第三章 わーるどウォーゲーム
みくプロフィト-001
「お兄……様? お兄様? えっ、お兄様!? お兄様ですか!? お兄様ですよね! やったーっ! お兄様お帰りなさい!! ずっと、ずっとずっと帰ってくるのをお待ちしていました! お兄様ーーッ!」
「あー、うん、ただいま……いや待て! そこを動くな! 徐に立ち上がるな! スタートダッシュを決めようとするなーッ!」
反射で促した制止は、しかし当然のようにスルーされ、黒髪の小柄な少女はクラウチングスタートをガッツリ決めて、勢いよく飛び込んできた。
まさか、カウンターを決める訳にもいかず、判断を悩む内にガシィッ! と真正面から抱きしめられ、かなり勢いのあるキスの雨が顔面に降ってくる。
俺の絶叫をかき消すように、少女は目にハートでも浮かべてるかの勢いで、言葉を捲し立てた。
「ああっ、そう言わずに! もっと抱き着かせてください、もっと嗅がせてください、もっと触らせてください!」
「うわあああああ! 俺から離れろーッ!」
意地でも離れんとばかりに力を込めて来る少女を、ブンブンと振り回す。
畜生! こいつ火事場の馬鹿力を発揮してやがる! 全然離れねぇ!
「嫌です嫌です! もう一生離れません! 病める時も健やかなる時も一緒です!」
「結婚する気なのか!? 法的に無理があるだろ!」
「お墓に入るときも一緒です!」
「それ俺、確実に無理心中させられてるよね?」
一周回って殺意に収束させるのはやめろ! と叫びながら、黒髪の少女を投げ飛ばした。
ポーン、と宙を舞って、やたらと豪奢なふわふわソファに落下する。
ポフン! という可愛らしい音がしてから数秒後に、恨めし気な目でそいつは俺を見た。
「うっ、うぅ……お兄様が、冷たいです……」
「嘘だろ? 今のが冷たい内に入るのか……? 間違いなく正当防衛だっただろ……」
「あっ、でもでも、旦那様に冷たくあしらわれる、陰のある人妻って感じで、これもまた良いですね……」
「幻覚を見るのが上手過ぎない? 今のはどう見ても、捕食者と被食者の構図だったんだけどな」
恍惚な笑みを浮かべ始めた少女に、俺は呆れた目をすると共に、クソでかいため息を吐いた。
だから、実家に帰ってきたくなかったんだよ……。
信じられるか? この、次はどのように飛び掛かろうか……なんてことを考えていそうなバカ女、
彼女は俺……つまり、日之守甘楽からしたところの、たった一人の妹であり、同時に『蒼天に咲く徒花』における、メインヒロインの一人である。
今まで通りナンバリングをするのなら、ヒロイン№04と言ったところだろうか。
いや……そうなんだよね。
踏み台の妹がメインヒロインなんだよ。甘楽くん、そこまで悪いことしたかな……ってくらい、周りの女性を主人公に奪われる役回りなんだよな。
改めて言葉にすると、普通に可哀想になってくるというものである。
さて、そんな未玖であるのだが、俺との年齢はそこまで離れていない────というか、一つしか離れていない。
だというのに、未だにアルティス魔法魔術学園に入学していないのは、偏に彼女が病弱だからである。
……いや、ね。分かるよ、堂々と嘘言ってんじゃねぇぞ、と言いたくなる気持ちは。
病弱な女の子はクラウチングスタートとか決めないもんな。
しかし、本当の本当に、未玖は病弱な女の子……だったのである。
そう、『だった』である。過去形だ。
未玖は特別、大きな病を抱えているという訳ではない。
ただ、未玖自身に全く釣り合わないほどの、膨大な魔力と、特殊な能力を持ち合わせて生まれてきてしまったが故に、未成熟な魔力神経が不調を起こし、それが身体全体に悪影響を及ぼしていた。
つまり、成長と共に、それは解消される。そういった類のものであり、同時に成長でしか解消されない病である、と言っても良い。
とはいえ、身体を蝕むほどのそれは、確かに目に見える形の、探しても見つからないほどの才能であり、だからこそ、
というか、
普通に後味が最悪であるのだが、最早原作と言えるような流れは壊滅しており、全く別の話になってきてしまっている以上、あまり意識するようなことではない
それに、未玖をシンプルに戦力として数えるのならば、兄妹仲は改善して然るべきだ────という訳で、去年帰ってきた際に、ちょこちょこと絡んだのだが、何か……こうなっちゃったんだよな……。
もちろん、これまでの間に構築された俺達の関係というのは普通に最悪であり、傍から見てもドでかい溝のようなものがあったのだが、上記の通り、これは一方的に、
少しずつ思い出せなくなってはいるものの、いわゆる原作知識が俺にはあるのである。
お陰でこの辺の、デリケートな部分の会話でも地雷を上手く躱しながら、そこまではあっさりと辿り着くことが出来た。
ただ、その、何だろうな……。
お恥ずかしながら、俺は割と調子に乗りやすいタイプの人間である。
久し振りに思った通りの展開へと進み、万事が上手く行き始めたと錯覚した俺は、つい未玖の身体の調子まで診てしまった訳だ。
そしたら何か……治っちゃったんだよな……。
ノリとしては「ちょっと出来る範囲で、魔力神経の調子を整えてやるか~」くらいのものであったのだが、本当にそれだけで、未玖の不調は粗方改善されてしまったのだった。
いや……確かにこの辺の調整は、魔導を扱えるようになった時点で、ある程度上手になった自負はあったのだが……。
まさか治るなんて思わないだろ。
今でもちょっと手を加えただけなのにな……という感想が抜けきらないほど、大したことをした実感は無いのに、現実は随分と大した結果を齎してくれていた。
お陰でこれまで、ほとんど寝たきりであった未玖は、見る目を疑うような元気溌剌スーパーボール女へと変貌を遂げてしまったのであった。
おかしいな……『蒼天に咲く徒花』だと、常に車椅子に乗ってる系の、かなりミステリアスで儚げな美少女だったんだけど……。
どこで何を間違ったら、これは確実に頭のネジが全部外れちゃってますね……みたいな妹になってしまうのだろうか。
魔力神経以外にも、意識せずに頭まで弄り回しちゃったのかな、と不安になってきた今日この頃である。
俺がいない間、かなりリハビリに専念したんだろうな……というのが、言われなくても良く良く分かるアグレッシブっぷりだった。
帰ってきたくなかった理由の一つに、これを真っ当に相手にするのが面倒だった、というのがあったほどである。無論、それだけでは無いが。
というか、本当にこれだけだったら俺、嫌な兄すぎるだろ……。
物事はそう上手く行かないもんである、とソファへと座り、窓の向こうを眺めた。
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