第6-30話 いざない 

 神在月から派遣されたタクシーの中で、記憶をさかのぼった。


 昨日の夜、蒼穹の魔女はリンちゃんから奪ったもので何をあげただろうか?


 警戒心、《ゲーム》を口外する権利、左目の視覚、左腕の感覚、彼女自身の魔力。


 それはルネが覚えていたものだ。他には? 


 ――異界に関する記憶、父親の魔力、生殖能力、《ゲーム》の


「…………」


 思い返す。

 思い返してみれば、ファミレスで初めてルネと出会った時、彼女は一方的に《ゲーム》をしかけ、賭ける内容まで決めてこなかっただろうか。


 あれが《ゲーム》の参加料を決定する権利に基づく態度で、それによってリンちゃんから好き放題奪っていたのだとしたら。


「……リンちゃんから奪ったものを返した、か」


 小さく呟く。その呟きは自動車の走行音にかき消される。

 おそらく、そこに嘘はない。本当にリンちゃんから奪ったものを、あの魔女は返したのだろう。


 だが、そこに――大和さんから奪ったものは含まれていなかったとしたら。

 大和さんが何らかの方法であの異界にたどり着き、ルネもしくはシエルに敗北したことで意識に該当するような何かを奪われたとしたら。


 それは大和さんから奪われたものであって、リンちゃんから奪ったもの


「………………」


 印術シンボリックのルールは絶対だ。

 互いに契約を結べば、術者が死んだとしても契約内容は履行されるほどに。


 だから、シエルは本当にリンちゃんから奪ったものを返したのだ。

 彼女から奪った――大和さんの魔力を。


 おそらく《ゲーム》の参加料を決定する権利を使って、リンちゃんに父親の魔力を賭けさせたのだろう。どうやって彼女に魔力を賭けさせる理由付けをしたかなんて想像もつかないが、それくらいの頭が回りそうな相手だ。


 ぎゅ、と拳を握りしめる。


 ここまでは、全て俺の仮説だ。確証なんてない。


「イツキさん。着きましたよ」

「ありがとうございます」


 俺がそう言うと、タクシーの扉が開いた。


 到着したのは病院。

 大和さんが入院している病院だ。


 タクシーの料金は神在月アカネさんが払ってくれるので、それに甘えて車から降りる。ちゃんと忘れないように左で楽器のケースを持って外に出ると、午後の日差しが強く差し込んだ。肌を突き刺すような太陽光を防ぐのも忘れて俺は病室に向かって走る。向かう先は503号室。


 そういえば、最初にこの病院でリンちゃんから教えてもらった。


 彼女の父親は3年前に戦ったモンスターに魔力を奪われたのだと。

 その時から、ずっと寝たきりなのだと。


 だから俺は、てっきり魔力を奪われたから意識を失ったのだと思っていて。


 けど、その魔力を賭けたのはリンちゃんで――。

 

「…………」


 ――いや、待て。違う。

 

 大和さんが奪われたものが1つだと決まったわけじゃない。

 昨夜、俺が《ゲーム》に参加した時、チップとして魔力を賭けた時は分割した。1枚につき5%がルネに移っていくというルールだった。


 だったら、大和さんが魔力を奪われたというのも本当なのではないのだろうか。

 奪われたのは、意識と一部の魔力。けれど、リンちゃんがルネから『父親の魔力を奪った』と聞かされていたらどうだろう。そうすれば――魔力を取り戻せば、意識も戻ると思ってしまうのも当然ではないのだろうか。


 だから魔力を取り戻せば全て元通りになると思っていたのではないだろうか。


 嫌なことに、そう考えたらどうにも道理が通ってしまう気がした。


 扉を破るような勢いで病室に入ったら、リンちゃんがいた。

 リンちゃんだけではない。他には医者と看護師が集まっている。ベッドの端には、ひどく疲れた顔をした女性が立っていた。その顔がリンちゃんにそっくりだったから、彼女の母親なのだろうと思った。


 新しくやってきた俺をリンちゃんと彼女の母親が見る。

 医者と看護師は俺たちに目も向けず、倒れたままの大和さんにつきっきりになっている。


「先輩。来てくれたんですね」


 ゆっくりとリンちゃんが俺を見る。


「リンちゃん。時間がない。こっちに来て」

「……はい」


 そう一言、声をかけて俺はリンちゃんを病室から外に連れ出す。

 廊下を歩きながら人がいない場所を探して歩きながら、短く言った。


「多分、もう気づいてると思うけど……大和さんから奪われてたのは、魔力だけじゃなかった。だから、目を覚まさないんだと思う」

「……それは」


 小さくリンちゃんが物を考えるように呟いて、おずおずと頷いた。


「そう、ですよね。だって……そういう、ことですもんね」


 受け入れたくない現実を受け入れるように、リンちゃんはゆっくりとそう言った。

 昨日、泣きはらした目は真っ赤になっていて、それでも彼女はぐっと現状を飲み込むように拳を握りしめた。けれど、その拳はすぐにほどかれる。


 それは、やるせない怒りや悲しみが溢れ出して、そうだというのに、どこに感情を向ければ良いか分からなくなってしまった彼女そのものに見えた。


 看護師や医者とすれ違いながら、俺はずり落ちそうになるケースを持ち直してリンちゃんに言った。


「だから大和さんから奪ったものを取り戻さないといけない。――あの魔女から」

「でっ、でも……!」


 俺がそう言ったら、リンちゃんは待ったといわんばかりに声をあげた。


「でも、私は……ルネさんに勝ったことなくて。いっ、一回もですよ!? 先輩は出禁に、なっちゃって……」


 口を開いてから、どんどん声が小さくなっていくリンちゃんは「それに!」と言って続けた。


「私は昨日、初めてシエルって人がいるんだって知ったんです。それまでずっと管理している人がいるのっては、気づいてましたけど……でも、声を聞いたのはあの時が初めてで。そ、そんな状態なのに、あの魔女はお父さんから奪ったものを返してくれると思いますか!?」

「返してもらうためには《ゲーム》で勝つ必要があると思う」


 俺はそう言ってから、ようやく誰もいない非常口を見つけた。


「でも、リンちゃんが行ったら出てくるよ。絶対に」

「どうして、そんなことが分かるんですか……?」

「僕を出禁にした次の日だよ。これはね、。リンちゃんに、来いって」

「それは……」


 そこまでは考えが及ばなかったのか、俺が言ったことを意外そうに受け止めたリンちゃんは「そうかも……」と、聞こえるか聞こえないくらいのギリギリの声量で呟いた。


「だから、行けば出てくる。ただの《ゲーム》じゃ釣れないかもしれないけど、戦いたい《ゲーム》の内容だって向こうが決めてくれるよ。そうじゃないと誘ってこない」

「だ、だったら……どうすれば良いですか?」


 ここまでの道理は複雑だった。


 けれど、この先――やることは単純だ。


「勝つんだよ、あの魔女に」


 俺はそう言って、非常口のドアノブを掴んだ。

 掴んでから、異界を念じる。


 その瞬間、ゔん、と重たい音を非常口が立てた。


 それをゆっくりと引けば、昨日の繁華街が扉の先にあった。

 俺ができるのはここまでだ。異界の門をつなげることしか出来ない。


「――1人でね」


 そう言って俺は手を伸ばしたけれど、まるで透明な壁に阻まれるかのように空中で手が止まった。

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