あいらセカンド-002
取り敢えず部屋へと戻り、過去の俺が荷造りしたというリュックの中身を漁る。
出てきたのは幾つかの着替えと、下着、それから洗面用具くらいである。実にコンパクトで無駄のない荷造りだった。
ひゅ~! 旅慣れしてる人みたいでかっこいい~! と自画自賛してやらなければ、ちょっと悲しくなるくらい最低限の荷物であった。
携帯ゲーム機とまでは言わなくとも、トランプやお菓子の一つも入ってない辺り、ガッツリ陰キャ気質が全面に表れている。
まあ、そうは言っても、今時足りないものがあったら、現地で買えたりしちゃうからな。
日之守家はまあまあ良いとこなので、お金に困ることも無いし。
これはこれで良いか、とリュックを放り、ベッドに寝転びながら旅のしおりを開く。
すげぇな。全く見覚えが無いのに、ちょくちょく俺のメモが書き込まれている。
記憶喪失者になった気分である────いや、気分って言うか、まんまその通りなのか?
「小説とか読んでると、ちょっと憧れたりもするけど、実際なったら不便極まりないもんだな……」
「あら? 何の話か、聞いても良いかしら?」
「んー? だから、記憶喪失だよ。やっぱり記憶失くすのって不便だし、精神的にも良くないなーってはな、し、を……は?」
ちょっと待って今の誰?
旅のしおりから目を外し、身体を起こそうとしたら、上から人が────アイラが降ってきた。
長い黒髪を靡かせて、勢いよく。
ボフンッ! とそこそこの重みを感じさせる音と共に。
俺に跨り、険しさを隠そうともしない、ブルーの瞳でガンガンに睨み付けてきながら。
俺の頬へと、手を添える。
「今の話、詳しく聞かせてもらえるわよね? か・ん・ら?」
「…………聞かなかったことに出来ない?」
「嫌よ、言っておくけれど、聞かせてくれるまで離さないから」
もし力ずくで退けようとするのなら、大声で叫ぶわよ、ときっちり脅迫までしてくるアイラだった。俺の尊厳に関わってきてしまうので、本当に勘弁してほしい。
お前が叫んじゃったらこの絵面は、どう頑張って好意的に解釈しても、女子を男子寮に連れ込んで、襲おうとしてる男子の図になっちゃうんだよ。
かなり言い逃れようがなかった。
ふー……と小さく長いため息を吐きながら、幾つか言い訳を用意する。それから、全部無駄だな、とゴミ箱に投げ捨てた。
そもそも俺、あんまり口上手くないし……。
聞き間違いじゃない? と白を切るには、あまりにも遅すぎであった。
「あー……それじゃあ、言い方を変えよう。今は、聞かないでおいてくれないか?」
「……っ、ダメよ。ダメ、流されないわ。私は確かに都合の良い女で良いけれども、それだけじゃないのよ?」
「だよなぁ……」
一瞬いけそうだったんだけどな、無理だったかー、とひとりごちる。
特に期待はしていなかったが、失敗したとなれば、それはそれで残念だ。
というか、こうなった以上はもう全部言うしかない。
この場を丸く収められるほど、上手な嘘が吐けるほど器用じゃないし……。
黙秘権を行使することで、ギスるのは勘弁願いたいところだった。
やれやれ。
割り切るとするか。
「言葉通りだよ、記憶が無い。飛んでる……全部って訳じゃ無いし、本当に一部分だけど。全然思い出せないことが増えてきた、それだけだ」
「それだけって……」
「何でアイラが泣きそうな顔してんの」
言うほど大事では無いよ、と頭を撫でる。
これでアイラの名前を忘れている、とかであれば話は変わってくるが、そういう訳ではない。
全く問題ないとは、流石に口が裂けても言えないが、今すぐどうこうしないといけない、という話でも無いだろう。
本当に、魔導を使用していることが原因なのかどうかも、確定じゃないんだしな。
そうとは思いたくないが、単純に俺がド忘れしている可能性だって、まあ、無くも無い。
「だから、大丈夫。大切なことは全部覚えてるし、心配ないよ」
「そんなの……分からないじゃない。忘れるってことは、忘れたことさえ、分からないんでしょう?」
「そりゃそうだけど……」
俺自身のことも、周りの人間のことも、七つの破滅のことも覚えてる。思い出そうとして、変な欠落がある感じもしない。
それならまあ、大丈夫だろ。
取り敢えず、これさえ覚えているのなら最低限、俺は使い物になる。
……近すぎるように思える距離感をどうにかするのなら、少しは忘れた方が良いんだろうけれど。
それを願うのはあまりにも不義理だし、そもそもそれは、俺の方が寂しいので遠慮したかった。
どういった意味であれ、良く絡んでくれる人のことはみんな好きだから。
好きで忘れたいことなんて、早々は無い。
「ま、どうしようもないことってのは、往々にしてあるもんだろ。しばらくは必要経費と思って、割り切るよ」
「貴方のその、自分のことに対する妙な頓着の無さは、何なのかしら……見てるこっちが、やきもきするのだけれども」
「そんな人を、自己愛の無いやつみたいな言い方しなくても……」
驚くかもしれないが、俺は基本的に、俺のことが好きだ。大体の場合において、自分のことを肯定してやれるくらいには。
だからそんな、自分のことをどうでも良いとは思っていない。というか、そうじゃなかったら、死にたくないとか思わないだろ。
訳の分からんイレギュラーばかり起こっているが、そもそも俺の行動の軸には、「死にたくない」があるくらいなのだ。
「違うでしょう? 自身の命が天秤に乗った時、貴方は『死にたくない』じゃなくて、『死にたくないけど……まあ、仕方ないか~』で済ませられる人間じゃない。そこが怖いし、不安だし……何よりイラつくわ」
「思ってたより色々出てきたな……」
ストレートなくせに、ごちゃ混ぜな感情表現だった。
何とか弁明したいところであったが、しかし、どうにも言葉が思い浮かばない。
俺って意外とそういう風に見られていたんだな、と的外れなことを考えてしまうほどであった。
なにせ"足枷"を嵌められたばかりでもある。
「でも私、甘楽君のそういうところも、好きよ。好きだけど嫌い、嫌いだけど好き。出来れば改めて欲しいところだけれど、狂おしいほど愛おしい部分だわ」
「すげぇ屈折した感情だ……」
「貴方がそうさせてるの、分かってる? ……なんて、言っても分からないでしょうね」
でも、それで良いわ。と、アイラが嘆息しながら言った。何を言っても、無駄だろうから、と。
少々ムッとしてしまうような言われようであるのだが、特に反論が無いのでどうしようもなかった。
というか、正面から「好き」とか言われたら、普通に嬉しさの方が勝る。
「それに、そもそも貴方に、この辺の思考を身に着けることが、不可能であることくらい、私にも分かるもの────だから、考えたわ。私、甘楽君の後付け良心回路になろうって」
「……つまり?」
「私、甘楽君が死んだら後を追うことにするわ。それに、貴方が記憶を失う度に、泣きます」
「クソ重たい!? しかも大体間に合ってるし!」
「ちょっと待って!? 間に合ってるってどういうことかしら!?」
絶叫と絶叫が重なり合って、「やべっ」と声を漏らした。
三年生としての生活が始まってもう、一か月以上経つが、婚約関係についてはまだ誰にも話していなかった。
月ヶ瀬先輩の言葉に甘えて、取り敢えず形式上、そういう関係性を維持してるだけの状態であるから、というのが一番の理由であるのだが、その他にも、無駄に人間関係をゴチャらせたくなかったからである。
ただでさえ、刺されるとかいう不穏な《予知》をされているのだ。情報開示にも、慎重になるというものだろう────まあ、それも、今この瞬間無駄になったのだが……。
クソでかいため息を一つ。それから、事情を端的に伝えれば、絶句したアイラが練成された。
人って絶句する時こんな顔するんだな。
滅茶苦茶真顔で超怖いんだけど。これ俺、今刺されたりしないよね? ね? 未玖ちゃん? 大丈夫だよね?
「……しょせん、私は二番目の女って訳ね。ふふっ、ええ、分かっていたわよ」
「うわっ、自己肯定感がまた地に落ちてる! げ、元気出しなよ……飴ちゃんとか舐める?」
「甘楽君は私を、小学生か何かだと思ってないかしら? そうね、今の私を元気にしたいなら、キスの一つでも用意して欲しいところだわ」
「…………」
「待ってちょうだい? 何故急に気まずそうな顔で目を逸らすのかしら? ねぇ、甘楽君? ちょっと、こっち見て? 私の瞳を見なさい?」
ぎぎぎ……っ! と俺の顔を自分に向けさせようとするアイラだった。
マジでやめて欲しい。反射で素直な反応をしてしまい、もう冷や汗でびしゃびしゃなのである。
ちょっと追及するのは勘弁してほしかった。
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