くらげの足跡は瑠璃色の空へと続く。 第3話
今年も蝉が産声をあげた。
けたたましい鳴き声が鼓膜に触れると、今年もこの季節がやってきたのだと、僕は知る。
新幹線から降りたあと、普通電車を乗り継ぎ今はバスに揺られていた。開け放された窓からは、懐かしい匂いが夏の淡い香りと合わさって鼻腔をかすめる。
この街の匂いが好きだ。
南から吹き抜ける潮の香りと北から降りてくる山の匂いが混じり合う。生まれ育ち、人生で最高の日々を過ごしたこの街の匂いが僕は好きだ。
そして、この街は海月との思い出で溢れてる。
でも、僕はそれが辛くてわざわざ県外の大学を受験した。この街にいると、どうしたって海月と過ごした時間や思い出が頭の中を占めることになる。
だから、僕は逃げるように街を出て、毎年この日以外は訪れることもなくなった。
今日は僕の誕生日だ。
海月が僕たちの前を去った翌年から、僕の誕生日は海月と最後に過ごしたあの崖でお祝いすることになっている。
誰が言い出した訳でもなく、僕たち三人の共通認識として、最後に四人で幸せを分かち合ったあの瞬間を、決して色褪せるようなものにしてはならないというものがあったのかもしれない。
あの花火大会があった日、僕の誕生日だったあの日は、最後に僕たち三人が海月と共に同じ時間を生きて、幸せを分かち合った日でもあった。だから、あの日のあの瞬間を忘れることが出来ない僕たちは、高校を卒業し、それぞれが自分の人生を歩み始めた今でもこの日だけは必ず集まることにしている。
それに、今年は例年とは別件でこの街に来なければならない理由があった。
去年の暮れに、母がようやく長年の夢だったプロのチェロ奏者になることが出来たのだ。一応LINEでお祝いのメッセージは入れてはいたが、やはり面と向かってお祝いの言葉を伝えてあげたいと思った。
自分の母親ながら、本当に誇らしく思う。一度は諦めた夢を、限りある時間の隙間を縫うように練習し、子育てという最も大変な偉業を成し遂げたあとで、実現したのだから。僕にとっての自慢の母親だ。
物思いに耽ていると、バスがゆっくりとスピードを落とし止まった。扉の開く音と共に、空気の抜けるような音が鼓膜に触れる。窓の向こうには防波堤がみえ、その奥にはあの時と何一つ変わらない水平線が続いている。
左手に巻かれた腕時計に視線を落とすと、時刻は17時を回った頃だった。バスの小窓からみえる残された青空を映すかのように、時計の文字盤は青々と輝いている。
あれから五年が経った今も、この時計は時を刻み続けている。秒針がひとつ針を進める度に胸が張り裂けそうになる時もあった。でも、あの時も、今も、海月から貰ったこの時計は僕の大切な宝物だ。それは、ずっと変わらない。
僕は足元に置いていた花束をそっと待ち上げた。周りを包んでいた包装用紙が、かさりと、音を立てる。花が折れないようにとまるで赤子を抱きかかるかの如く大切に抱きかかえ、バスを降りた。
顔を上げて大きく息を吸い込むと、この街の匂いで肺の中が満たされていく。頭上には茜色の燃えたぎるような空が広がっていた。日が暮れるまで、もうあと少し。
「響ーっ!!」
通りの向こうで立つ二人をみつけ、僕は笑顔を向ける。静香と拓馬は未だに恋人の関係が続いている。小さなすれ違いがきっかけとなり何度か大きな喧嘩へと発展したらしいが、どちらかが別れを切り出すことはなかったという。きっといずれは結婚するのではないかと僕は思っている。いや、そう願っている。僕にとって大切な二人が特別な感情で結ばれているということは、僕にとってもこの上ない幸せなことだ。
静香は白いノースリーブの服に水色のハーフパンツに身を包んでいた。高校を卒業した後、静香は夢の為に美容学校へと進んだ。髪型も鎖骨の辺りまで伸ばした髪にはレイヤーが入れられており、今時だなと感じた。
拓馬は黒いシャツにジーンズというカジュアルな格好だが、広くなった肩幅に加え背丈も高校の頃から更に伸びて、知らない人からすればラガーマンに間違えられてしまうのではないかという出で立ちだった。
でも、実際は拓馬も夢へと向かって歩み始めている。今は親の意向で大学に通ってはいるが、卒業と同時にいよいよ消防学校に入学するらしい。その話を拓馬から聞いた時、僕は自分のことのように嬉しくなった。
いつだったか、四人で過ごした海辺で打ち明けた夢へと向かって、二人は歩み始めているのだ。
そんな二人が眩しくて友達として誇らしく思った。僕は、つい先日まで未だに夢を見つけることが出来ていなかったから。
「よっ久しぶり!」
「あれ、響またちょっと痩せたんじゃない?ちゃんと食べないと駄目だよ。」
毎年、一年ぶりの再会となるがたった数分でその月日は埋まる。二人に笑顔で迎え入れられ、僕も同じように返す。そして、他愛もない話をしている内に、僕たちは高校の頃のような関係に戻れるのだ。
「じゃあ、行くか!」
僕がそう声を掛けると、二人は笑顔で頷いた。
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