18,9 童咋沼の河童 Kappa・終


 日が落ちて、夜になった。

 長い一日だった。

 ぼくたちは旅館の美味しい料理を食べて英気を養うと、向かったのは――。


 そう、露天風呂だった。


「星が綺麗ですね」


 屋根のない温かな空間から、ぼくは夜空を見上げていた。

 隣で湯につかっている小山先生が答える。


「明日は新月。今夜は月の光がほとんどなくなって、星がよく視えるのよ」


 彼女は黒咲さんと一緒にいた頃のメス顔……じゃなくて、赤ら顔じゃなくなっていた。

 いつものクール美女の表情を取り戻していた。あのキャラ崩壊は見ていてドキドキするから正直ホッとする。

 

「……先生は、信じるんですか。世界が終わるって話」


 先生が冷静になったのを確認したぼくは、やっと切り出した。

 この疑問を。

 先生は懐疑主義で現実主義。オカルトの類は信じない人だ。

 だから自分が生まれた村のことも、唯一の親友のことも信じられなくて……ずっと苦しみ続けた人だ。

 愛する……尊敬する黒咲さんの言う事だからといって、神様だのなんだのといった荒唐無稽な話を信じたのだろうか。


「いいえ、全然信じてないわよ」

「ええ!?」


 ぼくのリアクションにクスクスと笑う先生。


「やっぱり比良坂さんって面白いわ」

「ででで、でも! 神様がどうって話はともかく童咋夫妻が悪巧みをしていて、黒咲さんがそれを阻止しに行くっていうことは間違いない事実なんですよ!? それについていくってコトはつまり、信じてもいないことに危険を承知で飛び込むってコトなんですよ!」

「それでいいの、私は」

「先生……」

「私は非科学的なことなんて信じない。これまで証明されてきた科学の歴史を覆せるものが、オカルトの世界にあるだなんていまだに思えないもの。それは今でも変わらない。人ってそう簡単には変われないのよ。だけどね……それはきっと、私がまだ世界の全てを知らないというだけ」


 小山先生は毅然とした口調で続けた。


「科学の歴史だってそう。これは科学的に正しいとされたことが後の時代に否定されて、非科学的とされたことが実証されて、現実に変わってゆく。魔法や奇跡だと思われていたものが、人の手で再現されてありふれた技術へと変わってゆく……その繰り返し。過去から未来へ、永劫変わらないモノなんて本当はないのかもしれないわね。それはね、私にとって希望なの」

「希望?」

「変われなかった私が、変われるかもしれないという希望」

「だから先生は心霊スポット巡りを続けてるんですね……本物の非科学を見つけて、自分の固定観念を壊すために。信じられないものを信じられるようになるために」

「そう、それが理由の半分」

「は、半分?」

「もう半分は、本物の心霊スポットに行けば黒咲さんに会えるかもしれないからよ!」

「えぇ……」

「黒咲さんね、ひどいの! 連絡先も教えずにいなくなっちゃうんだから! だから彼の仕事柄現れそうな場所を探すことにしたのよ!」


 目を輝かせて力説する小山先生。

 ぼくは少しだけげんなりした。小山先生の恋愛脳にじゃなくて、ぼくらがかつて彼女の過去を聞いて推理した内容が「半分」しか正解じゃなかったことを今、知ってしまったからだ。

 ああ、先輩。


 「小山先生は呪殺されたがっている」なんてドヤ顔で推理して勝手に鳥肌立ってたぼくら、恥ずかしいですよ……。


「推測と現実は蓋を開けてみれば全然違ったりするモノなんですね……」


 ぼくがポツリと呟くと小山先生が、


「そうよ。だからこの目で見て、感じて、確かめなきゃならないの。私たちはまだ、この世界のことを何も知らないのだから」


 そう言って空を見る。小山先生は星を見つめてこう続けた。


「比良坂さん、宇宙って無限に近い大きさがあるわよね」

「え、ああ。そうらしいですね」

「だったら夜空に視える星……つまり、恒星の数も無限に近い数になるはずよね」

「確かにそうなります」

「無限に恒星があるのならば、夜空が暗いのは不自然だと思わない?」

「え……?」

「だって今見えている星と星の間にも、無数に恒星が敷き詰まっているはず。だったら、この夜空って昼間と同じくらいの明るさで輝いていてもおかしくないとは思わない?」

「うーん、言われてみれば……」


 確かに太陽が出ているときは明るくて、夜は暗いのは常識だと思ってたけど……。

 言われてみれば、星の一つ一つは恒星であって太陽と同じようなものなんだ。

 それが無数に宇宙に浮かんでいるとすれば、星と星が点在しているように視えるんじゃなくて、もっとギッシリひしめき合うように光っているのが正しいのかも?


「それを”オルバースのパラドックス”と言って、天文学者たちは様々な仮説でこの世界の謎を解決しようとしてきた」

「はへぇ~、どういう仮説があるんですか?」

「たとえば、そうね。ある時代では、星が密集している銀河系の大きさ自体が有限だから空が無限の恒星の光で満たされることはないという結論になったわ」

「ああ、確かに」

「でもさらに後の時代、この銀河系と同じような銀河が宇宙には無数にあるから、結局謎の解決にはなっていないということが明らかになってね。議論は振り出しに戻った。さらに別の説では、宇宙が膨張し続けていることで、遠ざかる恒星の光の波長が引き伸ばされて、人間の視認できる波長じゃなくなるという説明がなされたけれど……それも結局完全解決とは言えなかったの」

「それで……結局そのパラドックスはどう解決されたんですか?」

「実のところ、空全体が星で満たされて視えるほど、宇宙空間における恒星の密度は高くないだけだって仮説が現在は有力ね」

「なんですか、それ……謎の大きさのわりにつまらない答えですね」

「そうね、真実なんてものは案外、知ればつまらないモノなのかもしれないわね」


 小山先生はどこか悟ったようにそう言った。

 その言葉はどこかで聞いたことがある。先輩も度々、似たようなことを言っていた気がした。


「だけどそれはやっぱり希望だと思うの。目の前の現実が全てじゃなくて、その先に私達の想像もつかないような何かがあるという希望。世界は私達が考えているよりももっと広くて、途方もないんだっていう希望」

「先生……」


 先生の伝えたいことは、なんとなくわかる気がした。

 やっぱり先生は信じたいんだ。

 自分が「信じられない人間」であることを自覚して、それでも変わりたいと思っているから。

 だから荒唐無稽な物語でも、確かめにいこうとしているんだ。


 ぼくは星から目を落とし、小山先生を見た。

 そして気付いた。

 重大なこと。先生がいった通り、今まで見ていたぼく自身の現実・・・・・・・とは全く違う世界の広さを、たったいま直視していた。

 そう――。


 先生くらい胸が大きいと――お湯に浮くんだ……!!!


「比良坂さん……どこ見てるの?」

「いえ!? どこも見てませんよ! 宇宙の途方もない大きさについて思いをはせてました、ハイ!」


 ぼくは取り繕うように言葉を紡ぎ出す。


「そそそ、そういえばですね! 童咋家に突入したとき、サユちゃんのお母さんに気になることを言われたんですよ!」


 思い出す。

 童咋家の奥方が言っていたこと。


『あなたが好きな男のコ、あなたを好きな男のコ。そういう男がいたとして、結局その男はあなたが望むほど理想的な存在じゃないのよ。でもね、お嬢さん。若すぎるあなたは気づかない。あなたに優しく接する男もきっと、本音ではあなたをキズモノにしたいだけだって。汚れなき少女の身体を自らの手で汚し、自分だけのモノにしてしまいたいと……そう思っているの。そんなどうしようもない本能を愛だの恋だの、青臭い言葉で着飾っているだけ』


 なんでだろう、その疑問が突然口をついて出てしまったのは。

 やっぱり気になってたのかな。

 魚の小骨みたいに喉にひっかかっていたんだ。


「先生もそう思いますか? ぼくに優しくしてくれる人も、ぼくのコト……そんな風に見てるかもしれないって」

「あなたは、どう思うの?」

「もしかしたらそういう人もいるかもしれませんけど、でも……そういう人だけじゃないって思うんです。ほら、例えばですけど……先輩とか、全然そんなタイプじゃないっていうか」

「へぇー、ふーん」


 小山先生はニヤニヤと笑ってぼくを見る。


「な、なんですかその目! 先生の視線ちょっとエッチくないですか!?」

「いえいえ、可愛いなぁって思っちゃって。でもね、比良坂さんの王子様幻想を否定するようで申し訳ないけれど、はっきりいって彼も男の子なんだから。多かれ少なかれ身近な女の子をそういう目で見てしまうことってあると思うわよ」

「そう……ですかね。でもぼくなんて、全然魅力ないですし。身体はひんそーだし」

「私と比べたらそうなるわね」


 ガーン!

 はっきり言われてショックを受けているぼくに、先生は優しく言葉をかけてくれる。


「でも胸の大きさなんて人の一面に過ぎないでしょう? 人間1人を考えてみても、様々な側面から切り取れるのだから。それが全てではないわ。それに逆に考えてみて?」

「逆、ですか?」

「彼が比良坂さんのこと、1ミリたりとも性的な目で見てなかったらそれはそれで嫌でしょう?」

「うっ……」


 痛いところを突かれた。

 ぼくは顔の下半分をお湯につけて、ぶくぶくと口から泡を出す。


「むぅー……」

 

 男の子のエッチなところってちょっとフケツでヤダなって思うときはあるんだけど。

 でも……確かに。

 先輩がぼくのコトをそういう目で見てるとしたら……。


 ちょっと――嫌じゃないのカモ。

 なんて思っちゃったんだ。

 こんな気持ち、初めて気づいたよ。

 ああ、先生の言う通りだよね。

 ぼくもまだ、広い世界のことをほんの一部しか知らないんだ。

 


   ☆   ☆   ☆



 露天風呂をあがって、浴衣で廊下を歩いていると、ちょうど男湯から出てきた先輩と出くわした。

 自動販売機の前でばったりと顔をつきあわせてしまう二人。

 うわっ、ぼくは顔を背ける。

 ス、スッピンを見られてしまったぁ……。


「おい、なんで目をそらす」


 なんでって、可愛くない顔を見られたくないし。

 それに……女湯で小山先生と女同士のアレやコレやという話に花を咲かせたあとだったから。

 ヘンに意識しちゃって……。

 湯当たりしたのかな、ほっぺも赤くなってる気がする。

 とにかく、先輩の顔を直視できなかった。

 そうこうするうち――ピトリ、と頬に何か冷たい感触が触れた。


「ひあぁ――!?」

「ほら、コーヒー牛乳奢ってやるから。ちょっと表で話さないか?」

「え、あ……はい」


 ぼくは背筋を伸ばし、先輩が二本買ったらしいコーヒー牛乳の瓶を片方受け取った。

 先輩は現実主義的なところはあるけど、「お風呂のあとのコーヒー牛乳」みたいな様式美ロマンを重視するトコロもある人だ。

 こういうギャップがけっこう……イイんだよね。

 いやいや、なにを意識してるんだよ。

 先輩と二人で話すなんて、”謎解き活動”でいつもやってることなのに。日常なのに。

 浴衣で、旅館で、お風呂のあとで。

 非日常的なシチュエーションだからか、いつもよりドキドキする。

 ぼくは先輩の背中についていって、旅館の外に出た。


「……」


 建物から出たけど、旅館の敷地内に設置されたベンチで二人並んで座った。

 無言でコーヒー牛乳を飲む先輩。

 ゴクゴクと喉をならして飲む先輩をぼくはポケーっと見てしまう。

 喉仏、ゴツゴツしててやっぱり男の子なんだなぁ。

 それに浴衣からちょっと鎖骨がチラ見えするのが、濡れた髪とあいまってなんか……セクシーかも。


「ってああああああああああああああ!!!」


 ぼくはブンブンと乾かしたばかりの髪を振り乱して叫んだ。

 「な、なんだよいきなり」先輩が動揺して後ずさる。


「い、いえ、なんでもないんです、なんでも! ただ自分のバカさ加減にびっくりしちゃって!」

「そ、そうか。大変だな……」


 先輩は困惑しながらコーヒー牛乳をまた一口飲んだ。

 ああ、ホント。小山先生と男の子の性について語り合った影響もあると思うけど。

 だけどやっぱりぼくは愚かだ。

 「先輩も女子を性的な目で見るのかな?」なんて、あたかもぼくは純粋無垢で潔癖な女の子ですよ~って前提で話していたけれど……。

 実際はぼくのほうが先輩を性的な目でみちゃってるじゃん!!


「はぁ……」


 自己嫌悪でため息を吐く。

 そんなぼくの姿を見て、今度は先輩がこう言った。


「なんかお前の浴衣姿って新鮮だな」

「あ、あの……先輩は」

「ん?」

「仮に、仮にですよ。先輩に好きな女の子がいるとして。その子のことを自分のモノにしちゃいたいって。自分の手で一生傷モノにしてしまいたいって。そう思いますか?」

「なんだよいきなり。ワケわかんねェ」

「ぼくだってワケわからんないですけど! でも聞きたいんです!」


 ずい、と顔を近づける。

 先輩の瞳を除きこんだ。

 「うっ……」ぼくの謎テンションに気圧されたらしい先輩は渋々返答する。


「よくわかんねーけど、独占欲ってヤツか? どうだろうな……あるのかな、俺にそんなの。いや、そもそも……俺に好きな女の子、か……。そんな資格あるのかねぇ」

「え……?」

「いや、なんでもない。悪いが答えは俺自身にもわからないようだ。語り得ないことは、沈黙するしかない」


 ”資格”?

 先輩は確かにそう言った。誰かを好きになる資格がないってコト?

 先輩は自分自身のこと、そう思ってたの?

 その真意はわからないけど、これ以上この話題は広がらなさそうだった。

 だから話を変える。


「あの、先輩は明日……黒咲さんと一緒に”中ノ島”へ行きますか?」

「……お前は、どうなんだ?」

「ぼくじゃなくて、先輩の意見を聞きたいんです。だって先輩、今回の事件とか”ファウンダリ”か……何にも関係ないじゃないですか。危険なことにこれ以上つきあう理由がないですし」

「それはお前も同じだろ」


 あ、そっか。

 先輩はぼくが”ファウンダリ”の研究者だった”比良坂博士”の娘だって知らないんだ。

 でも……理由はそれだけじゃない。


「ぼくは無関係じゃないです。カナタくんは依頼人だし、そもそもこれは世界を救う特別な勇者の冒険なんかじゃなくて……ぼくの”謎解き活動”なんですから」

「だったら俺だって同じだ。お前だけの”謎解き活動”じゃあねぇだろ?」


 先輩はコーヒー牛乳を一気に飲み干して宣言した。


俺たちの・・・・謎解き活動なんだ。お前が行くなら俺も行く、それだけだ。危険だろうとなんだろうと関係ない。どんな結果が待っていようと関係ない。あの黒咲って男が言ったように……これは、俺の選択だ」

「……先輩」


 なんだろう。

 どうしてそんなコトをしたのか自分でもわからない。

 どこまでも心は謎で、決断とか迷いとか、自分自身を意識する前に両手を彼の頬に伸ばしていた。

 そっと指で肌に触れる。

 そして、顔を近づけた。

 

 トクン、トクン。


 音が聞こえる。

 きっとこれは、心の音。

 顔と顔をつきあわせて、唇と唇が向かい合って。

 近づいてゆく。

 吐息と吐息とが混じり合う距離まで。

 そして――触れ合う距離まで、あと少し。


「おーい、ヒラサカにセンパイ、あんま夜ふかしすんじゃねーぞー! もう寝るからな!」


 「っ――!?」突然近づいてきたカナタくんの元気な声にハッとして、ぼくは顔を離した。

 先輩はというと、明らかに戸惑っているみたいだった。

 ぼくがいきなり何をしようとしたのか理解できない、という様子だった。


「お、お前……」

「な、なな、なんでもないです! あはは、なんだろ、いろいろあってヘンになっちゃってますね、ぼく。コーヒー牛乳ごちそうさまでした、おやすみなさい!」


 ぼくは彼に背を向けて旅館の中へ戻ってゆく。

 ああ、なんでだろう。

 なんであんなことしようとしたんだろう。どんな気持ちで。

 もう自分の気持ちがわからなかった。

 でもきっと、たぶんだけど……世界が明日滅ぶって思ったら。

 最後にはっきりしておきたいって思ったんだと思う。

 自分自身の気持ち。

 

 彼と出会ってから、ずっと抱え続けた小さな疑問。

 ぼく自身の”心の謎”。

 先輩はぼくのコト、どう思ってるだろう?

 ううん、そうじゃない。本当の謎は、そっちじゃなくて……。




 ぼくは先輩のコト――どう思ってるんだろう?




 この人といっしょにいたいとか。

 触れたいとか。

 触れられたいとか。

 傷つけたいとか。

 傷つけられたいとか。

 弱みを見せたくないとか。

 弱みを見せてほしいだとか。


 この正体不明の気持ちは。

 この想いの正体は。

 いったい何なんだろう?

 

 


 


 


  ΦOLKLORE: 18 “童咋沼の河童 Kappa”   END.






 

 

 最終決戦は明日。

 世界の終わりまで、あと――1日。





  次回、最終章中編。

  ΦOLKLORE: 19 “忘却の海 Undine” へ続く。

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