ」
「じゃあさ、ここに住んでよ」
「え?」
「冗談。あそこのケーキ屋あるでしょ、駅前の。あれホールで買ったら許してあげる」
「びっくりしたぁ。駅前のケーキって……めっちゃ高いじゃんあそこ!?」
バイト代がだいぶ吹っ飛んでしまう。ただでさえ昨日の飲み放題やら何やらで出費がかさんでいるというのに……と、そこまで考えて気づいたことがある。
「あの~、ケーキ買ったら昨日の飲み代払ってもらった分ってチャラになったりしませんかね……?」
「友達だからこそ、お金はしっかりしないとダメだと思う」
「返す言葉もございません」
とりあえず、またバイトの日数が増えることは確かなようだった。
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