19,0 忘却の海 Undine(第惨蒐・終・中編)


 薄暗い部屋の中。

 強固な鉛合金製の壁に囲まれた隔離空間に、分厚いヘルメットで目隠しされた1人の少年が運び込まれた。

 作業着の中年男性によって中央の机に着席させられた少年。

 その目の前には、10枚のカードが伏せられていた。

 少年を連れてきた作業着の男が退室すると、少年は部屋の中に1人取り残された。

 すると、少年の耳元に音声が流れ込んでくる。


『聞こえているか、被検体ナンバー616』

「ああ」

『ではこれより被検体ナンバー616の能力テストを開始する。手を机の上に出し、机の表面に触れてみろ』

「わかった」


 少年は指示通りに手を前に出すと、机に触れようとする。

 当然、机には直接触れられず、机上に用意されたカードに指先が触れてしまう。


「何かあるぞ」

『手を動かすな。それが何か当ててみろ』

「……カードだ。オレが触れている面には何も描かれていない」

『よろしい。では触れた面とは裏側に何が描かれているのかわかるか?』

「……」


 少年は少し考えると、


「蝶の模様だ」

『羽の色は?』

「赤い。血のように赤黒い」

『なるほど。では続けよう。手を右に動かすと、別のカードがある。その表面に触れ、裏側の絵柄を言ってもらおう――』



   ☆   ☆   ☆



「お、お疲れ様ッス」


 少年がカードの絵柄当てをしている”試験室”。

 その様子を監視カメラで見ている”監視室”に、先程少年を連れていた作業着の中年男性が戻ってきた。

 男性の胸元には「E083」と書かれたネームプレートが縫い付けられている。


「E083、ご苦労だった。試験は順調だよ」


 時折マイクに向かって話しかけている男性は「B114」――通称「試験官」と呼ばれていた。

 ここ、「F.A.B.関東支部」の責任者と目される男だ。

 とはいえ、作業員「E083」には誰が本当のトップなのかなどわからない。わかりようがなかった。

 「F.A.B.」という組織は実態が不明瞭で、どこに本部があって、誰が一番偉いのか誰も知らない。おそらくは、関東支部を指揮する試験官「B114」でさえも――。

 

「にしても、こんなちんけなカード当て試験でなにがわかるってんですかい?」


 作業員E083は軽い口調でそう問うた。

 フン、と小馬鹿にしたような笑みとともに試験官B114が説明する。


「可能性のある類似能力を排除している。つまり消去法だ。あの部屋全体が鉛合金でできている。一般的に”精神感応テレパス”も”透視能力クレアボヤンス”も鉛を弱点としているそうだ」

「弱点?」

「感応波ってものは鉛を通さないし、透視能力者は決まって鉛だけは透視できないという。原理は不明だがね」

「へ、へぇー」


 「F.A.B.」に所属しているが最低クラスの職員であるE083は生返事を返すことしかできなかった。

 試験官はかまわず説明を続けた。


「616にかぶせたヘルメットは視覚と聴覚、嗅覚を塞いでいる。聞こえる音は私のマイクごしの音声のみ。吸い込める空気はフィルター越しの無臭の空気のみ」

「つ、つまり可能な限り感覚とか情報を遮断してるんスね」

「そうだ。カードを伏せたのは私でも君でもなく、事前にランダムに選出したEクラス職員であり、カードの絵柄もまた、我々は知らない。マイク越しの私の声色や思念からカードの絵柄を推測することはできないというわけだ。加えて、触覚も制限している。616は指先を絵柄の描かれていない面に振れさせているのみ。インクによって生じたカード表面の質感の変化などから絵柄や色を推測することもできない」

「そこまで制限してるってのにあのボウズ、絵柄を正確に当ててるってコトっスか?」

「そうだな。間違いない――」


 被検体616は”V.S.P.”――人類の進化系だ。


「スゲェ……あれが”V.S.P.”……ホンモノの超能力者ってワケか……」


 圧倒されるE083と違い、試験官B114は一切の動揺を見せず、マイクに向かって話しかける。


『被検体616、絵柄以外の情報は読み取れるか?』

「……いや、絵柄だけだ。それ以上はわからない」

『よろしい。テストは以上だ。そこで待て』


 こうして被検体ナンバー616の能力テストは終わった。

 結果を電子パッドに記録していく試験官B114。


「フム、手のひらから情報を読み取る能力。”サイコメトリー”と言ったところか、ありふれた能力だ。応用性も脅威度も低いし、能力の効果範囲も狭すぎる。普通人に毛が生えた程度。成長すれば工作員程度には使えるだろうが……。現時点での評価はDと言ったところだろう」


 こうして試験官が下した評価はDクラス。

 少年の正式ナンバーはこの時、D616となった。


「さあ、仕事だぞ作業員E083。D616を迎えに行ってやれ。Dクラス棟へ案内したら今日は上がって良い」

「へ、へい」


 作業員が部屋から出ていく。

 監視室でひとり残された試験官B114はため息をついた。


「616には何かあると思ったが、期待外れだったな。無能……どいつもこいつも。見ていてイライラする。しかし、私の手には”I666”がある。アレを使えば私が”ファウンダリ”の中枢に食い込むことも……いや、そんな矮小な出世欲を満たすだけでは足りないな。世界そのものを掌握できるほどの力……。ククク。いまに見ていろ、無能だらけの世界」


 男は肩を震わせて笑うのだった。


「この世界は終わり、新たな世界の覇権を握るのは……この、私だ」




   ☆   ☆   ☆




「ぷはっ、このヘルメット暑苦しいんだよな。やっと取れてせいせいしたぜ」


 作業員E083によってヘルメットを外された少年、D616。

 E083とともに試験室を出て、Dクラス棟へ向かっていた。


「ボウズ、スゲェじゃねえか。”サイコメトリー”……手のひらから情報を読み取る能力だって? 超能力者ってマジでいるんだなぁ」

「そんな高級なもんじゃねえさ、オッサン」

「オッサンって! オレのこたァ、みんなオヤッサンって親しみを込めてだなぁ――」

「オッサンにオッサンって言ってなにが悪い」


 無愛想に唇を尖らせる少年。

 「若さってこんなもんか」という諦めとともに、E083は息を吐いた。

 その様子を見て、少年D616は口角を釣り上げて不敵に笑う。


「にしても、Dランクね。偉そうな口ぶりだったがあの試験官、案外ニブいな。都合よく騙されてくれたもんだぜ」

「なんだよ、都合がいいって? まさかあの超能力、イカサマだったってのか?」

「手のひらから情報を読み取る能力ってのは本当だ。だが絵柄以外わからねーって言ったのは嘘だぜ」

「嘘?」

「実際のところ、カードを用意したEクラス職員が誰か、元になった絵を描いたイラストレーターが誰かってトコまでわかる」

「はぁ? 嘘だろそれ」

「嘘だと思うなら体験してみるか、オッサン?」


 D616はE083の肩に手を触れた。

 少年はニヤニヤと笑って話し出す。


「オッサン、今朝牛乳を飲んだだろ」

「の、飲んだぞ。牛乳飲むくらい珍しくないだろうが」

「だがあんたは乳糖不耐症だ。朝に牛乳を飲むと午前中は下痢が続いて仕事どころじゃなくなる。なのに好物が牛乳なもんだから、不調を承知で朝に牛乳を飲んでしまう。当たってるだろ?」

「あ、当たってる……」


 E083の顔がサッと青ざめた。

 少年D616はケラケラと笑い、


「オレの能力はテレパシーなんて高級なモンじゃねえのさ。物体や生物の”ミーム”を、手の平を介して読み書きする能力ってのが正しい」

「高級じゃないって……よくわかんねぇけど、普通のテレパシーよりもっといろいろできるってコトなんだろ? なんでボウズは能力を隠したんだ」

「んー、そりゃあ、こんな怪しい組織につれてこられて実験されて。能力見せろって言われてはいそうですかってバカ正直に能力を全部見せるワケねぇだろ」

「確かにそうだが……その嘘をオレにバラすのはなんでだ?」

「あんたはバラさない。そうだろ?」

「っ……!」


 少年の見透かしたような視線に、E083はゾッとした。

 確かに末端作業員のE083からすれば、いかにD616が嘘の能力申告をしていたとしても、それを上に報告する責任はない。この組織に給料以上の忠誠心など持っていない。

 だからといって、職務の範疇を超えて真面目に働くEクラス職員だっているだろうに。

 自分がそうじゃないって、どうしてわかったんだ?

 そう思ったが、すぐに合点がいった。そうだ、D616は手の平で触れるだけで相手の情報がわかる。

 E083じぶんに触れた時、そのことがわかったんだ。それだけじゃない――そこで彼は気付いた。

 少年はなんと言った? 「”ミーム”を手の平を介して読み書き・・する能力」と言ったのだ。

 そう、読み取るだけじゃない。

 この少年は――。


「そうそう、オッサン。オレのことを黙っててもらいたいワケだが、タダでとは言わねぇよ。ちゃんと”口止め料”を、もう払っておいた・・・・・・・・

「”口止め料”……なんだよ、もう払った・・・・・って? オレは何も受け取っちゃ――」


 そこで会話は終わった。少年をDクラス棟の個室に送るという任務が終わったからだ。

 割り当てられた部屋に入りながら、最後に少年はこう言った。


「明日の朝になればわかるさ」


 そして。

 次の日の朝、Eクラス棟の作業員用4人部屋で目覚めたE083。

 食堂に行くと、いつものようにパンと日替わりのおかずを受け取る。

 あとは飲み物だ。水、お茶、野菜ジュースなどいろいろ選択肢はあるが……。

 やっぱり好物の牛乳かな。

 そう思った瞬間――。


「あ、れ……?」


 手が伸びない。

 いつもは食堂の飲み物置き場に置かれた牛乳パックを手に取り、コップ一杯に注ぎ込む。

 乳糖不耐症であることから目をそらしながら、好物を一気に胃に流し込む。

 そして午前中は下痢に悩まされる。

 その繰り返しだったのに。

 なぜだか、進まない。手が前に、進まない。


「オレは……」


 そう。

 作業員E083は気付いた。

 手が動かないんじゃない。


「オレの気が……進まないんだ」


 こうして彼は身体に合わない好物だった牛乳を毎朝飲む習慣から開放された。

 そしてその時、E083はあの少年616の真の恐ろしさに気づいた。

 もしも自分が彼の「嘘」をバラそうとしていたとしても。

 もしかして、あの手の平で肩に触れられていた時点で――「書き換えられていた」んじゃないのか?

 嘘を上司に報告しようとする行為に対して、「気が進まなくなる」よう変えられたんじゃないのか?

 だとしたら。

 あの少年にそんなことができるとしたら。

 Dクラスなんて評価は甘すぎる。

 最低でもCクラス、いや、噂に聞く”情報操作型V.S.P.”その中でも相当強力な個体……。


「あのボウズ――」


 ”試験官”と同じBクラスにも匹敵するんじゃないのか?



 これが謎の組織で働くしがない中年男性「E083」と、超能力をもつ不思議な少年「D616」の出会いだった。

 そしてこの出会いが、後に来る”世界の終わり”、その始まりとなることは……。

 まだ誰も知らない。

 


 



   ΦOLKLORE:第惨蒐最終話・中編 19 ”忘却の海 Undine”

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