時に霽れ

亜未田久志

天使生存圏


 今日は天使の数が少ないなぁ。

 そんな事をぼんやりと思った。

 あの歌が聞こえるからかなぁ。

 私の好きなロックバンド「リユニオン」彼らは天使に浄化された地上を旅しながら各地に歌を届けているらしい。

 十年前、私がまだ幼かった頃、お姉ちゃんがまだ生きていた頃、旧イギリス領の放送局に音源が届けられ、それは世界中へと発信された。

 それは天使の浄化される前の地球を写した「赤い天球」の映像から九十年後の事であり、天球歴、初の全世界通信だった。

 赤い天球の映像、海も地上も真っ赤に輝いた天使の浄化を写した映像、それを好んで見ようという人間なんていない。

 天骸チェルノボーグを纏う私達は教育の過程で見せられるけれど。

 天使生存圏レッドゾーンは成層圏にあり、ではなぜ天使は地上の浄化を行ったのか、それはいまだ謎のままである。

 そもそも天使とは何か、それの飛来が確認されたのは二〇二三年の事である。そう奴らは宇宙の向こうからやってきた。

 地球外生命体ということになる。

 宇宙から勝手にやって来て勝手に地上を赤く照らしては、勝手に空に住み着いた侵略者。

 私たちはそれを狩っている。

 ……なんの話をしていたんだっけ。

 そうだ、リユニオン……じゃない、今日の天使の数の話だ。

 いつもは数えきれないほど成層圏に蠢いている天使の数が今日は数えられるくらいしかいない。百体程度か、私の横にあるスピーカーからはリユニオンの曲が流れている。

「この歌のおかげかな、リザはどう思う?」

 また会う日まで♪ と各国の言語で奏でる曲は私のお気に入りだった。

 特に最後の歌詞。赤い空にさようなら♪ 青い空にまた会う日まで♪

 ここが一番好きだった。ニホン語? というらしい。

 百年前の浄化で沈んだ島国らしいけど、ボーカルがそこの出身らしい。

 リザから一向に返答が無いのを待ちかねてスピーカーの横を離れ屋根に上る。

 そこには望遠鏡で赤い空を眺める銀髪碧眼のリザの姿があった。天骸チェルノボーグを纏っている。

「臨戦態勢じゃん、どしたの」

「天使の数が減ってる」

「そうね」

「ノエル、あんたね、『再浄化』のサインの一つに『天使の数の著しい増減』って項目があるの忘れたの!?」

「あー」

 忘れてた。とは言わなかったけど、忘れてた。

 今日はスピーカーの調子がいいもんだから、つい。

 もう百年来使われているらしいソーラー充電の音楽機器たちを眺めながら、仕方なく屋根を降りて、小屋の中に入る。

 その中には物々しい機械がずらーっと並んでいた。

「行こうか、私の天骸チェルノボーグ。天蓋を穿ちに」

 機械たちは一斉に私の身に纏うバトルドレスになる。

 数十年前に開発されたこれは、人間の最後の悪足掻きで手に入れた天使の死骸なのだという。

 つまり天使は機械生命体ということになるのだろうか?

 それさえ研究職がいなくなった今現在では誰もあずかり知らぬ所だ。

 一つ、深呼吸、小屋の中にいても旧ロシア領の空気は冷たい。

 いざ空に旅立とうという時だった。

 リユニオンの曲がダブって聞こえてきた。

 スピーカーの故障かと思ったが違う。

 音が近づいてくる。

 リザも小屋の屋根から降りて来て音源へと向かう。

 そう。

 それは。

 各国の言語で「また会う日までリユニオン」と描いたロゴをたくさん貼り付けた車に乗った四人組だった。

「ヒューッ! 見ろよ! 地上の天使は本当にいたんだ!」

「それを言うなら勇者ヒロインだろうが」

「ハハハッ! 最高に美人さんだ!」

「Zzz」

 私は言葉を失った。

 リザも同じだった。

 そう、彼らは。

 彼らこそが。

「「リユニオン!」」

 リザと私の声が重なった。

 ラジオから流れる音源しか聞いたことのない私達はその生音源に驚くしかなかった。

「嘘!? 本物!? 嘘だと言って!?」

「ハハハッ、残念だけど本物のリユニオンだ。こんな赤い地面で車を走らせてるのは俺らくらいだからな」

リーその胡散臭い笑い方やめろって偽物っぽいだろ」

「あなたが、カナデ?」

「うん? ああ、そうそう、んでこっちがジェイソンで、寝てるのがエーリン」

「エーリンの家系は此処の出身なんだ」

 もう百年前の話だけどね、とジェイソンの言葉にカナデが付け加えた。

「私たちはそのえっとあの」

「知ってるよ、此処で天使退治してるんだろ?」

 どうしてそれを、と聞く前に一通の手紙が差し出された。

 その便箋は、筆跡は。

「お姉ちゃんの使ってたやつだ……?」

 中身を開けて読んでみる。

『これが届いている事をまず祈ります。

 あなた達リユニオンを愛するファンの一人より。

 この手紙はいわゆるファンレター。

 百年前は当たり前だった事。

 それが今じゃ出来なくなった。

 全部、天使たちのせい。

 信じられないかもしれないけど。

 私たちは天使を狩っています。

 それでいつかあなた達の歌詞にあるように。

 青い空を眺められるように願っています。

 だけど、私たちの武器は呪われていて。

 使うと寿命を食べていきます。

 だから私は長生き出来ません。

 そして次の後継は妹になるでしょう。

 妹もあなた達の大ファンです。

 どうかお願いします。

 妹が生きている間に。

 あなた達の歌声を直接、此処、旧モスクワ十番通りに届けてください。

 どうか。

 どうか。

 マリア・セプテンバーより。』

 私は思わず涙をこぼした。

 リザが私の肩を支えてくれる。

「君が、妹さん?」

「はい、ノエル・セプテンバーです……」

「良かった、いや本当はお姉さんが生きている間に来たかったんだけど、その時はまだイギリスで」

「あの、私から、ありがとうございます」

 リザが泣きじゃくる私の代わりにお礼を言ってくれる。

 本当にお礼を言わなくちゃいけないのは私なのに。

 涙が止まらない。

「君達も、その、寿命を犠牲に……戦っているのかい」

「……はい、きっと『青い空に、また会う日まで』のために」

「驚いたな、ニホン語、上手なんだね」

「勉強しましたから」

 私は精一杯、微笑んでみせた。

 そっと手が差し伸べられる。

「握手って言うんだ、友好の証だ、手を差し出して?」

 そっと私がカナデの手に触れると握られた。

 私は恐る恐る握り返す。

「今日はとびきりの演奏にしよう」

「はい!」

 私は震える声で応えた。


 ♪♪♪


 俺らはアンプを繋いで、ギターやベースの準備をする。こんなポストアポカリプスには相応しくない骨董品たちだ。

 李とジェイソンとエーリンがそれぞれギターとベースとドラムに配置に着く。マイクを握る俺。観客は二人。

「今日は来てくれて……じゃないや迎えてくれてありがとう! イカしたメンバーを紹介するぜ! ボーカルは俺! カナデ・コトノハ!」

 ハウるマイク、気にせずギタリストを指さす。

「ギターの李!」

 李は、がなるような音を響かせる。次はベーシスト。

「ベースのジェイソン!」

 低い音で辺りに心地よい圧をかけていくジェイソン。最後にドラマー。

「ドラムのエーリン!」

 華麗なスティックさばきで観客を魅了してみせたエーリン。

 これで下準備は終わり。

 演奏を始めよう。

 そうした時だった。

 誰の演奏でもない甲高い音が鳴り響いた。

「警報だ! 『再浄化』の警報だ!」

 リザと呼ばれていた少女が叫ぶ。

 俺らはニヤリと笑うと先ずは李に任せた。

 かき鳴らすギターソロ、驚くノエルとリザ。

『はじめましてかな? それとも二度目?』

 歌が始まる。ギターが場を温め、ベースが場を整え、ドラムが場を盛り上げる。

 そしてボーカルの俺が美味しいところを貰ってくのさ。

「早く逃げないと!」

「シェルターに避難を!」

 そこで一旦俺だけ歌うのをやめる、ハンドサインで演奏だけ続けてもらう。

「俺らは君らにこの曲を届けに来たんだ」

「でも!」

「いいから聞いて、どこに居てもいいから聞いていて」

 俺は歌の続きを言祝ぐ。

 再会を祝う歌だ。

 彼女たちは飛び立った。

 きっと天使を狩りに。

 俺らを守るために?

 いいや違うね。

 俺らが此処にいなくても彼女たちは飛んださ。

 ならば。

 それならば。

 その背に音楽を届けてやらなくちゃ。

 そのために生きてきたと言ったって過言じゃないさ。

 なあそうだろう?

 李、ジェイソン、エーリン。

 俺らは間違ってない。

 命を賭して戦う彼女らにせめてもの幸福を。

 ってのは少し傲慢かな?

 それでもさ。

 今日のために歌ってきた。

 そんな気がするんだ。

 感想を聞きたかったけど、今はライブの最中だ。

 終わったら、聞くことにしよう。


 ♪♪♪


 私たちは高く飛んだ。

 天骸チェルノボーグの推力で天使生存圏レッドゾーンまで。

 再浄化のために沸騰した赤い空へ。

 天使の一体と『目』が合った。

 同時に撃墜する。

 あっけないものだと思うけれど。

 こんなの気にしないくらいの数の天使が空に蠢いている。

 赤い、赤い、赤い、赫い、赫い、赫い、赤赤赤赤赤赤赤……。

 冷静に一気ずつ撃ち墜としていく。

 でも間に合わない。

「どうしよう! 再浄化が始まっちゃう! リザ! リユニオンがまだ歌ってる!」

「地上を見ちゃだめ! ノエル! 目が焼かれちゃう!」

「でも!」

「お願い! 私はノエルに生きてて欲しいの!」

 天使の群れを突破してしまう私たち。

 地上へ向かおうとする私と。

 それを止めようとするリザ。

 天使と人間の対立構造は消えて。

 一組の女の子の喧嘩が空を駆け抜ける。

 巻き込まれる天使は銃撃の雨に沈んだ。

 天から地上に天使の亡骸が降り注ぐ。

 それでも赤熱は止まらない。

「ああ、ねぇ、リザ、聞こえるでしょう?」

「ノエル、お願い、私の言う通りにして……」

「また会う日まで、青い空が見えるその時まで……ねぇ、これ新曲だよ……リザ」

 地上から鳴り響く音は知っている曲から知らない曲へと変わっていた。

 君達に届ける祈り♪ 儚いけど此処にあるから♪

 私は涙が止まらなくなる。

 これは私たちだけに送られた私たちのための歌だ。

『10』

 ひどく前時代的な人工音声によるカウントダウンが聞こえる。

「天使の……声?」

「再浄化のカウントダウンだわ、もう間に合わない」

 リザは私を抱きしめて離さない。

『9』

 私は少しでもリユニオンの曲に耳を傾ける。

 ――また会う日まで、今日という日を生きてきた。そして今日、君に会えたんだ。

『8』

 私たちは天使生存圏を抜ける。そこに広がるのは青い空、どこまでも青い空。

『7』

 ――青い空は見えたかな? 俺達には見えてるよ。君達が飛ぶ空が。

『6』

 天骸チェルノボーグのバトルドレスのおかげで真空に近い状態でも生存が可能だ。

『5』

 ――どうか泣かないで、きっとまた会う日まで。

『4』

 やめて、行かないで。

『3』

 リザの手を振り払おうとする。

『2』

 だけど彼女も泣いている事に気付いてしまって。

『1』

 私はただ抱き返す事しか出来なかった。

『0』

 旧モスクワは再び赤く輝いた。

 もう歌は聞こえない。

 だけど私たちが地上に降りられるようになった時。

 見上げる空は。

「青い空だ、天使が一匹もいない、青い青い空」

「――綺麗だね」

 彼らが残したものは消えてしまったけれど。

 私たちはまだ生きている。

 だから。

「ねぇリザ」

「うん?」

「バンドって二人でも出来るかな」


                     ~finale~

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