Case.14 片思い

 僕は、同じクラスの加藤 渚かとうなぎさという女の子に恋をしている。

 同じクラスだった一年の時、ほんの些細な出来事で淡い恋心が芽生えたものの、二年は違うクラスになってしまい彼女との接点は無くなってしまった。

 これと言って秀でたものがなく、クラスでも余り目立たない僕は、静かで穏やかだけどいつも周りに人が集う彼女とは別世界にいるようなものだった。

 だから、廊下でたまにすれ違う際に軽く挨拶をするくらいしか出来ずにいたのだが、怖いもの知らずの僕の恋心は、諦めるどころか日々ますます大きくなっていったのだ。


 高校三年の四月…。

 これから迫り来る大学受験や来年の三月には高校生活も終わってしまう事など、今までぼんやりとしか見えてなかったものが少しずつ輪郭が露わになってきたから僕は動揺したのかもしれない。 

 もしくは、窓から見る春の情景を見て、ただ単にノスタルジックな思いになっただけかもしれない。


 だから、今、こんな事になっているという訳だ。



「布川君、あの…。話ってなに?」


 僕は、視聴覚室で顔を青くして、ずっと片思いをしている彼女と向かい合い突っ立っていた。


「ごめん。いきなりこんなところに呼び出したりして…」

「いいけど。すごくびっくりしちゃった。ふふっ」


 彼女は少しはにかんで、丸い椅子に腰をかけた。

 それにつられて僕も腰を落とす。僕の両膝はまだ小刻みに震えている。


「ご、ごめん。緊張が凄くて…」


 僕は、独り言のように小さい声で呟くと、彼女に向かって話し出した。ただ、それは、どうしても今日伝えたかった言葉ではなく、なんとも取り止めのない話だった。


「僕の家は、両親が共働きで僕の下にまだ五才の弟がいるんだ。平日は、学校から帰ると弟の面倒を僕が見ているんだけどある日、川沿いにあるさくら公園で小さな鳴き声に気づいたんだ」


 彼女は、「うん。知ってるよ。さくら公園。この季節すごい綺麗な場所だよね。しかも穴場だし」と相槌をしてくれる。


「うん。桜がまるでトンネルのように両脇に咲いていて真ん中を通ると気持ち良いよね」


 彼女は、うんうんと頷いている。


「それでね、僕と弟でその鳴き声に近づいていったら、小さな紙袋の中に一匹の子猫が捨てられていたんだよ。僕らはその小さな小さな真っ白い子猫をそのままにしておく事が出来ずに家に連れて帰ったんだ」


「ふー、良かった…」


 彼女は、心から安心したようだった。


「布川くんみたいな人に拾われてその子猫ちゃんも本当に運が良かったね」


 突然、そんなことを言われると、「君は僕の何を知ってるの?」と投げやりな気持ちが顔を出す。

 いや、彼女はうわべだけの言葉を並べるような子ではないから、本当にそう思ってくれたんだと思う。そんな事、ずっと彼女を見てきた僕だったらすぐにわかることなのに…。


 彼女は、「それで!?」という目をして話の続きを促す。


「夜遅くに帰宅した両親からは、少し反対されたんだけど、僕と弟で面倒をしっかり見るということでなんとか許して貰ったんだ」


 彼女は、瞳をキラキラさせながらうんうんと頷いている。


「その子猫はね、とっても元気でそして、すごく僕たちのことを好きでいてくれるんだ。この前なんかね、僕が期末テストの数学で酷い点数を取って落ち込んでいたら、夜、布団の中に入ってきて、ずっと僕の胸をふみふみしてくれたんだ。僕は、そのおかげでなんだか暖かい気持ちになってね…。それに、その柔らかい毛を撫でていると凄く落ち着くんだ」


 彼女は、僕の話を真剣に聞いている。


「ねぇ、その子の写真とかないの?」


 僕は、「あるけど見る?」と言って、ポケットからスマホを取り出すと、アルバムを開く。そこには、びっしりとその子猫の写真が並んでいた。

 カーテンで遊ぶ姿、僕が好きなアニメ番組が始まったら何故かテレビの前に座って、僕と一緒にその番組を見ているところ、水を飲むときに右手を何度か動かし、小さな舌をちょっとだけ出してから飲むとことろ、本棚の一番上に登って得意満々の仕草とか…。もう、ありとあらゆる姿の写真が詰まっている。


 いつの間にか彼女は僕の隣に座ると、覗き込むように僕のスマホの写真を見ては「可愛い〜〜」と言って微笑んでいる。

 右手で書き上げた淡い栗色の髪からはとてもいい香りがした。


「あっ!これ、まだ持っていてくれたんだ…」


 彼女は少し頬を赤らめて僕の方へ顔を向けた。

 僕の胸の鼓動がさらに早くなる。


 彼女が指差した写真には、キーホルダーに付いている小さなウサギのぬいぐるみにちょっかいを出している子猫の姿が写っていた。



 一年の最初に行われた社会見学でたまたま同じ班になった僕ら六人は、動物園の隅々を元気よく回った。うさぎ館では丁度、お昼タイムだったこともあり、両手で人参を握って小さな口を使って食べているうさぎ達を飽きもせずに眺めていた。


「あれっ!?集合時間やばいかも」


 急に班の誰かがそういった。

 確かに腕時計を見ると約束の集合時間まであと数分しかなかった。


「急ごう!」


 皆んな慌てて自分の荷物を持つと出口に向かって走り出した。少し奥の方にいた僕と彼女も後に続く。

 その時、小さな段差を踏み外し転けそうになった彼女を僕は必死で腕を伸ばし受け止めた。


 だが、やっぱり僕はヒーローにはなれなかった。


 彼女を上手く受け止めたものの、その反動で逆に僕の方が派手に転んでしまい結果、足をくじいてしまったのだ。

 彼女は、僕をベンチに座らせると、近くの自動販売機まで走って行き、ペットボトルの水を買って戻ってきた。

 そして、少しづつ赤く腫れてきている僕の足にそれをぴったりとくっつけながら、「ごめんね。痛くない?」と泣きそうな顔で謝るのだ。


「大丈夫。大丈夫。もう、歩けるよ。ほら、大丈夫!」


 僕は、やせ我慢をしながら、ぴょんぴょんと跳ねてみる。

 それを見て、ふっーと彼女が一息吐いて安心した姿を見て、僕の方がほっとしたんだっけ。


「じゃあ、行こう!加藤さん」

「うん」


 今思えば僕はその時、彼女のことが好きになったのだと思う。


 結果的に集合時間には間に合わなかったけれど、他にも僕ら同様に遅刻した生徒が多数いてくれたお陰で、先生からはあまり叱られなかった。


「はい、これ。昨日、助けてくれたお詫びなんだけど、貰ってくれる!?」


 翌日、彼女から渡されたのは、ウサギ館で販売していた可愛いキーホルダーだった。僕は顔を真っ赤にして「ありがとう。大事にするよ」と答えると嬉しさと恥ずかしさの余りすぐに教室を飛び出したのだ。



 

 あー、あれからもう2年が経つんだ。

 僕は、少し懐かしく思いながら、肩まで伸びた髪を指で巻いては解いている彼女を見つめる。


「うん。だって、僕にとってとても大事なものだしね…」

「そうなんだ…」


 彼女はさらにはにかんだ顔で小さく呟いた。

 それにしても僕と彼女を繋ぐ唯一の出来事をまさか彼女が覚えていたなんて夢のようだ。


「うん…」

「二年でクラスが変わってからもずっとどうしてるかなって思ってたんだよ。でも、隣のクラスに行くのは何というか、私、凄く恥ずかしいし…」

「それは、僕も同じだよ。それに僕なんかが隣のクラスに加藤さんを訪ねて行けば、きっと迷惑かけてしまうだろうから…」


 すると彼女は、ちょっと頬を膨らましたような気がした。

 そして、もう一度僕のスマホに視線を向けるとポツリと呟いた。


「布川君、この子の名前はなんていうの?」


 僕は、背筋を伸ばして彼女に向かい合う。


「女の子でね、っていうんだ」


 彼女の頬が一気に赤くなる。

 僕の心臓がばくばくと音を立てる。


 開いていた窓から優しい風が入って来る。


「ふふっ。私とおんなじ名前だね…」


 彼女は、真っ赤な顔のまま下を向いている。


「加藤渚さん。僕は、君のことが好きです」



終わり

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