【秋・恋の攻防編】昼休みの口約束
次の日、パトリシアは憑き物が落ちたようにすっきりと目が覚めた。
ミアとリオノーラは心配してしばらく学院を休んではどうかと提案してくれたが、パトリシアはそれにお礼を言って大丈夫と答えた。
これからもマクレイン家の令嬢として生きてゆくと決めたからには単位を落とすわけにはいかない。
クラウドとリアムはそんなパトリシアの気持ちをくみ取ってくれたのか、気を付けて行ってきなさいと温かく送り出してくれた。
「パティ、おはよう」
学院に着くと今日もマリーが心配してか「一緒に学院に行こう」と馬車乗り場の近くで待っていてくれた。
「おはよう、マリー」
パトリシアが思っていたよりも元気だったからか、マリーはほっとしたように笑った。
それから、昨日の話を少ししながら学院へ続く並木道を二人で歩いていると。
「ほら、見てあれ」
「今日も一緒なのか、あの二人」
生徒たちのひそひそとした話し声に反応して視線を向ける。するとその先には、昨日同様ブレントと彼の腕にしがみ付くように腕をからめ仲睦まじく歩いているカレンの姿があった。
「パティ……」
マリーは少し表情を曇らせパトリシアの制服の袖を引っ張る。
けれどパトリシアの気持ちは昨日とは全然違っていた。
「わたしは大丈夫よ」
ブレントと少しずつ築き上げてきたつもりだった関係を思うと寂しさや虚しさのようなものは感じる。けれど、昨日までの恐怖や絶望感はなにも襲ってこない。
教室に着くとカレン信者や一部の噂好きの生徒たちからの冷たい目はあったけれど、思っていたよりもパトリシアに対し変わらず接してくれる生徒の方が多かった。
特にマリー含め仲良くしていた子たちは、パトリシアが人を突き飛ばしたりするはずないと信じてくれているようだ。
昨日はこの世の終わりのような気持ちでいたけれど、自分が思っていたよりも自分は孤独じゃなかったという事実がくすぐったくもあり嬉しかった。
昼休みになりどこで食べようか迷っていると、マリーから今日は花園の奥にある山小屋風の第三食堂に行ってみようと誘われた。
校舎からは少し離れた場所にあり外を歩かなくてはいけないので、寒い時期はあまり生徒が寄りつかず穴場だとバレットから聞いたらしい。
マリーはなにも言わないけれど、ブレントやカレンと鉢合わせないように気を使ってくれているのだろう。
「今日は天気もあまりよくないから、貸し切りかもしれないわね」
ぽつぽつと小ぶりの雨が降る中、防水加工のされた外套を纏い二人は楽しそうに小走りで第三食堂まで向った。
そして着いた山小屋風の食堂は、貸し切りとまではいかなかったがポツポツと数人の生徒がいるだけで席も選び放題だ。
ここは貴族の学院にしては風変わりな下町の食堂をイメージして作られたらしく、置かれているメニューも家庭的な料理が多くて新鮮な気持ちになる。
パトリシアは少し冷えた身体を温めるためクリームシチューとラクレットをのせたトーストにプラスサラダのセットを頼んだ。
「さあ、席に行きましょう」
煮込みハンバーグセットを受け取ったマリーに「こっちよ」と窓際の席を案内されたが。
「やあ、マリー。それにパトリシア嬢、お久しぶりですね」
そこにいたのはバレットと。
「こんにちは、パトリシア嬢」
「こ、こんにちは……」
昨日のことなど何事もなかったかのように、口元に笑みを浮かべるサディアスだった。
(なんだか、気まずい……)
そのまま、食堂で会ったサディアスとバレットと、当たり前のように一緒に昼食を取る流れになってしまった。
もちろんマリーはバレットの向かいに座ったので、パトリシアはサディアスの向かいに座るしかない。
(……こんなことなら、今朝会いに行って昨日の態度を謝っておけばよかったかも)
シチューをスプーンですくいながらちらっとサディアスの様子を窺うが、いつも通り彼の表情は口元でしか察せられない。
そんなパトリシアの気まずい気持ちを知らないマリーは、先日女子寮で起きたお化け騒動の話を始めた。
「お化けではないと思っていたけれど、泥棒や人攫いだったらどうしようってすごく怖かったわ」
「女子寮の方が騒がしかったと耳にしていたが、そんなことがあったのか」
「それでね、結局お化けの正体は夜な夜な恋人の部屋に通うためバルコニーをよじ登っていたオリバー様だったの」
「えぇ!?」
予期せぬクラスメイトの登場に思わず声をあげてしまった。
「そういえば、今日も彼の姿を見ていないような」
「謹慎中なのよ」
最近は、色々あったせいもあるが、同じクラスの人のことなのに、さっぱり気付いていなかった自分の疎さに少し恥ずかしくなる。
とはいえ学院祭ではマリーに振られていたオリバーにも新しい恋人が出来ていたようでなによりだ。
「お相手は隣のクラスのシンシアさんよ」
「ああ……なるほど」
パトリシアは思わずマリーの胸元に視線をやり頷いた。
シンシアは何度か複数人の友人を集めたお茶会でご一緒したことがある。顔立ちは涼やかな美人といった雰囲気で癒し系のマリーとは似ていないが、その豊満な胸元はマリーにも引けを取らない。
なんとなくオリバーの好みが透けて見えた気持ちになった。
「彼女は怒った両親に実家へ呼び戻されかけて大変だったみたい」
結局はオリバーが彼女に結婚を申し込み責任を取るという形で許してもらえたらしいけどとマリーも苦笑いを浮かべている。
「でも、危険を冒してまで会いにきてくれるっていうのは、ちょっと素敵かも」
「そうなのかい? では僕も今度バルコニーからマリーの部屋に会いに行こうか」
「もう、なに言ってるんですか。規則違反はダメですよ」
そう言いながらもマリーは頬を染めちょっと嬉しそうだ。微笑ましい。
「パトリシア嬢も、憧れますか? そういうことに」
サディアスに聞かれパトリシアは少し考えた。
思い返せば自分は、そういう甘酸っぱいような恋愛を楽しんだことがない。
そう考えると、憧れのような気持ちはある。
「そうですね。なくはないですけど」
「ふーん……では、俺も今夜パトリシア嬢の部屋に忍び込んでみましょうか」
「ゴホッ!?」
隣の二人に便乗するようにサディアスがおかしなことを言ってきたせいで、パトリシアがむせる。
「な、何言ってるんですか」
「大丈夫。こう見えて、隠密行動は得意なので。マクレイン侯爵家の警備をかいくぐって、こっそり君を連れ出せる自信もありますよ」
「サディアス様ったら、またご冗談を」
本気なのか冗談なのか正直分からなかったが、サディアスからの夜遊びの誘いは少し楽しそうだと思ってしまった。
「……もし、冗談じゃなかったら?」
彼からの問いかけにパトリシアは、うーんと少し思案してから。
「ふふ、本当にわたくしの部屋まで忍び込めたら、そのお誘い受けても良いですよ」
と、冗談で返すように答えてみた。
「言ったね」
「え?」
ボソリと呟いたサディアスの口元に、一瞬不敵な笑みが浮かんだ気がする。
だが、そんな彼の様子を伺う前に、ふと別の視線に気づき横を向くとマリーとバレットがいつの間にかこちらを見ていた。
「うふふっ、お二人ってそんなに親しい間柄だったの?」
マリーはなぜかニコニコしていて。
「サディアス様にも意外と情熱的な一面があったのですね」
バレットも面白いモノを見るような目をしている。
なぜか分からないけれど、そんな二人からの視線で落ち着かない気分になったパトリシアは、しばらく無言でシチューを味わう事に集中して、気恥ずかしい気分を紛らわせた。
「そうだね。もう、自分を偽るのは止めにしようと思って」
サディアスは、二人の冷やかしにも動じず、なぜか楽しそうにそう答えていたのだった。
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