お気に入りの時間

 時は過ぎ、今年でパトリシアも十五歳になる。学院の入学まであと一年だ。


 本格的になった王妃教育などで忙しくもあるが、毎日とても平和だった。このまま何事もなく大人になりたいと願うほどに。

 しかし……聖女の刻印は今だパトリシアの身体のどこにも現れてくれない。


 それでもパトリシアは毎日大聖堂で祈りを続けていた。それから……




 皆が寝静まった頃を見計らっての秘密の特訓も続け、コツコツと最悪なシナリオに突入した際に追手をなぎ倒し逃亡するため戦闘力を高めていた。


 特に今夜は部屋で少しずつ練習していた魔法を外で実践するべく、気合を入れ深夜にこっそり部屋のバルコニーへ。


「よ~し」


 気合を入れたパトリシアは頭の中に叩き込んだ魔法陣を思い描き、そこに自分の魔力を流し込むイメージを浮かべた。

 するとイメージ通りの魔法陣が足元に浮かび上がり風圧により地面から足が離れる。ここまでは部屋で何度も練習した通り。


そして勢いをつけると宙を蹴り上げるようにしてバルコニーから飛び出した。


「うわっ、わわっ!?」


 最初はうまくバランスが取れず手足をバタつかせたり、風に煽られぐるんぐるんと空中を回転してちょっぴり気持ち悪くなったが、徐々に慣れてきて直立のまま浮遊できるようになった。


「やった! わたし、空を飛んでる」


 思わず感動してしまった。まさかこの身一つで空を飛べるようになるなんて、これはファンタジー世界に転生したおかげだと、はじめてテンションが上がった出来事かもしれない。


「ふぅ、でもまだ長時間の浮遊は難しそう」


 どんどん自分の中の魔力が足元の魔法陣に吸い取られてゆく感覚がある。

 魔力が欠乏した瞬間地面に真っ逆さまなので、余力があるうちに部屋に戻った。


「練習が必要ね」

 もっと速くそして遠くまで飛べるようになれば、断罪され捕まりそうになった際に逃げ切れる確率がぐんと上がる。


「あとは、攻撃された時の防御に使える風の壁もマスターしたいけど……」


 治癒魔法に関しては魔法陣など使わなくても幼い頃から使えていたので知らなかったが、魔法陣なしで魔法を使える人間は普通ではないらしい。


 それだけパトリシアは光魔法の才能に恵まれていたという事だが、風魔法に関しても同じとはいかなかった。


 独学で色々勉強しているが、最近は独学の限界を感じ始めている。


 特に内緒の訓練なのでクラウドに魔法の家庭教師を頼む事もできないし、魔術書は高いのでこっそり何冊も買えるものじゃない。


「とりあえず、今日はもう寝よう。明日はお城に行く日だし」


 気を取り直すと、パトリシアは寝間着に着替えふかふかの天蓋付きベッドに潜り込んだのだった。






(なるほど。より強い防御壁を作るにはやっぱり魔力の量が必要なのね。それから、どれだけ効率よく魔法陣にそれを流し込むか……集中力も必要)


 今日は月に二回義務となっている婚約者とのお茶会の日。


 パトリシアは毎月この日が楽しみだった。それは婚約者のブレントに会えるから……なんて可愛い理由ではなく、お茶会の時間より早めに行くと時間まで書庫の貴重な文献や魔術書を読ませてもらえるからだ。


 表向きは聖女としての勉強のためと言う事にしてあるが、最近熱心に読み漁っているのは風魔法を使いこなすための専門書。ここでなら無料で読み放題なので、とても助かっている。


「滝に打たれながら精神統一の修行でもしてみようかな」

「そんな聖女聞いたことありませんよ」


 集中力を高める方法に想いを馳せていたパトリシアは無意識のうちに独り言を口にしていたらしい。

 いつも積極的には話し掛けてこないサディアスに指摘されてハッとする。


「わたくし声に出してました?」

「ええ」

 サディアスは「自覚なかったの?」と笑うと、それ以上なにも言う事はなくまた自分の読んでいた本に視線を戻す。


 パトリシアが使用を許されているこの書庫は、基本的に王家の一部の者しか入ることの許されていない小部屋なので、いつも顔を合わせるのはサディアスと書庫を管理している司書の女性二人だけ。


 サディアスはこの部屋に一つしかない長椅子の右側が特等席。パトリシアがお邪魔するときは長椅子の左側に座らせてもらっている。


 彼はパトリシアが見ても読み解けないような古代文字で書かれた難解で分厚い書を読むのにいつも没頭している。


 少し気になるけれど、こちらの読んでいる本に対し詮索しないでくれるので、パトリシアもサディアスの読んでいる本の内容を詮索することはない。


 王位継承権の順位を決めた決闘前、今の状況が悔しいと気持ちを露わにしていた人とは別人のように、彼は皆の噂通りの王子に戻っていた。

 だからパトリシアもあの日の会話にはあえて触れない。


 彼の心に燻っていた思いがどうなったのかは分からないけれど、なにはともあれこの静かなひと時は、パトリシアにとってお気に入りの時間だ。


「あら? その指どうしたんですか?」

 チラッと目に入ったサディアスの右手の中指と人差し指に、包帯が巻かれていることに気付いてパトリシアは、思わず声を掛ける。


「ああ……ちょっとした不注意で」

 なんとなく言葉を濁すサディアスを見て、理由は分からないが触れてほしくなかったのかもと察した。


「突き指ですか?」

 だがほっとけなくて聞くと、そうだとサディアスは頷く。だから大したことはないのだと。


「利き手じゃ不自由でしょ。それぐらいなら、すぐに治癒できますよ」

 本当は婚約者のブレントの許可なく、他人に治癒魔法を使うことは禁じられている。

 これは王命で、そうでもしないと治癒魔法目当てで聖女に人々が群がる事態となるからだ。


 でも、ここにはブレントに告げ口するような人もいない。

 だから、そっとサディアスの手に触れようとしたのだが、彼は指先が触れた瞬間に手を引っ込めてしまった。


 もしかして、自分に触れられるのが不快だっただろうかと、パトリシアはサディアスの様子を伺ったのだが。


「……すみません、つい」

 なぜか少しだけ頬を赤らめたサディアスが、気まずそうに顔をそむける。

「イヤでした?」

「そういうわけじゃないけど……やっぱり大丈夫です。もう治りかけなので」


 そう言われたら無理強いもできないので、パトリシアは「分かりました」と頷いた。


「パトリシア様、そろそろお時間です」

 再び書籍を読み始めてすぐお茶会の時間となり、いつものようにジュールが迎えにやって来た。


 まだ読みたかった続きは次回に持ち越しかと少し残念に思いながら、パトリシアはサディアスにお辞儀をして書庫を後にしたのだった。




「はぁ……何やってるんだろう、俺」


 彼女が婚約者に会う日のほんの一時だけ、ここに来れば彼女に会える。

 だから毎回、彼女とただ並んで読書をするためだけに、サディアスは図書室へ足を運んでしまうのだ。


 会ったって空しくなるだけだと分かっているのに。

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