失ってから気付くモノ
ドカッと椅子に座ったブレントは、まず打撲した腕を差し出してきた。パトリシアは、すぐに痛々しい怪我を治してゆく。
「……こんなはずじゃなかった……油断してただけだ。次に試合をしたらオレが絶対……」
ぼそぼそとブレントが何か言っている。パトリシアに向けてというよりは、自分に言い聞かせるような感じだったので、パトリシアは黙って治癒魔法を続けた。
「でも……次の機会はもう来ない……」
「ブレント様……」
ブレントの声が僅かに震えている。泣いているのかとパトリシアが顔を上げると、そっぽを向かれてしまったのでその表情は伺えなかった。
「……もしかして、入学式の日にオレを治癒魔法で助けたのも、オマエなのか?」
先程のパトリシアの証言を聞き、気付いたのだろう。今さら隠す理由はないのでパトリシアは頷いた。
「そうですよ」
「言えよ!!」
すごい勢いでつっこまれたが。
「あんな状況で自分が治癒したと言っても、カレンさんの手柄を横取りしようとしていると言われてしまいそうで怖かったんです」
「それは……そうかもしれないが……」
素直に答えると、またブレントはなにかモゴモゴと言った後黙ってしまう。
それからパトリシアも黙々と治癒魔法を施し、治療は完了した。
「終わりましたよ」
「ああ……」
「……では、わたしは戻りますね」
そっとしておいてほしいかと思いそう言ったのだが。
「待て!」
「っ!」
呼び止められ、手を掴まれると、そのまま抱きしめられてしまった。
椅子に座っているブレントと立っているパトリシアでは、抱きしめられているというよりは、抱きつかれているといった表現の方があっているかもしれないが……
「オレは……オマエの事、嫌いじゃなかった」
「え……」
「魅了の魔法にさえ掛からなければ、オマエを聖夜祭に誘っていたしっ、それからっ……」
上目遣いで見つめられると、いつもよりブレントが幼く見える。
「それから、オマエと婚約破棄なんてしなかった!」
そう宣言するように言われ、パトリシアは驚いて目を丸くした。
けれど、少し考え込んだ後「……それは、どうでしょう」と呟く。
「パトリシア?」
「だって、ブレント様は、魅了の魔法に掛かる前から、カレンさんと親しかったじゃないですか」
「そ、それは……」
痛いところを突かれたからか、ブレントは視線を泳がせる。
「だから、魅了の魔法は関係なく、ブレント様がカレンさんを選んだ可能性だって」
「そんなことはない! 魔法がなければオマエを手放したりはしなかった! あれは……火遊びみたいなものだ」
それぐらい許せ、と自分勝手に不貞腐れたような態度で言ってくるので、思わずパトリシアは笑ってしまった。
相変わらず、困った人だと。
「……わたしも、嫌いじゃなかったですよ。ブレント様のこと」
「っ!」
口も性格も良いとは言えないかもしれないけど……少し憎めないところもあったから。
政略的とはいえ、何年も婚約者だった相手だ。それぐらいの情はある。
「でも……」
「でも、なんだよ……」
「これでよかったんだって、わたしは思っています」
「よかっただと? オレたちの婚約がなくなるんだぞ!」
いいわけないだろうと、ブレントが捲くし立てる。
「ああ……そうか、オマエも所詮王妃という地位が目当てか。ふん、今度は王太子になったサディアスへ早々に乗り換えるつもりなんだろ!」
パトリシアは責めるようなブレントの言い様にも怒ることなく、あっさりと答えた。
「王妃とか王太子という立場には正直興味ありません」
「は……?」
「だから、たとえ今日の試合でサディアス様が負けても、わたしが彼に惹かれる気持ちに変わりはないです」
「なっ、なっ!?」
ブレントは、怒りからか顔を赤くしてワナワナと震える。
「あんな男のどこがいいんだよ!」
「全部です。わたしに見せてくれた彼の全て」
「根暗で、人望もなく、いつも澄ました顔の、いけすかないあんな男がか!」
「いいえ、思いやりがあって、強くて、笑顔が素敵な彼が好きです」
サディアスを小馬鹿にするように言い放ったブレントへ、パトリシアは真っ直ぐにぶれることのない思いを伝えた。
「…………」
その瞬間、黙り込んだブレントの瞳に絶望の色が滲んだように見えたのは気のせいだろうか。
「オマエはずっと……そんなアイツを思い続けていたというのか」
気持ちを自覚したのは最近で、いつから彼に惹かれていたのかと問われても分からないけれど。
「わたしは……ずっと婚約者として、ブレント様と向き合ってきたつもりですよ。少なくとも、あなたがわたしの手を離すまでは……」
「っ!」
パトリシアが婚約者として自分に歩み寄ろうとしてくれていた想いを、自分は何度も蔑ろにした。その自覚がないとは言えないブレントは、バツが悪そうに顔を背ける。
「もういい! 聞きたくない! オマエとなんて婚約破棄して正解だった!! あっちに行け!!」
ブレントは、高圧的な態度でパトリシアを追い払う。
「分かりました……」
なんだか、ケンカ別れみたいになるのは悲しい。
恋人とは違って、友人とも言えなくて、お互いにうまく歯車が合わさらないまま終わってしまった関係だったけれど……笑いあったり、楽しかった思い出がなかったわけじゃないから。
「ブレント様。今まで、ありがとうございました……さようなら」
「っ……」
恨み言一つ言わずに、パトリシアは、穏やかな顔をして部屋を出ていったのだった。
「本当に行くなよ……バカ」
結局最後まで、彼女はブレントを怒ったり責めたりしなかった。
今まで自分がしてきたこと、洗脳されていたとは言え酷いことをした今回のことを思えば、なじられても当然なはずなのに……本当は、自分の方こそ今までの謝罪と感謝を伝えるべきなのに……
そんな彼女の態度が、余計にブレントの心を焦がした。
「クソッ…………魅了の魔法さえなければ、オレは本気でオマエを手放したりなんてしなかった。絶対に……っ」
そうしたら彼女は今でも自分の隣で笑ってくれていたのだろうか。
それから気を引こうと意地悪なことばかりしてないで、もっと優しくしてやれば……こんな出来事ぐらいでは崩れない信頼関係を築けていたのだろうか。
そうしていれば、サディアスなんかに……
今更後悔しても、なにもかも遅い。
ブレントの頬に涙が一筋勝手に流れた。
自分から手放してしまったものが、そばに居るのが当たり前で蔑ろにしていた関係が、自分にとってこんなにも大切だったことに今更気付いて……
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
会場に戻ると王位継承権一位になったサディアスの挨拶が始まっていた。
パトリシアもひっそりとクラウドの隣の席へ戻り、サディアスを見守る。
「ここにいる皆さんは、もうお気づきでしょうが、私は闇属性を持ち生まれてきました」
その言葉を聞いても、もう会場にざわめきは起きない。皆、静かに彼の話に耳を傾けていた。
「伝承で言えば、私は国に災いを呼ぶ禁忌の存在になるのでしょう。この試合の結果にも様々な意見が出る事は、覚悟の上です。今日から全員に容認しろと言うつもりはありません。ただ、いつか王位を継承するその時までには、信頼を得られるよう王太子として恥じぬ行いと態度で国民の不安を払拭できるよう精進いたします」
臆することなく最後まで言い切ったサディアスに、ちらほらとだが拍手が上がった。
彼の言う通り、いきなり全員の支持を得る事はできなくとも良い。きっとサディアスなら、いつか誰もが認める王となれるに違いないと信じながら、パトリシアはクラウドと一緒に心からの拍手を贈った。
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