19,1 忘却の海 Undine

「うげっ、くせぇ……」

「コイツはまた、ヒデェな」

「なんなんだよこれ」

「ま、よくあることだ。詮索好きは身を滅ぼすからよ、気にしないことだな、ボウズ」


 少年D616と作業員E083は二人、「F.A.B.関東支部」のとある実験室を清掃していた。

 部屋じゅうに満たされた肉と油の臭い。

 ここで人が死んだのだ。おそらくはFクラス以下の実験体が。

 死体そのものは処理班が片付けたあとで、二人は雑用としてその後処理を任されていた。

 濡らしたモップでゴシゴシと血まみれになった床や壁を拭いてゆく。


「なんでオレがこんな雑用に……Dクラスならもっと待遇良いと思ってたのによぉ」

「オメーは育成枠なんだよボウズ。午前中は能力開発、午後はオレと雑用。それがオメーの仕事」

「しかもよりによってなんでオッサンとペアなんだ」

「美人のお姉さんじゃなくて悪かったな」

「ホントだぜ」

「オレだってオメーみたいな生意気なガキのお守りで毎日辟易してますよい」


 二人軽口を叩きながら仕事をこなす。

 やがてD616はE083に向かって、「なあオッサン。あんたはなんでこんな辛気臭え組織に入ったんだ?」と聞いた。

 E083が答える。


「オシゴトだよオシゴト、大人になると嫌なこともやらなきゃならなくなるんだわ。生活のためにな」

「そーゆー方便を聞いてんじゃねえ!」

「はいはい借金、借金だよ。よくある話だろ、借金背負って妻子に逃げられて、借金返すために命削ってでも働かなきゃならなくなったって話」

「なんだよそれ、つまんねーの」

「つまらなくて悪かったな。真実なんてもんは知ってみりゃ案外つまらねーもんなんだよ」

「へぇー」

「お前さんはどうなんだよ、ボウズ」


 今度はE083が問う。


「聞いてなかったけどよ、ボウズ。お前さん名前は?」

「D616だが?」

「知ってるわい! オレが聞いてんのは本当の名前のほうだ!」

「……忘れちまったよ、そんなもん」

「はぁ?」

一般人パンピーのオッサンにはわかんねぇだろうがよ、外の世界じゃオレみたいなヤツは忌み嫌われる。人間ってのは知らないことを怖がるからな。この力のせいでいつも嫌な目にあってきた。この監獄・・みてぇな場所につれてこられた時、オレは――正直、ホッとした」


 少年は続ける。


「オレは一人じゃないんだって。同じような能力を持ったヤツが珍しくないんだってな。だから外での名前はもう、オレには必要ねぇんだよ」

「……そうかい。名前ってのは大事だと思うんだがな。自分オレ自分オレである証だからよ……ま、お前さんがそう言うならオレのほうも秘密にしとこうかな」

「はぁ?」

「お前さんに名前が必要になった時に教えてやるよ」

「いらねーよ、あるわけねぇだろ。オレには認識番号でじゅうぶんだ」




   ☆   ☆   ☆




 そして年月が過ぎた。

 成長し青年となったD616と相変わらずのE083は、いまだに二人で雑用をこなしていた。

 能力を巧みに隠蔽し、D616は工作員として実戦投入されることはなかったのだ。

 

「こっちだ、D616。そしてE083」


 二人を案内するのは関東支部の責任者、B114だった。

 カードキーを使い、エレベーターで地下へ降りる。

 Bクラス以上の権限が必要な階層まで。


「へ、へへ。雑用は長いがこんな深いとこは初めてだぜ。試験官のダンナ、今度はどんな仕事なんスか?」

「すぐにわかる」


 エレベーターが止まる。かなり深い、深い階層に降り立った三人。

 監視者B114は二人を連れて廊下を歩き、突き当りの扉をカードキーで解錠した。

 中に入ると、そこには……。


「水槽……?」


 球状にくり抜かれた巨大な地下空間。

 壁面には呪印のような幾何学模様が幾重にも描かれている。

 その中心に多量のチューブが繋がれた水槽が立て置かれていた。

 水槽には「I666」と刻まれたプレートが取り付けられている。


「どうぞ、近づいてよく見たまえ」


 試験官B114が道を譲って二人を前へ通した。

 先に水槽に近づいたのは作業員E038だったが、


「な、なんだよコレ……ヒイイイイイイィ!!!」


 素早く後ずさり、壁に背をつけて座り込んでしまう。


「な、ななななんだよソイツは! そのバケモンは!」


 水槽を指を指して狼狽えるE083。


「バケモンだぁ? 何いってんだよオッサン」


 青年D616はといえば、平然とした顔で水槽へ近づいていた。

 彼の目から見て、水槽の中にいるのは「人型ヒトガタ」だった。

 身体全体が半透明ではっきりとは見えなかったが、どうにも少女のような姿をしている。


「女の子じゃねえか。姿が半透明だが……身体全体が変異するタイプの”V.S.P.”もいるって聞いたことがあるぜ」


 D616は冷静にそう考察した。

 「女の子、か。クク、実に面白い」試験官B114はD616の肩に手を置いて問うた。


「君の目にはそう見えているのかね?」

「あ、ああ、そうだ。あんたは違うのか?」

「私は……まあいいだろう。そこの作業員E083。君にはコレがどう見えている?」


 「お、オレ?」E083はすかさず「人魚のバケモンだ……」。

 彼の目に見えているらしき”化け物”はこういう姿のようだった。

 腕はタコのような多腕。腹部には仮面のようにもみえる、無表情の人間の頭部が埋め込まれている。

 下半身は魚のように鱗と尾ひれに覆われているが、エラの部分に不気味な牙がついていてパクパクと閉じたり開いたりしている。

 そして背中には、退化した羽根のようなものが生えていた。

 身体全体が半透明だというのはD616の証言と同じだが、ドクドクと動く内臓が見えているというのは相違点だった。


「フム、私も概ねE083と同じような認識だ。やはり観測者によって視えるものが違うか……しかし、類似する姿になることもあれば全く固有の姿になることもある。条件は未だ不明――と」


 試験官は手に持った電子パッドに記録をとった。

 そして二人に向かっていう。


「コイツは”I666”という。我が関東支部の”最高機密”だ」

「さ、最高機密……? なんでそんな大事なもんをオレらに見せたスかぁ……」


 E083が弱気に質問する。

 対して、D616は冷静に呟いた。


「”Iアイ”? そんな階級聞いたことねぇぞ」

「階級ではなく分類というべきだ。Iは”虚数”、存在しない数字。コイツは”形而上学的生物”……研究者に”ウンディーネ”とも呼ばれる種族なのだよ」

「ウンディーネ……”水の精”ってコトか……?」

「この地下施設は古来より我が国に存在する巨大地底湖を改造したものだ。この”I666”はここ、巨大地底湖の中に太古の昔から……おそらく人間という種が誕生する前から存在したと推定されている」

「バカな、そんなワケが……」

「しかし君には少女に視えるのか。初めての例だ。興味深い」


 試験官B114は納得したように頷いた。

 そして言った。


「君たちの次の任務はこの地下空間での雑用だ。掃除、老朽化した部品の交換、そして餌やり・・・

「餌やり? 餌って……この人魚の餌って……へへ、生魚とか……ですかい?」

「いいや、食べ物ではないよ。そういう低級な生存条件はない。魂を持たぬ高エネルギーの凝縮体なのだから。ただね、コレは寂しがり・・・・なんだ。毎日話しかけてやってくれ。それだけで満たされる・・・・・のだ」

「さ、寂しがりィ……?」

「そういうことだ。説明は以上だ。仕事を始め給え。君たちのカードキーはアップデートしておく。Bクラスでなくともこの地下空間にだけは自由に出入りできるようにな」


 パン、と手を叩いてB114は地下空間から出ていった。

 困惑しながらも残された二人は清掃作業に取り掛かるのだった。




   ☆   ☆   ☆



 月日が過ぎ、相変わらずE083とD616の二人は地下空間での任務を続けていた。

 何も考えず仕事に取り組んでいたわけではなかった。

 この二人にそれほど深い組織への忠誠心などない。

 調べていたのは「何故自分たちのような低級職員が最高機密に触れることを許されたのか」だ。


「オレはここで長くやってる。Cクラスまではツテがあるからいろいろ嗅ぎ回ってみたんだがよ、どうやら前任者が使い物にならなくなっちまったらしいぜ」

「使い物にならないって、どういうコトだよオッサン」


 E083が答える、


「なんでも発狂しちまったらしい。前任者の前任者も、その前のやつもそうだ。廃人みてぇに言葉まで失っちまったらしい。ここに長くいると誰でも狂っちまう。だからB114の野郎もここには寄り付かないんだとよ。無理もねェよな、こんな気味悪ィもんと長時間一緒にいたらオレも狂っちまいそうだぜ」

「気味悪いって……」


 D616は水槽の中の少女を見た。

 動かない。半透明の華奢な身体が水に揺れているだけだ。

 思わず見つめてしまう。青年の目から見た”I666”は人魚の化け物というよりもむしろ――。


「――キレイ、だと思うんだけどな」

「うげぇーお前さんゲテモノ趣味かよー」


 中年男性は吐きそう、というジェスチャーをとった。

 観る者によって視え方が違う。B114が言っていたことはわかる。

 だが、青年にとっては――。


 その時――人魚の少女ウンディーネの手が動き、水槽の内壁に触れた。

 ように、視えた。


「お、おい! 今ソイツ動いてなかったか!?」


 E083も叫び声を上げる。どうやら動いたのは事実のようだ。自分だけ視えた現象ではないらしい。

 一ヶ月以上ここで雑用作業をしていたが、動くのを見たのは初めてだった。

 D616はゆっくりと水槽に近づいてゆく。

 「や、やめとけよ! 近づいたら発狂しちまうかもしれねぇぞ!」E083の止めようとする声を無視して。


「……」


 そして青年は水槽の透明の壁越しに、少女の手と自分の手を重ねた。

 その瞬間、


『キミは、だれ?』

「なんだ……声が流れ込んでくる……!」

『キミのてのひらのチカラが、ワタシのココロをよみとってくれたから』

「そういうことかよ、オレの能力を強制発動させたってワケか」

『ニンゲンとおはなしできたの、はじめて。ねぇ、キミはだれ? ナマエをおしえて?』

「名前か……名前なんて忘れちまったよ。ここではD616、それでじゅうぶんだ。お前こそ何者なんだ」

『ワタシにはナマエがない。コタイにナマエがひつようなのはニンゲンのシュウセイ』

「お前のことを試験官の野郎は”ウンディーネ”って呼んでいたが、それは種族名なんだよな。”I666”って呼べばいいか?」

『なんでもイイよ』

「わかった。長ェから”アイ”って呼ぼう」

『アイ……それが、ワタシのナマエ。なんだろ、ヘンなキモチ……これがニンゲンの……ウレシイ?』

「知らねーよ、自分の気持ちくらい自分で決めな」

『ウン、ワタシはアイ。ナマエがある……ウレシイ』


 そう言って彼女は――笑った。

 少なくとも、青年にはそう視えた。


「……」


 思わず見とれていた。


「お、おい何独り言いってんだよ! お前さんまでついに狂っちまったのか!?」

「……っ!? い、いや。なんでもない。ただコイツの思念が手の平から流れ込んできた」

「マジかよ、大丈夫なのか?」

「なんつーか、大丈夫そうだ……。こいつ、案外無害そうかも」

「えぇ……悪いことァ言わねぇがよ。ボウズ気をつけたほうがいいと思うぜ?」

「どういうことだよ」

「深入りすれば……飲み込まれるかもしれねェからよ」

「……わかってるさ」


 この日から青年と少女――の姿をした人魚”アイ”との交流が始まった。




   ☆   ☆   ☆




 清掃が一段落して、その日も水槽に触れる。

 最近では日課となった少女”アイ”との対話が始まった。


『今日も来てくれた、ウレシイ』

「ま、話す相手も他にいねーからよ」

『外のセカイのお話、聞かせて?』

「オレの経験なんてつまらねーもんばっかりだと思うが、それでもいいのかよ?」

『いいの、ワタシはここから外に出たコトないから。外のコト、もっと知りたい』

「じゃあ能力を使って学校のイジメっ子に復習した話から――」


 青年の外の世界での人生は決して楽しいものではなかった。

 どちらかというと、辛いことのほうが多いくらいだ。

 だが、それでも少女は熱心に聞いてくれた。それが青年にとっては嬉しかった。


「……なぁ、話しててなんだが、この話おもしろいか?」

『ウン、面白いヨ』

「いや、お前ぜんぜん笑わねェから、つまんねーのかなって」

『ワラウ? ニンゲンはこういうトキ、ワラウの?』

「ああ、面白かったら笑うんだよ」

『……コウ?』


 水槽の中の少女が青年に向かって微笑んだ――ように視えた。


「っ……」

『どうしたの?』

「い、いや。なんでもない」

『でもテノヒラから伝わるよ。キレイだ、とか。カワイイ、とか』

「あー、あー、なんでもないなんでもない!」


 青年は水槽から手を離してごまかした。

 だがすぐに手を戻す。

 触れていなければ、彼女とコミュニケーションをとることができない。

 だから触れていたい。話し続けていたい。

 青年は少女に惹かれていた。


『オカエリ』

「あ、ああ。ただいま」

『キミとお話できて、ウレシイ』

「ああ……オレもだよ、アイ」

『……キミは、ワタシのオネガイ聞いてくれる?』

「お願い?」

『長い永い時間、ずっと願ってた。この場所からネガイを飛ばしてた。だけど、誰もワタシの声を聞いてくれなかった。ワタシの声を聞いてくれたのは……キミだけ、だから』


 その時、青年はなんとなく気づいた。

 もしかしたらこの水槽を管理していた”前任者”たちは――彼女の思念を少しずつ受け取っていたのではないだろうか?

 アイは超常の力を持つ存在。B114は「高エネルギーの凝縮体」と呼んでいた。

 そんな彼女が放った精神感応波ならば、長く近くにいた人間を徐々に蝕み、発狂させることも可能なのではないか?

 だとしたら、やはり”アイ”は無害とはいえないまでも、危険な存在だとは思えなかった。

 実際にコミュニケーションをとって、人間に加害しようとする意図は一切ないと感じるからだ。

 だから、青年は……。


「ああ、オレにできることなら言ってくれ」

『ワタシはね、外のセカイに出たいの』

「……っ」

『外のセカイにはニンゲンがたくさんいて、ウレシイことがたくさんあるんだって』

「それはそうかもしれないが、悲しいこともたくさんあるんだぞ」

『ウレシイも、カナシイも、ナニカがあるだけ良いよ。ここには何もない。ナニも感じない。この水槽の中で永遠の時を過ごすのは……とてもつまらないよ。キミとお話して、セカイにはウレシイとかカナシイがあるって知った。ワタシね、その気持ちを感じたいの。外のセカイで……キミと一緒に』

「……!」

『ねぇお願い。一緒に外のセカイに行こう。ワタシのコト――連れ出して』

「アイ……」


 青年は思った。

 自分の知る世界はそんなに良いところじゃない。

 痛みや悲しみにまみれている。

 だけど、アイに話をして、自分の過去を聞いてもらって。

 嬉しさや、悲しさを共有して。

 違う見方をすることができるようになっていた。

 何が起こったか、だけじゃない。自分が何を感じるのかが大事なんだって。

 そして、自分がする話を楽しいと言って聞いてくれるアイと出会えて、青年は思ったのだ。


 彼女と二人。

 外の世界で生きていくことができたら――。


 自分オレも、変わることができるかもしれない――って。 

 

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