アジトへ

 月イチのレポートを書くために善治もつばさも別々の方向からビルに向かっていた。ジーンズショップに参考書を持って現れた善治は、その後の覚のことを話そうと意気込んでいた。その顔を察知したのか海道が口元に人差し指を立てて、黙って足元を指差した。

「何?どうした」

「ピアノのレッスンの帰りだって、お前に会う為に寄ったらしいよ」

 レジの片隅で丸くなって覚が漫画を読んでいた。

「あ、善治さんこんにちは、僕、父さんと母さんに許しをもらってね。学童保育に行けることになったんだ。色々ありがとうございました。報告しようと思って待たせてもらいました」

 善治さん?って名前を名乗った覚えがない。頭を傾げながら…安川並の行動の速さに驚く。ここ数日の間にもう話がついたのかと。

「そうなんだ。上手く言えてよかったね。あそこへはいつから?」

「今日から行きます。色々お世話になりました」

「あ、英語のテキスト」

 目ざとく見付けて指をさす。

「うん、店長がね、勉強したいって言うから持ってきたんだけど…」

 海道が焦ってレジ台を片付け始めた。此処でやるしか無いか…

「どうせタダなんだからコーヒーくらい出して下さいよ」

 と、善治が言うと、

「じゃ僕はやることがあるので失礼します」

 と、漫画をレジ台に戻して、そそくさと店を出ていった。後ろ姿が頼もしすぎて、二人は呆然と、そしてホッと胸を撫で下ろした。

「上手くいったみたいだね。これであの子も此処に隠れに来なくて良くなった」

「僕も偽の英語講師をしないですむ」

 海道も肩の荷が降りたようにため息を漏らした。

「は〜ドキドキした〜コーヒーもらおうかな。まさか覚君がいるなんて夢にも思わなかったよ」

 上に上がるとすでにつばさが来ていた。善治もつばさも覚の話は安川、茜から聞いて知っていた。知っていたけどわざわざ報告に来てくれた覚の笑顔をもう一度話題にした。

「覚君嬉しそうだったよ。前に下に隠れていた時とは印象も違って明るくなっていたし、まあ前の暗い感じも魅力的な子だったけどね」

「今朝も明るかったわ。あ、朝学校に報告に来てくれたんです。川園先生と知り合いみたいで、ありがとうってお礼を言ってた」

 川園が家庭教師だという話は誰も知らない。一件落着で川園の秘密は闇の中へ消えていこうとしていた。

「さてと、レポート書くか!最近皆んな忙しそうで書くことたくさんあるだろう」

「やっぱ日本人は凄いよ。初めは舐めてたけど、時々凄いって実感する。今日のレポートはまたこの前の訂正からだな。とにかく楽しかった」

 はしゃいでいるつばさの横で茜が思い詰めていた。香椎は笑っている。そんなに深刻でもなさそうなのに肩を落とした茜の姿が痛々しい。

「どうしたの。なにかいつもと違うね」

「話辛いことなんだけど、簡単に言えば篠田さんにはミッションがあってね。君たちとはちょっと違ってそのミッションがクリアできそうになくて、とも違うか…ま、そんな事で落ち込んでるところです」

 ミッション?そんなものがあるのか…

「ミッションて」

「僕たちにはそんなのないよね」

 つばさと善治が声を揃えて話に食いついた。

「そうかな、君たちには普通に暮らすというミッション」 

 があると香椎は言う。

「それは…」

 ミッションとは言わないとつばさは言う。でも、何かしらの為に此処にいるものにはそれ相応のミッションがあると当然考えられる。不思議そうな顔をして善治が茜を眺めていた。

「なに?そのミッションの話は秘密なの?」

「そうでもないよ。後で篠田さんに聞いてみたら」

 そういう香椎に茜が戸惑った顔をした。

 レポートを書き終えて一段落すると茜がバツが悪そうに話し始めた。

「私は、安川さんのスカウトのために日本に来たの」

「え〜!!!」

「安川さんの才能。才能っていうのかしら、あのバイタリティや好奇心が、今時の若者の起爆剤になるんじゃないかって上層部が欲しがってね。て言うか上層部が嫉妬してという方が正しいかしら、あの人材をなんとしてでも手に入れたいって」

 ま・さ・か、そんな事。我が組織の上層部が思うのかと二人は驚いた。

「それって俺の中ではありえないんだけど」

「あら、正式なオファーだから法に触れるとか怪しいものじゃないのよ。安川さんがどう思うかだけの問題」

「私はそのために今回無理して年齢を下げて此処にいる。安川さんが友達みたいに思ってくれたからそこがととても心苦しかった。年齢詐称、国籍詐称、存在自体が嘘ばっかりなの。あなた達はこの国からの正式な依頼があって此処にいるけど、私は国からの任務で来てる。極秘任務。君たちとは立場が違うから」

 茜が辛そうに下を向いた。

「私は任務が終わったらいなくならないといけない存在だから」

「そうなの、でも、安川は?なんて言ったの」

 善治が茜に訪ねた。

「聞けなかった私は親友としてそばにいて、安川さんと過ごしながら、この人は組織とか任務のために動かす人じゃないと私が判断した。もっと純粋でしょ。勉強も何もかも好奇心でやってるとしか思えない。そんな人に私の国に来ない、なんて…いえない。無理よ」

 茜は辛そうにそう言った。

「ホント素敵な人。生まれてはじめて親友に出会った気がした。楽しかった。正直別れるのが悲しい」

 茜は辛そうに眉間にシワを寄せた。本当の親友ならこの先も一緒にいられる。それが叶わないと悲しそうに話した。

「茜は僕たちと歳が違うの?」

「うん、少し上よ。こういう汚れ仕事は君たちにはさせないのが我が国の方針。駆け引きさせるのは忍びないから」

 茜の姿は痛々しかった。

「なんで話したの、僕たちにも言いたくなかったんじゃない」

「なんでかな〜正直良くわからない。話しちゃいけないことはないけど…そういうふうには言われてないけど…このまま知らせないで消えるのが嫌だったからかな」

「聞いてみたら、安川がどう思うかそれは自由じゃない?勉強したいって、留学したいって言うかも知れない。その答えを僕も聞いてみたい」

 善治が本気でそう言った。

「…」

「本当のこと言っちゃう。止められてるわけじゃないよ。安川なら、安川なら良いかも知れない」

「でも」

 さすがに今度は茜が黙り込んだ。

 駄目もあるかと思いながらも茜の任務を貫徹させてやりたいつばさだった。

「あの、ソフィアだぜ。理解力は抜群だよ。決して冗談や戯言とは思わないよ」

 茜が考えていた。そんな事もあるかって、今まで任務の中でそんな事思ったことあったかって…

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