19,2 忘却の海 Undine


 アイと一緒に外の世界に出る。


 青年D616は決意を固めていた。

 決行は相棒のE083が交代で休憩に入った時。

 雑用の間、常に二人で行動しているわけじゃない。食事やトイレなどは交代で取っている。

 アイとの交流もその間にやっていたし、アイの水槽から排水して彼女を連れ出すのもその時がチャンスだろう。

 清掃用具に加えて、D616は女性職員用の制服をバッグに詰めて地下施設に降りた。

 隙を見て水槽を排水。中から出したアイに服を着せてこの施設から脱出する。単純だがこれ以外ない計画だ。


 そして絶好の機会がやってきた。

 E083が昼休憩に入った。このタイミングだ。

 D616は事前に調べていたコントロールパネルを操作し、水槽の排水を開始した。

 何度もシミュレートしていた成果か、一発で成功。

 つつがなく排水が終わり、水槽の扉が開いた。

 中で倒れている少女に駆け寄って、抱き上げる。

 今まで水に浮いていたからか、自分の脚で立つこともできないらしい。いや、そもそも人魚に脚はあるのだろうか?

 どうにも彼女の両足はぼんやりとして認識できない。E083が言うには、魚の尾ヒレになっているらしいが、そうも視えない……。

 しかしスカートならば脚があろうとなかろうと同じことだ。


「これを着ろ、アイ」

『うん、ニンゲンの服。カワイイ』


 女性用ジャケットに袖を通し、スカートを履いたアイ。

 確かに可愛い、と青年は思った。

 半透明の裸の姿よりも人間の女性らしくて、思わず頬を赤らめてしまいそうになる。

 しかし見とれている暇はない。脱出だ。


「歩けるか、アイ」

『歩ける……と、思う』


 彼女はD616の肩を借りて立ち上がる。

 徐々に両足の輪郭が濃くなってゆく。陸上に適応するため、自身で実体化させたようだった。


「よし、脱出するぞ」

『うん』


 二人、寄り添い合って立ち上がり、歩き始めようとしたその時だった。


「そこまでだ、D616」


 彼らの前に立ちはだかったのは試験官B114だった。

 「クソっ」青年が悪態をつく。最悪の事態だ。

 E083ならば見つかったとしてもどうにかなると思ったが、まさかめったにこの水槽に寄り付かなかったB114が現れるとは予想外だった。


「タイミングが悪すぎる、とでも考えたのか?」


 見透かしたようなことをいうB114。


「っ……」

「図星という顔だな。しかし偶然ではない、常に監視していたのだよ。当然だろう、ここは”最高機密”エリアなのだから」

「……だろうな」

「君がどういう結末を迎えるのか個人的な興味もあった。君の能力は情報を読み取ること、”I666”の思念をより強く受け取ることができる可能性があったからな。前任者たちのように発狂し、廃人となるか、あるいは……しかしこれはやりすぎだ。私の所有物を持ち出すのは見過ごせない」

「アイは……モノじゃねえ」

「君はずいぶんと入れ込んでいるようだが、”ウンディーネ”は魂を持たぬエネルギー体だ。サイコメトリーで感情らしきモノを読み取ったのだろうが、それは単なる”反応”にすぎない」

「なんだと……?」

「気づいていなかったのか?」


 B114は嘲笑を浮かべながら続けた。


「君がそいつに少女の姿を見たのは、君の心の寂しさの投影だ。君がそいつに感情を見たのは、君自身が欲しかった感情の投影なのだよ。そいつが君の心に何かを語ったとしても、それは君の語る言葉から作られた真似事にすぎない。いわば山彦ヤマビコのようなものだ」

「何言ってやがる……アイには確かな感情がある。アイはオレを……!」

「救ってくれたとでも言うつもりか? 救われたかったのだろう? 空虚で無意味で、矮小で……無能な君の人生をそいつが肯定してくれたのか? それは君自身が求めたことで、”I666”が自発的に選択したことではない。魂のないウンディーネに意思などない。君が勝手に意思を見出しているだけのことだ。全ては錯覚なのだよ」

「嘘だ……」

「ならば読み取ってみるか? 君の能力で。嘘でないことがわかるだろう」

「くそっ、くそっ……」


 何も言えなかった。

 ただうつむくことしか。

 

「だが感謝もしている。そいつは人間の感情を吸って成長する”依代うつわ”なのだ。魂がない純粋なエネルギー体だからこそ、人間の魂を欲する。D616、君は多くの感情をI666に摂取させてくれた。普通ならばすでに発狂しているところだが、君の小さな能力が君自身を助けたのかもしれないな。そういう意味では君の人生は無意味ではなかった。私の”計画”の一助となったのだからな。しかしこれで終いだ」


 パチン、と指を鳴らすB114。

 指先から出血し、血しぶきが周囲に飛び散る。

 それが床に落ちる……ことはなく、彼の周囲に浮遊していた。


「せめてもの報酬として、私の崇高な能力を見せてやろう。体液を操作する能力だ」

「へっ……プカプカ血を浮かせるだけか。Bクラスって割にはチンケな能力だ――」


 ズドッ!!

 その瞬間、青年の背後で鈍い音が鳴った。

 振り返ると、厚い金属で覆われた地下の壁面に穴が空いている。

 銃弾程度ではビクともしないはずのこの壁を貫通するほどの威力……。


「”単式戦闘型V.S.P.”の力を舐めてもらっては困るな。高圧で凝縮した血液の弾丸はあらゆる防御を貫く。今のはほんの威嚇射撃だ。次は――君の脳天を撃ち抜く」

「――なっ……!?」


 攻撃速度も威力も圧倒的。

 勝てない、それを確信させるにはじゅうぶんなデモンストレーションだった。


「クソッ……すまない、アイ。オレはここまでみてぇだ……」

『……』


 アイは何も言わず、青年を抱きしめた。

 いいや、血液の弾丸で狙ってくるB114との間にかばうように立っていた。


「アイ……? なに……やってんだよ!」

『ずっと一緒、だから。ここから出ても、出られなくても、キミと一緒がいい』

「……だけどその感情もオレの願望の反映……なんだろ?」

『ワタシにはわからない。もしもワタシの言葉があなたのオネガイからできたものだったとして……どうしてイケナイの?』

「え……?」

『キミはワタシのオネガイ、聞いてくれた。それと同じだよ。今、こうしてキミがワタシを連れて行ってくれようとしたコトが、ワタシのオネガイのせいだとしたら……それはキミの選んだコトにはならないの?』

「……」


 頭が混乱していた。

 アイの言葉も行動も自分の願望の反映?

 確かにそうかもしれない。アイ自身も否定していない。

 だけど他でもない、アイがこうも言ってくれたんだ。

 誰かの願いを叶えるために行動したからって、それは自分の意思じゃないと言えるのか? と。アイが伝えたいのはこういうことだろう。

 その通りなのかもしれない。

 

 オレがアイの願いを叶えようとすること。

 彼女の言葉がオレの願望の反映であること。

 そこに本質的に違いはない。


「ククク、化け物が人をかばうか。人間のフリがうまくなったようだが、しかし意思などないエネルギー体が人に愛情を抱くわけないのだ。それは感情ではない、単なる反応なのだよ」


 B114がパチリと指を鳴らすと、今度は青年の背後に血液の凝縮弾丸が出現していた。

 アイがかばいきれない角度からD616を狙っている。


「本体から離れた場合貫通能力は落ちるが、今はちょうどいい。D616、君だけを綺麗に処理してやる。君の守りたかったI666は傷つけないことを約束しよう。せめてもの手向けだ。受け取り給え――」


 再び指を鳴らし、血液の弾丸が発射される。

 今度こそ手詰まりか――。

 そう確信した、その時だった。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 誰かが射線に割って入った。

 血液の弾丸に身体を貫かれる。

 しかし勢いが落ちた弾丸では、何かにかばわれた青年に届くことはなかった。


「なに、なにが起こって……」

「へ、へへ……間に合ったか……」

「お前……オッサン……?」


 そう。

 D616をかばって弾丸に撃ち抜かれた人影の正体は、他でもない相棒E083だった。

 全身穴だらけになり、床に倒れる。

 相棒に駆け寄るD616。ボロボロの身体を抱きとめるが、すでに力を感じない。

 生命が尽きようとしているのを感じた。


「オッサン! なにやってんだよ!」

「へ、へへ……今日はお前さんが思い詰めてるような顔してるからよ……心配になって……様子、見に来たんだ」

「なんで、そんなこと……!」

「相棒だからよ、わかるんだ」

「違う! なんでわかったかじゃなくて、なんで助けてくれたんだよ!」

「……手、握ってくれねぇか。相棒」

「……ああ」


 手を握る。

 彼の感情が流れ込んでくる。記憶も、思いも、願いも。

 たくさんの気持ちが流れ込んでくる。

 温かかった。

 体温はどんどん下がって、死に近づいているのがわかるのに。

 その手は温かかった。

 彼から流れ込む感情は、温かな愛に満ちていたから。


「オレは、しょうもねェ父親だった。要領悪くてさ、友達……だと思ってたヤツの連帯保証人になったら……そいつ夜逃げしちまってさ。ハハ、借金背負ってよ、妻は息子をつれて出ていっちまった。息子は、そうだな……ちょうどお前さんくらいの歳になるか。理由はそれだけだ、お前さんにだけは……幸せになって欲しいって……バカなオッサンのワガママだぜ」

「うっ、くっ……くそっ、オレなんかのために……絶対、死ぬってわかってるのに……!」

「へへっ、結果がわかっててもよぉ……関係、ねえんだ。オレが決めたんだ。後悔してねぇぜ、オレが……決めたから。人生失敗ばっかだったけどよ、それでもオレの人生だったって……胸を張って言える。だから後悔はねェ」

「オヤッサン……!」

「……黒咲くろさき

「黒咲?」

「約束しただろ……オレの名前。へへ、言っただろ……『お前さんに名前が必要になった時に教えてやる』って……今がその時だ。外の世界じゃあ、名前が……必要、だからな」

「黒咲……か」

「ああ……オレの名だ。オレが生きた……証だ。これからは、お前さんが名乗ってくれ……勝てよ、くろ、さき……おまえさん、には……すげぇ、ちからが……」


 そこで限界だった。

 握った手から力は抜け、もう何も感じない。

 冷たくなった。

 E083は、死んだ。黒咲という1人の男として。父親として。

 だけど、その温かさは――。


「受け取ったぜ、黒咲のオヤッサン……オレもさ、失敗だらけの人生だけど……後悔しないようにさ……あがいてみせるから」


 この温かさは――胸の中に残っているから。

 青年は、D616は立ち上がった。

 決意を秘めた視線でB114を睨みつける。

 対して、B114は余裕の笑みを崩さない。


「ククク、何を怒っている? 無能が1人死んだだけだ。矮小な能力とはいえ、仮にも”V.S.P.”の君と比較にならないくらいに無価値な生命が一つ消えた程度のことだぞ? なぜ悲しむ。なぜ怒る」

「知らねぇよ。感情に何故もクソもねぇだろ。いちいち理屈をこねたがるヤツだな。お前モテねェだろ?」

「……本当に口の減らないガキだ」


 B114は指を鳴らし、再びD616の周囲に血の弾丸を配置した。


(やはり……普通の銃と同じで装弾数は決まっているらしい。同時に操れるのは36発といったところか)


 戦況を分析する。冷静になるしかない。

 相手は単式戦闘型V.S.P.だ。情報操作型の自分と比べると一対一の戦闘では確実に有利。


(だが弱点はある。本体と離れた場所から発射した弾丸は威力が落ちる。実際、オヤッサンに着弾した弾丸は貫通していない。本体近くから発射された場合は金属板に穴を開ける威力だったにもかかわらず、だ)


 つまり――。

 アイが敵に立ちはだかるように射線を切ってくれているのは盾として有効ということだ。

 銃弾の待機状況を変えるためには指を鳴らし、多少の時間がかかる。

 現在の配置はアイに当たらないよう、威力を抑えた状態で背後から銃撃するように配置されている。アイとB114の間の空間はじゅうぶんにカバーされていない。

 つまりB114にとっては、最も本体正面を守りにくい配置なのだ。


(逆に攻めるチャンスってワケだ。オヤッサンがくれた攻略のヒント。オレも覚悟を決めるしか……ねぇか)


 青年は意を決してアイを押しのけ、走り出した。

 目標は正面。B114にまっすぐ突進してゆく。


「正面からの突進、芸のないヤツだ。やはり無能か」


 パチン、指を鳴らすと血液の弾丸が背後から降り注いだ。


「ぐああああああああああああ!!!!」


 動く標的を狙うのは難しいとはいえ、相当数の弾丸が着弾する。

 しかし威力の下がった弾丸は腕で頭部を守っていさえすれば貫通致命傷にはならない。

 ……あまりに希望的観測に基づきすぎた作戦。だが――やりとげるしかない!


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 降り注ぐ弾丸に身体を傷つけられながらも、咆哮とともに怯まず突進した。

 そして予想通り、背後から射撃する関係上、本体の近くに入れば射撃自体が止んだ。

 能力者自身が射線に入ってしまえば、自滅のおそれがあるからだ。


「もらった!」


 ボロボロの身体でB114のふところに潜り込んだ。

 手の平で敵の鳩尾に触れる。


「接近された!? しかし、ククッ……君の能力では攻撃手段がないぞ!」

「いいや、攻撃はしない・・・・・・。ただしそれはテメーも同じだ」

「何――っ!?」


 体に触れた瞬間、D616の能力が発動。

 次の瞬間には勝負は決まっていた。

 それまで殺意に染まっていたB114の視線が、ぼうっとした腑抜けたものに変化したのだ。


「やはり気づいていなかったようだな、オレの能力は『サイコメトリー』じゃねえんだよ」

「なん……だと……」

「オレを攻撃しようとしてももう『気が進まない』だろ? そうさ、オレの能力はミームの操作。テメーがオレたちに抱く印象が変化した。これからテメーはオレたちを全力で見逃す」

「全力で……君たちを見逃す……そうだ、それが私の意思……」

「テメーは殺さねえ。無線で施設全体にオレたちを見逃すように命令を出してもらう必要があるからな」

「くっ、うっ……」

「テメーの能力の弱点……そのヒントをくれたのも、そもそもオレの真の能力をテメーに報告せず秘密にしてくれたのも……黒咲のオヤッサンだ。テメーは負けたんだよ。テメーが無能だとかバカにした一般人の意思の力にな……!」


 そうして戦いは終わった。

 呆然とたちつくし、戦意を完全に喪失したB114はもはや脅威ではなかった。

 D616はアイの手を取る。


「行こう、外の世界へ」

『うん、外のセカイへ』


 二人の気持ちが手と手を通じて伝わる。

 外の世界は嬉しいだけじゃない。

 悲しい事だらけだ。

 だけど二人なら大丈夫。

 そう、きっと二人ならどんな世界でもシアワセなんだって。

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