79 外側



††ルフヘム王子††


 王城で起きた事件が王子の耳に届いたのは朝となってからだった。


「樹海に侵入者だと!?」


 樹海とはルフヘムの至宝が眠る豊穣の樹海というダンジョンのことだ。

 ダンジョンの深層に世界樹の若芽が手に入る階があるため、ここに入ることができるのはルフヘムの現王だけとされている。

 現王が世界樹の若芽を取り、それを後継者候補たちに育成の秘術とともに渡す。後継者候補たちは自身の世界樹を育て、王に選ばれた者は先王と他の後継者たちだった者が育てた世界樹を破壊し、最後の成長の糧にするというのが、ルフヘム王族の習わしだ。


 だがいま、ルフヘムではその習わしとともに王族そのものが崩壊の危機を迎えていた。

 王子が世界樹の育成に失敗したことを原因に暴走し、弟妹と彼らが育てていた世界樹を排除したのだ。

 その後で新たな世界樹の若芽を現王からもらうつもりであったのだが、ここでさらなる不幸がやってくる。

 豊穣の樹海に現王が入ってしばらくした後、国を覆う現在の世界樹が変調を見せ始めたのだ。

 常緑のはずの葉がところどころで紅葉を見せ、国内のあちこちで実る果実や野菜の味が悪くなった。

 世界樹の異変は即ちそれと契約している現王の異変だ。

 樹海の中で現王になにか異変が起きていることは想像するに容易いが、それを確認に向かうにはルフヘム王家の習わしが邪魔をする。

 樹海に入ることが許されるのは現王のみ。

 その掟が他の者たちが樹海に入ることを躊躇わせている。

 王子も掟を破って一度は樹海に挑んだが、力及ばず撤退することとなった。

 そして、そのことが原因で王の忠臣たちが現王派として城を占拠し、何者をも入れないという固い決意を見せて籠城することとなってしまった。


「誰が……」


 その声には焦りが宿っている。

 王子の立場は微妙だった。

 弟妹に手をかけた横暴も、現王が生きていればまた世界樹の若芽を手に入れることができるという思惑があってのものだった。

 現王は抜きんでた力を持つ故か家族を含めたあらゆる他者に対して冷淡で、王としての義務以上の感情を何者にも向けてはいない。

 弟妹を殺しても、それを理由に王子を罰するとは思えないと考えていた。

 一番下の妹であるフェフが生まれた後は女と交わるのすら鬱陶しいとでもいうように妃たちをみな遠ざけたことも、王子の考えを補強させた。

 そして、その考えは正解だった。

 現王は王子を罰さず、新たな世界樹の若芽を手に入れるために樹海に入った。

 しかしそれから、戻ってこない。

 そして世界樹の変調。


 今、ルフヘムという国は存続が危ぶまれている状況にある。

 そして、その元凶は、間違いなく王子である自分がしでかしたことだ。

 だが同時に樹海に入ることが許されるだろう王族もまた王子一人であるがゆえに、ルフヘム国民たちは王子を憎みながらも掟を破ることを恐れて、手を出せないでいる。


 ……しかし、そんな状況も崩れつつあった。

 王族が崩壊したのなら、早くに新たな王族を決めるべきだと主張し豊穣の樹海の開放と世界樹育成の秘密を求める庶民派という存在が現れたのだ。


「くそ……」


 なにもかもが裏目になってしまった残念な王子は、焦りだけが募って心が焼かれていく。

 樹海に入ったのは誰か?

 庶民派か?

 それとも……。

 王子は末の妹が生き残っていることを知らない。

 ナディがフェフたちと出会えたのは国外に逃げたエルフがいるという噂を調査した結果なのであり、王子はそんな噂があることさえも知らなかった。


「……行くしかないか」


 ここで考えていても樹海に入り込んだ者が誰かなんてわかりようもない。

 王子としての逆転の方法は現王が帰ってくるのを信じて庶民派からの攻撃にひたすら耐えるか、再び樹海に入って自身の手で世界樹の若芽を手に入れるかしかない。

 今の世界樹が無事なら、王子は大人しく待っていただろう。

 だが、世界樹の紅葉は止まる様子はなく、採れる果実や野菜の味の劣化も止まる様子がない。

 民の日々の不安が庶民派に力を与えている。待てば待つほどに王子は窮地に立たされることになる。

 我慢ができる性格であれば、そもそも弟妹を殺そうなんて考えるはずがない。

 王子は誰よりも権力に固執し、そして短気であった。


「行くぞ」


 自分の未来は自分の手で切り開く。

 それだけを見れば美しい言葉なのだが、王子のそれは自業自得が極まった末でしかなかった。



††フェフ††



 目を覚ました。

 ここは……テント?

 ああ、思い出した。

 十階のボスを倒して次の階層に入って食事休憩して……そのまま眠ってしまったのだ。

 両隣にはウルズとスリサズが同じように眠っている。

『風精シルヴィス』を使って風の流れで周囲を確かめると、テントの前でアキオーンさんが椅子に座っているのがわかった。

 不寝番をしてくれていたのかと思うと、罪悪感と情けなさが胸を打つ。

 自分は何をしているのだろう?

 ナディにルフヘムが危ういことになっていると聞いて、一度は揺れた心を自制した。

 だけどその後でアキオーンさんが世界樹の若芽や妖精祝福の木材を必要としていると聞いて、大義名分ができたと思ってしまった。


 同族の国から逃げ出して人間だらけの王国に来て、「どうしてこんなことに?」「どうして私が?」と理不尽を嘆き、兄を恨み、そして助けてくれないエルフを憎んだ。

 人間はただただ恐怖の存在でしかなかった。

 どうやって生きていけばいいのかさえわからなかった。

 そんな中で手を伸ばしてくれたのがアキオーンさんだ。

 あの人がいなければ私たちはすぐに飢え死にしていた。

 あるいはもっと早くに正体がばれて、奴隷にされたり、あるいはもっとひどい運命が待っていたのではないかと思う。


 だから、アキオーンさんに恩返しをしたいのは本当。

 だけど、恩返しに国に帰るという大義名分を見つけ出したのも本当。


 国に戻って何がしたいんだろう?

 ナディの態度がおかしいことに気付いて、アキオーンさんがドワーフの国で情報を集めてくれて、スリサズがその目で状況を調べてくれた。

 とてもひどい状況なんだとわかった。

 まさか、今の世界樹が病気になるなんて。

 アキオーンさんはわからなかったみたいだけれど、フェフたちはルフヘムに入って異変に気付いた。

 地面に落ちている落ち葉の数が異常なのだ。

 手入れされていないという話ではない。そもそも、世界樹の葉はちぎり取らない限りはそうそう落ちるものではないのだから。

 この国は終わりが近づいていると、はっきりわかった。


 国に戻ると決めた時に、自分が女王になる可能性を考えた。

 始まったばかりだったアキオーンさんとの生活が終わってしまうのだと考えると、寂しくてたまらなかった。

 知らないふりして王国でアキオーンさんと楽しく暮らせばいいんじゃないかと考えた。

 彼はいまだに相手にしてくれていないが、もう少し頑張れば自分たちだってちゃんとした成人女性なんだとわかってもらえると思っていた。

 そういうことを全部放り出してまで、ここに来る必要はあったのだろうか?

 私はそこまでして、この国のためになにかしないといけないのだろうか?


「起きたのかい?」

「すいません」


 もぞもぞとテントから這い出すと、アキオーンさんはすでに気づいていて、私のためのコップを用意してくれてそこにお茶を淹れてくれた。


「ご飯はみんなが起きてから」

「あの、私はもう大丈夫ですからアキオーンさんが寝てください」

「ん~、ちょいちょい休んだから大丈夫だよ」

「でも」

「ちょっとね、コツがあるんだよ。西の街のダンジョンは一人で潜っていたからね。その時に身に着けたんだけど」


 大丈夫を繰り返されて、フェフは引き下がるしかなかった。

 もうしわけない。

 そう思っていると、涙が出てきた。


「あんまり気負う必要はないと思うよ」

「え?」

「どれだけ頑張っても無理なものは無理なんだよ。それが能力的なことなのか性格的なことなのかはそれぞれだろうけどさ」


 アキオーンさんが乾いた笑いをこぼす。


「俺だってふとしたことでこんなに強くなったけど、だからって率先して人助けとか英雄とか勇者みたいなことをしようとか思わないもの。なんでいままで助けてもくれなかった人のことを助けないといけないんだって、そう考えるのってそんなに異常なことじゃないんじゃないかな?」

「でも、私たちを……」


 それに街の子供冒険者たちにだって薬草を高く買ったりして……。


「フェフたちに声をかけたのは、本当にたまたま気分がそういうのに傾いていたからだよ。あれがもしも、最初から『国から追われたエルフです』みたいな看板を下げられていたら俺も逃げてたと思うよ。あの頃はまだそんなに強くなかったしね。後、子供たちに関してはちゃんと俺が儲かる算段をしてるからね?」

「でも、いまは……」

「ちゃんと、俺が得する話じゃない。それに……」

「それに?」

「いまはもう、フェフたちは他人じゃないからだね」

「っ!」

「家族なんでしょ?」

「うう……」


 涙が止まらなくなった。


「ここまで来たんだからさ。やることはやっちゃおう。世界樹の若芽を手に入れたからってもう一回王族をやる必要はないさ。他に欲しがっている連中はいるんだから交渉材料にしてもいいんだし」

「……はい」

「さて……ウルズとスリサズももう起きてるよね? ご飯にしよう」


 アキオーンさんが後ろに声をかけると、びくんとテントが震えた。





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