19,φ 忘却の海 Stigma

 アイを中心に空を割く光の柱が立ち上っていた。

 柱の周囲に巨大な一対の黒い翼が空を覆い、空から黒い羽が街に降り注ぐ。

 地上の人々が黒い羽にふれると肉体を液状化され、魂を物質化されていた。

 物質化された魂は光の柱に吸い込まれてゆく。

 アイの胎内に魂を吸収された人間はアイによって再び新人類として生み直される。

 それがアイの計画らしい。

 アイはこのまま黒い翼でセカイ全てを包みこみ、このセカイを終わらせようとしているのだった。


「止めないと……」


 いつのまにか”恐怖の語り手テラー・オブ・テラー”を名乗る女学生は消えていた。

 あいつが何者だったのかはわからない。

 今回の出来事の黒幕だったのか……しかし、今はどちらでもいい。

 アイを止めなければならない。それは間違いない。


 今、黒咲の目の前にはアイを包み込む”光の柱”の根本がある。

 この内側にアイがいるはずだ。

 幸い、自分だけは”黒い羽”に攻撃されていない。アイは黒咲以外の人間を絶滅させようとしているのだ。

 だからこそ、自分だけはアイに安全に近づくことができるはずだった。

 ならば選ぶしかないのか。


 全人類セカイの存亡と、アイの願望。

 どちらをとるか。


「……くそっ、迷ってる暇はねぇ」


 こうしているあいだにも人間たちが犠牲になっている。

 身体を溶かされ、魂をアイに喰われ続けているのだ。


「アイ、待ってろ、オレがとめてやるからな!」


 黒咲は意を決し、光の柱に突撃した。

 しかし――バチン、と身体を弾かれる。


「くっ……バリアってワケか……!」


 光の柱はアイを守る防御障壁バリアとなっているようだった。


「オレにも邪魔させないってワケかよ……」

「苦戦しているようじゃな、D616」

「何――!?」


 その時だった。光の壁に幾重もの光線が着弾し、爆発した。

 「うわっ……!」衝撃波で吹き飛ばされる黒咲。

 その身体を何者かが空中でキャッチしたのだった。


「なんだ、オレ……浮いてる!?」

「オヌシではない。ワシの能力じゃ」

「お前は……さっきの幼女!?」


 みると、黒咲の身体を片手で持ち上げているのは幸田のアパートを尋ねる際に道を教えてくれた、公園の金髪女児だった。

 彼女はフン、と呆れ顔で、


「幼女言うな。A913、と言えばわかるな?」

「Aクラス……お前”ファウンダリ”の”V.S.P.”なのか!? それも最上位だぞ!?」

「人を見かけで判断するとは、まだまだじゃのう」


 幼女……A913はやれやれと首を振った。

 その瞬間、周囲を舞う黒い翼が向きを変え、A913に向かって高速で飛来した。

 A913は黒咲を構えながら宙を舞う。

 「う、うおぉ」重力を無視した移動に黒咲の胃の中が逆流しそうになる。


「攻撃に反応した自動防御システムのようじゃな。なるほど、”超生物”に恥じない性能をしておる」


 A913は冷静に分析しつつ、縦横無尽に宙を舞い黒い羽の攻撃をかわしてゆく。

 それだけではない。

 攻撃を避けた瞬間に身体から発せられた”光線”が羽を貫いてゆくのだ。


「すげぇ……」

「感心している場合ではない。攻撃をかわすのが精一杯――このままではジリ貧じゃ。事態を収拾したいのであれば、本体を倒すしかない」

「本体を……」

「オヌシは攻撃対象になっていない。あの光の柱の中には入れぬのか?」

「さっき弾かれた。アイはオレも拒絶しているんだ」

「……本当に、そうか?」


 A913は上空に高く舞い上がりながら言った。


「オヌシはあの”I666”に選ばれた男じゃ。拒絶しているのは、オヌシのほうではないか?」

「オレが?」

「この世界をとるか、”I666”をとるか。オヌシは選択していない。故にあの光の壁を超えられない。ワシにはそう視えた」

「……オレは」

「まあいい。別にどちらでも構わぬ。”殲滅能力”ならばまだワシのほうが”I666️”よりも上のようじゃからな。フルパワーで攻撃すれば完全に消滅させることができるじゃろう。しかし……この街、いや周囲の地域を含むかなりの範囲が犠牲になるが」

「なに……?」

「”I666”は身体の一部でも残せば再生する。飛び散った黒い羽をまきこんで空間ごと消滅させるには、相当なエネルギーを要する。ワシとて他の街を巻き込まぬよう微調整する余裕はないじゃろう」

「……!」

「犠牲を最小限におさめたければ黒い羽の散布を止めるしかない。オヌシが光の柱の中に入り、”I666”を止めなければ……ワシは本当にやる・・ぞ」


 A913が手のひらをかまえて光の柱にむかって大量の光線を放出した。

 凄まじいエネルギーの奔流が黒い羽に切り込みを入れる。

 ダメージを与えられている。しかしすぐに再生しているようだった。


「悠長に話している暇はない、選べ! D616、これはオヌシが始めた世界の終わり・・・・・・じゃろう!」

「オレは……オレはアイを止める! たとえ……殺すことになっても!!」

「良いじゃろう、ならば送り届けてやろう!」


 やるしかない。決意を固めた時、A913は急降下した。

 光の柱に向かって突撃する。黒い羽をかわし、光線を発射し羽を撃ち落としながら。

 柱に接近すると、幼女は「気張れよ、D616。いや――黒咲!」と言って黒咲の身体を放り投げた。


「う、うおおおおおおお!!」


 なんとか姿勢を正して光の柱に取り付く。

 手のひらに能力を集中する。

 この光の壁は、アイを守る防御障壁だ。

 アイが作り出した”心の壁”だ。だったら――。


「アイがオレを拒絶しているワケがねぇ。オレが……オレが選ぶんだ!」


 壁に両手が入り込んでゆく。

 そうだ。

 もともとこの能力は「心の壁」を超える能力だったんだ。

 最初からそうだった。

 水槽の奥にいた”アイ”と出会って。

 透明な壁に手を当てて、壁の向こうのアイを心を通じあわせて。

 全部そこから始まったんだ。


 オレが始めたんだ。だから。


 だから……。


「アイ、そこにいるんだろ――アイ!!!!」


 そして身体が壁を超え……光の中へ。

 視界が光に包まれた。


「っ……」


 目が慣れてくる。

 徐々に視界がクリアになる。

 そこには、


『黒咲くん』


 アイがいた。

 いつもと同じアイ。白いワンピースの美少女がそこにいた。


「アイ……」

『来てくれたんだね、黒咲くん。ウレシイ』

「……アイ、どうしてこんなことしたんだ?」

『黒咲くんとワタシ、二人だけが良かったから』

「なんでだよ……外のセカイに行きたいって言ったのはお前じゃないか」

『外のセカイが嫌いなのは黒咲くんもでしょ?』


 アイは自分の考えを疑いもしない純粋な瞳で黒咲を見た。

 ああ、そうか。

 黒咲もそこで悟った。やっぱり、アイの考えは自分のものだ。

 鏡なんだ。どこまでも、オレたちは。

 そうだ……。


「お前の言うとおりだ。オレは外のセカイが嫌いだった。外のセカイには他人がいて、他人は思い通りにならないし、自分を傷つけるかもしれないけど……それでもさ。二人なら乗り越えられるって思った。だからオレはまた外に出たんだ。二人だけになりたいって……そういうことじゃないんだ。オレには、アイさえいればよかったんだ……」

『ワタシもだよ。黒咲くんだけいればいいの』

「違う……そうじゃない……! アイがいてくれたら、乗り越えられるって……オレを傷つけたセカイとだって、もう一度向き合えるって……そう思ったんだ! アイ、もうやめてくれ。このセカイを作り変えるなんて……傲慢だったんだ。アイはオレのために始めてくれたんだろ、このセカイの終わりを……だったらやめてくれ。オレはこんなこと望んでない」

『……イヤ』

「え……?」

『イヤ……他人がいるのって、怖いよ。他人は黒咲くんを傷つける。他人は黒咲くんを奪おうとする。外のセカイには他人がいるの……黒咲くんが耐えられても……ワタシは、もう耐えられない!』


 アイは叫んだ。

 たぶんそれが、アイの本音だったんだ。

 オレのヤマビコじゃなくて、アイ自身の本音。

 幸田さんの魂を取り込んで得た人間の感情。

 それは”嫉妬”だった。感情は良いものだけじゃないんだ。

 アイが得た感情は、なにより人間らしいものだった。


「そうか……アイは人間になれたんだな」

『ニンゲンになれば黒咲くんをたくさんアイせるんだよ。黒咲くんにたくさんアイしてもらえるんだよ。今なら、黒咲くんもワタシをアイしてくれるよね……?』

「……ごめん、アイ」


 黒咲は目をふせ、アイに近づいた。


『黒咲くん……?』

「アイ、ごめん。本当にごめん、ぜんぶ……オレのせい、だから」

『黒咲くん、イタイよ。どうして?』


 黒咲の手がアイの細い首に触れる。そのまま指に力が入る。

 徐々に指が首を締め上げてゆく。


『どうして、ワタシを殺すの?』

「オレが始めたことだから……終わらせなきゃ」

『コワイよ、黒咲くん……』

 

 アイは不老不死の生命体だ。人間の感情を手に入れたとしてもそれは変わらない。

 だけど、すでに黒咲には彼女の殺し方がわかっていた。

 アイは黒咲の願望を反映する。

 首を絞めるこの手のひらから、黒咲は”願望”を送り込んでいた。


「アイしてるよ……アイ。だから……死んでくれ」


 愛が憎しみに変わる時、呪いが生まれる。

 アイを愛するほどに、愛しているからこそ、死を願わずにはいられない。

 彼女に世界を壊すなんて罪を犯してほしくないから。

 この手のひらから、”死の呪い”がアイに流れ込んでゆく。

 そして手のひらから、アイの想いも伝わってくる。


『黒咲くん、スキ』

『アイしてる』

『ずっといっしょにいたいよ』

『コワイよ』

『外のセカイはキミを傷つける』

『もっと触れ合いたい』

『家族が欲しい』

『寂しいよ』

『キミだけがいればいい』

『ひとりはイヤ』

『大スキ』

『ワタシをアイして』

『赤ちゃんが欲しい』

『別のオンナに取られたくない』

『セカイはワタシを傷つけるだけ』

『キライ』

『タノシイ』

『ウレシイ』

『カナシイ』

『アイはワルイコ』

『アイはイイコ』

『黒咲くん』

『アイして』


『ワタシをアイして』



 やがて。

 やがて徐々にその”声”は小さくなって。

 聞こえなく、なった。




   ☆   ☆   ☆




 ここは。

 見覚えがあった。鉛合金性の壁に囲まれた薄暗い部屋。

 「F.A.B.関東支部」の”試験室”だ。

 ”ファウンダリ”に入る時、黒咲が能力テストを受けた場所だった。


「なんでオレは……生きてるんだ」


 机の向かいに、白衣を着た男性が着席する。

 黒咲の前にビーカーに入った黒い液体を差し出して。


「だたのコーヒーだよ、警戒することはない」

「あんたは……?」

「しがない新人研究員さ。今は暫定的にこの『関東支部』の責任者を任されている」

「前の責任者……B114はどうなった?」

「”ウンディーネ”の私的利用を計画していたことがバレて更迭処分になった。まあよくある社内政治ってヤツさ。おかげで僕が不本意ながら昇格人事の犠牲になり、やりたくもない事態の収拾作業にあたっているというわけさ」


 白衣の男は柔和に笑った。

 なんだろう、不思議とこの男は信用できる気がする。

 この男の思念に嘘が混じっているようには見えなかった。

 そこで気づく。”思念”? オレは今、自然に他人の思念を感じ取ってはいなかったか?

 手で触れてもいないのに?


「ふム、能力が大幅に強化されたようだね。君は”境界”を超えた。”Φの世界”から持ち帰った恩恵と呼ぶべきか……それとも”呪い”というべきか」

「何を、言っている?」

「自分の手のひらをみるといいよ」


 白衣の男に言われた通り、自らの手のひらをみる。

 ”Φ”、そこには円の中心に縦線を入れたような印が刻まれていた。


「なんだ……コレは」

「境界を超え”Φの世界”に触れた人間は特殊な能力に目覚めることがあるという。君は元々能力者だったから、それが強くなる形に作用したようだね。両手のひらに刻まれた刻印は、直接触れなくとも周囲の思念波を感じ取れるようになったらしい。そうだね、”V.S.P.”は専門外なんだけど、おそらく能力分類はAクラス。能力名は――」


 ――”Φファイスティグマ”。


 白衣の男はそう結論付けた。

 能力の強化。疑問点は尽きないが、今はそんなことを考えている暇はない。


「アイはどうなったんだ。あの街は……」

「アイとは、”I666”のことかい? そうか、君はそう名付けたのか。では僕も”アイ”と呼ぼう。名前は大切だからね、その人が生きた証だから」


 男は続けた。


「彼女、アイは君の手で活動を停止したよ。黒い羽の散布は止められて、被害の拡大は止まった」

「そうか……アイの死骸はどうなった……”ファウンダリ”に回収されたのか?」

「それがね、亡骸なきがらは見つからなかったんだ」

「え?」

「事態収拾にあたった”A913”――通称”自動人形コッペリア”が羽ごと消滅させてしまったんだと思うよ。放置していては危険だったからね。貴重な”形而上学的生物”……僕個人も研究対象として興味があったんだけど、現場判断ならば仕方ないね」

「そうか……」


 仕方がない、か。

 黒咲はうなだれる。

 終わったんだ。

 オレと彼女の”セカイの終わり”が。


「君は、これからどうするんだい?」

「え……?」

「君は生き残った。アイを犠牲にして、世界を守ったんだ。同時に……君が彼女を組織から連れ出したせいで犠牲者が出た。その数三万人」

「さん……まんっ……!?」

「アイの黒い羽に触れて液状化した人間の数さ。彼らは魂を抜かれたものの、液状化しても生命活動を停止していなかった。生きていたんだ。その状態ではかわいそうだと思ったのか、街ごと全員”コッペリア”に蒸発させれられた。僕は下手な気休めを言うつもりはないよ、この犠牲は君が招いたモノだ」

「……へへっ、そうだな」


 認めるしかなかった。

 三万人の犠牲。それが自分の罪だと。


「”ファウンダリ”はオレのことも”処分”するんだろ? ……オレも、アイのもとに行けるってワケだ」

「いいや、”処分”はしない」

「は……?」

「上層部から君の処遇は僕に任せると言われてね。だから僕は君を処分しない。君の選択に任せることにしたんだ」

「選択……か」

「それで、君はどうする? その手に刻まれた新たな能力を活かすも殺すも――君次第さ」

「……あんたは、どうして欲しい?」

「甘ったれるなよ、少年」


 優しくも厳しい口調で男は黒咲を諭した。


「君は君の意思でこの組織からアイを連れ出し、君自身の意思で彼女を殺した。ここで心が折れて意思を手放すのも君の自由だが、あまりにも無責任じゃないのかい?」

「……」

「君は世界を守ることを選んだ。愛する1人よりも、世界を選んだんだ。ならばその選択に責任を持たねばならない。そう、生き残った生命が続く限り。いや……たとえ、死んでも。死んだあとも。君は失われた生命に報いるまでずっと……走り続けるしかない」


 白衣の男は自分の手に持ったビーカーのコーヒーが無くなっていることに気づく。

 話をとめ、男は黒咲の前に置かれたビーカーを手に取った「飲まないなら、僕がもらおう」。


「さて、君がまだ決められないならそれもいい。モラトリアムにつきあうさ。その能力は組織にとっても利用価値があるからね、意思が定まらないうちは、組織のために働いてもらう。そのほうが君も少しは楽になるだろう。家庭のいざこざってヤツは、仕事に打ち込むことで忘れられる。お父さんはつらいよ……お互いに」

「今度はあんたがオレの上司か」

「その通りさ、よろしく、A616……いや、君の名前は違ったね。よろしく、黒咲」

「……ああ、あんたの名前は?」


 白衣の男は手を差し出して答えた。


「僕は比良坂ひらさか、しがない研究者。そしてどこにでもいる一児の父おとうさんさ」

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