第37話陽葵ちゃんの婚約者候補に付きまとわれる

「全くこの間は下僕の失態のせいでとんだ恥をかいた!」


陽葵ちゃんの婚約者候補、関内は怒り狂っていた。彼が樹に敵意を向けるのには実は理由があった。もちろんの事だが、彼は残念財閥子息である。彼はおつむが少々足らず、他の兄弟と違って、明るい未来はない。小さな会社で社長という名前の窓際族になるだけの未来しかなかった。


そんな彼にとって、一縷の望みが最近浮上した厚木家の末の令嬢との縁談だった。


彼にとって、この縁談は起死回生のチャンスだと思えた。厚木家の末の令嬢は長い間社交界に顔を出さず、令嬢にあるまじき人物という噂があったが、先日の皇室主催のパーティに初めて登場した厚木家の末の娘はその美しさと謙虚さから途端に社交界の話題を独占した。


しかし彼女と婚約しても彼自身には何も変わりはしないので、実は無意味なのだが日本屈指の厚木家の令嬢を手に入れる事は彼にとって、この上なく魅力的な話に思えた。


これで何もかもが変わる。彼はそう信じていた。なんの根拠もなく……。


そして彼にはライバルがいた。厚木家の令嬢の学校の上級生……何処の馬の骨だかわからない平民風情がどうも令嬢にちょっかいを出している。彼は焦り、無理矢理直談判にきたのだ。


「で、海老名 樹はただの会社員の息子なんだな?」


「はい、間違いありません。理由はわかりませんが一人でボロい一間で一人暮らしをしているようですが、彼は普通の会社員の息子です」


「よし、お前達にしてはよくやった。まあ、お遊びみたいなものだがな」


彼は従僕達に樹の家庭の調査をさせた。実はどこかの御曹司なのではないかと疑っていたのだが、先日の銀座のレストランのことは偶然にも個人的に知り合いだったのだろうと結論ずけた。


従僕達は必死で調査し、日本だけでなく海外の全てのデータを調査して、樹が唯の会社員の息子である事を突き止めていた。


関内がもし、親ではなく樹自身の調査をさせていたら、また別の情報が得られただろう。


親が優秀なだけで本人が残念な彼には親とは関係なく高校生の身で大成功を収めている者がいるなど、彼の想像力を大きく超えるものだったのだ。


先日のフレンチの店は確かに個人的な繋がりがあったのだが、それは全て樹が小説家であり、店の人が皆、樹のファンだったために起きたのだ。


そして、彼はまた樹に対して嫌がらせを画策する。


「高級車を用意しろ。今から厚木家の令嬢を迎えに行くぞ。平民と選ばれし者の違いを見せつけてやろう!」


そう言って従僕に家の親の高級車を用意させる。そして校門近くで待ち伏せし、樹と陽葵ちゃんが学校から出て来るのを見てとると高級車を学校の校門に横付けした。


「やあ、樹君、今日もみすぼらしい格好だね。僕は陽葵嬢を家までこの車で送って行きたいんだが、いいよね? いいよね? 普通?」


「えっと、なんですか? 関内さん、突然?」


「そうばい。陽葵は先輩と約束がある」


樹は陽葵ちゃんから婚約者候補が関内だと聞いていたが、未だ婚約は成立していない。それに陽葵ちゃんのお父さんに陽葵ちゃんとの交際を認めてもらおうと思っていた。この関内という男に渡す気など毛頭無い。


「ちょっと近くに来たので、陽葵嬢を車で送って差し上げようと思ってね。君、空気は読める?」


「えっと、ちょっと何言ってんのか分からないですけど、今日は陽葵ちゃんと約束してまして」


ニヤリと関内はほくそ笑む。


「君には常識がないのか? 僕はもうじき陽葵嬢と婚約をする身だ。それに彼我の差がわからんのか?」


「……しかし今日はちゃんと陽葵ちゃんのお父さんの許可ももらってるので」


樹が戸惑うのも無理はない、アポなしで突然来た関内の方が非常識なのだ。彼は陽葵ちゃんに婚約の話が出た事を聞いてからは都度陽葵ちゃんのご両親の許可を得て付き合っている。


まあ、毎日ご飯を作りに陽葵ちゃんが来てしまうのだが、それは陽葵ちゃんが勝手に来てしまうので彼に罪はない。


「君のようなしがない会社員の息子が有力な経済界の重鎮の御令嬢とは無理だぞ?」


「か、関内さん。陽葵は先輩とん約束ばちゃんとお父さんに許可ばもろうて来た。やけんそっとしとっててくれん!」


「陽葵嬢、恋は盲目というが、この差を見て何も感じないのか?」


「差? 一体なんの事と?」


「この高級車を見て何も思わないのかい? その樹という男とでは一生乗れないぞ」


「え? これ高級車なんか? こげんちっちゃいとに?」


「は? ち、小ちゃい?」


関内は常識的には大型の国産の高級車を見てわからない事に驚いた。女性が車に疎い事は知っていたが、大きさ位はわかる筈だ。だから自身の車が小さいと言われて驚いた、まさにその時!


「お待たせしました樹様、申し訳ございません。首都高が思いのほか混み合っておりまして」


突然超大型の外国産のリムジンが校門に横付けされて一目で只者ではない慇懃無礼な男がただの平民の樹に頭を下げている。


「気にしないでください。俺達が約束より早く出てきてしまっただけじゃないですか?」


「いえ、そこも踏まえてこそのプロ。私は樹様専属の運転手として失格でございます」


「俺はただの小市民ですよ。そんなに気にしてもらうとこっちが恐縮してしまいますよ」


「ありがとうございます。そのお言葉でより誠心誠意お仕えさせて頂く意欲が出ます。__ところで」


視線を関内とその車に目を向けるとこう言い放った。


「この庶民が乗るような貧相な車は何なのですかな?」


途端に凍りつく空気。樹もこんな事態は想定しておらず慌てて顔を逸らす。


実は運転手は遅刻などしてはいない。さっさと二人を連れて目的地に送り届ける方が良いのだろうが、彼は自身の主の相模 樹の恋人である厚木家の御令嬢の事も把握済だ。


当然、主の恋が成就してもらいたいために敢えて芝居をうった。彼は決して失礼な男ではない。


ただ、失礼な男に容赦がない……という事と、プロ中のプロであるという事だ。


「な、なんだとぉ〜」


少し遅れて関内が声をあげる。


「そ、そんな馬鹿な!! 僕だってこんな車に乗ったことがない!!」


いや、何かの間違いに違いない。多分、厚木家の方の車だと結論付ける。


「さあ、樹様、陽葵様、辻堂様がお待ちです。こんな庶民は放っておいて早く」


そう言って二人はさっさと行ってしまう。


関内は疑問に思うがさっぱり理解が追いつかない。こんな馬鹿な事はないのだ。


こんな時、被害会うのは誰かというと……従僕達であり、既に彼の運転手は青い顔だった。


☆☆☆


「この、愚か共がぁ!!」


「た、大変申し訳ございませんぇん!」


関内は自業自得にも関わらず、従僕達を叱咤していた。最初は樹が小説家である事を察知でなかった従僕。


「お前はクビ! 退職金も年金も無しだぁ!」


「そ、それだけはお許しくださいぃ!!」


情け容赦ない関内は次々と従僕達にクビを宣言していった、それも退職金や年金も出さないと言い切った。もちろん、違法で、後日大変な事になる。


しかし、関内は気がつかない、多くの家の者がいる屋敷内で、従僕達に次々とクビを宣告する男がどう映ったのか? しかも、樹に卑怯な金持ち自慢をしてボロ負けして見苦しい事この上ない。


彼が後日懲らしめられる時にはたくさんの従僕や使用人達の目が証拠となるのである。だが、それは、後日……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る