救援

 私は走り続けた。


 足場の悪い林の中、ちょっとした物音でさえ『鬼』が潜んでいるようで恐ろしく、何度も銃の持ち手をきつく握り締めた。手は汗でぬるぬるとして、しまいには握っている感覚まで麻痺しかけていた。

 林のなかがぼんやりと明るくなる。

 どうやら街灯の光が届いているようだ。道路が見える。

 そして、そこにフォンファから聞いていた通り、林と道路を隔てるフェンスの裂け目を見つけたとき、私は踊りだしたいような気分になった。


 助かる! 私は助かるんだ!


 今考えれば、あのときフォンファのことなどかけらも思わなかった私はひとでなしだと思うけれど、でも、自分が死ぬのと他人が死ぬの、選べる人間なんかいない。

 少なくとも、私にはできない。

 私は狭いフェンスの裂け目を潜り抜ける。頬を切れていたワイヤーが掠った。

 だけどもう、そんなことはどうでもよかった。

 ビニール袋に銃を戻し、息を整えながらまっすぐに立つ。今まではフォンファの言うとおり、できるだけ体を低くしていたのだ。

 すると、道路の端に車を停め、それに寄りかかるように立つアジア系の男と目があった。


 その男が身に着けている、あつらえたような三つ揃いのスーツはこれまでの私の後援者の男たちのものとよく似ていた。違いといえば、この男はそれを少しホスト風に着崩していることだけだ。無造作に見えるようセットされた明るめの茶髪もホストのような印象に拍車をかけた。

 そして、その出で立ちに似合う、印象的な切れ長の目と薄い唇。整った顔立ちだったけれど、その眼差しは恐ろしく冷たいものに見えた。

 でも、橿原や電車で待ち伏せていた男のようなからっぽの目を見続けてきた私には、そこに感情があるというだけで嬉しかった。


「あ……」


 あなたがダミアヌスですよね?と聞く前に、男は軽く会釈をする。


「どうも」


 微笑みながら、男は私に銃を突き付けていた。

 息が止まる。

 おしまい。

 もうおしまい。

 あいつらはここまで来ていた。せっかく、せっかくフォンファが……。


「こんな夜道にお嬢さんはなにをお買い求めに?」


 男が柔らかい声で聞く。


「よほど大切なものを?」


 銃口は私の胸に向かっている。

 きっと、この男は私と違って、当てたいところに弾を当てる技術を持っているんだろう。


「答えてくれませんか?」

「じ……」


『自由』と言いかけて、私はラブホでの橿原の言葉をはっと思い起こす。


『ピアス、買ったろ。一生ものの』


 もしかして、この男は敵じゃないのかもしれない。

 そして、私は今試されてるのかもしれない。

 私が本当にフォンファの客なのか。


「ピアス。ピアスを買ったの。ピアス屋から」

「なるほど。どちらのブランドの?」


 ビンゴ!

 ダミアヌスだ! この男が! 私は、助かるんだ!


「F」


 もうためらいなく私は答える。

 正解の分かっているクイズなんか怖くない。


「Fですか。確かにあそこの品はいい。それでは最後に。あなたの名前は?」

「キカ、井原キカ。もしかしたらフォンファは李マユミと言っていたかもしれない」

「オーケイ。井原キカさん、満点です。どうぞ、車へ。急いで」


 男が銃をスーツに閉まった。


「さあ、早く。あの音と光で、あそこでなにが起きたかはよくわかります。大丈夫。車の中できちんと説明しますから」


 私の手を引きながらそんなことを言っていた男が、助手席のドアを開け、私を座らせる。

 それは驚くほど優雅で、エレガントと言ってもいい仕草だった。


「もう聞いているとは思いますが、俺がダミアヌスです。ここからは、俺があなたを守ります」


 ハンドルに手をかけて、ダミアヌスが笑った。

 そして「怖かったでしょう。もう大丈夫ですよ」と私の頭を一撫でしてから、アクセルを踏む。

 私は思わず泣いてしまいそうなのを必死で堪えていた。

 恐怖より安堵の方が涙を誘うなんてことは知りもしなかったし、できれば知らないままでいたかった。


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