何処へ走る
車が滑るように走る。すでに多くの生徒の眠気は活況に入っていた。この先何が起こるかわからなくても若者は睡眠をむさぼる。
揺られた時間が長かったかどうかわからないまま、車が勢いを止めた時、そこはもはや誰も知らない別世界だった。その静寂を破って、安川が思い切りのいい声で叫んだ。
「到着です。皆んな降りて!この3日間の御宿を確認して下さい」
そう促されてバスを降りると、
「なにここ?どうなってるの何もない」
いや、ある。目の前に鎮座するのは巨大な建造物で、見事な屋根の反りが普通の建物ではないことを参加者全員に物語っていた。
ホテルも宿泊施設らしい建物も何もなかったが、由緒正しいお寺なら堂々と聳えていた。
外人墓地を借りようと折衝していた安川は、いっそ林間学校もそれらしい施設じゃなく、お寺とか神社とかで出来たらもっと刺激的になるんじゃないかと、突然方向転換してこの場所を実行委員に提案した。
さすがにそれはない。と即座に全員から総スカンを食らったが、中途半端な反対が太刀打ちできるはずもない。あの情熱で押し切られ、会場も、それまで決まっていた計画もすべて変更になった。
「此処なら部屋割りだって簡単、女子と男子二部屋あればそれで足りる。悩まなくて済む分、他のことに知恵を使えるわ」
と、事も無げに言ってのけた。
他のこと?誰も何の事かわからない。
安川はこの行事が林間学校と聞いて歴代の旅行の記録を調べ、遡っていくうちに興味深い記事にたどり着いた。学業を修めるための総仕上げの旅行。ついに、修学旅行なる最も古い形の研修旅行に行き着いて、その中の様々な行事に関心を持った。
キャンプファイヤー、飯盒炊さん、フォークダンス、フルーツバスケット、花火大会、枕投げ、等など…
この間つばさたちも考えないわけではなかったが、なにせ安川の計り知れない探究心とリサーチ力、スピードには誰も対抗することが出来ず、安川の独壇場と化してしまった。
安川には誰も歯向かうことは出来ない。理不尽なことを言っているわけではない。誰よりも熱心に取り組んでいる。そこが断固反対と意思表示できないこっち側の不利なところだった。
という事で…目の前に広がる広大かつ神聖なるお寺の境内を借りることに成功し、檀家のみなさんが協力して食事の手配や手伝いをしてくれることになった。
「いらっしゃい。住職がお待ちかねです」
お寺も新しいビジネスを模索している。昨今の冠婚葬祭の簡素化は経営を脅かしている。地域との共存を望むお寺なら、大歓迎の申し出だった。
「お世話になります。なるべく出来ることは自分たちでやるように頑張ります。協力してくださいね」
どうやら食事は自炊らしい。このおばさんたちはサポートとしてこの場所に立っている。人の良さそうな明るい笑顔が眩しい。
「此処で何やるの?」「此処ってお寺?」「え、え、ここ?」
沢山の疑問符、ザワザワと呟く声は聞こえるが、決定的な拒否は今のところない。戸惑いのほうが大きくて声が出ないのが正直な感想だろう。
「よく川園が許したなってそっちのほうが気になる」
政嗣は冷静にそういった。
「橋口を見ろよ驚いてるよ。今知ったとかないよな。顧問として監督不行き届きもいいとこだ」
「許可、取ってあるよ。当たり前だろ。思ったより立派で驚いてるんだよ。此処は橋口の叔父さんの家だそうだ。それもあって協力してくれる事になったんだ」
「へ〜国宝級?」
「国宝級だとしても、寺は本来人が寄るところだから使えないなんてことはないんだよ」
「そうか、考えたな。予算、相当浮いたんじゃない」
と、冷静な話ばかり飛び交い、冷静な寸評が続く。
此処に今日明日滞在するという自分たちに押し迫った問題に行き着く実感がわかない。そのくらいの現実味のなさが、反対意見の出ようのない絶妙なバランスとなって皆んな声を失った。
「このお寺には西と東に一つずつ大広間が有るのでそこを宿泊に使わせていただきます。この正面玄関から上がって男子は西で女子は東にしました。では、移動をお願いします」
安川の明快な指示。ここまで連れてこられて尻込みするわけにもいかない。逃亡も無理みたい。周りはぐるっと森に囲まれて、町は見えない。全員すごすごと移動し始めた。
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