刹那の時間を、胸に仕舞って 第4話

 夜の帳が降りる中、僕は海月と二人で歩いていた。


 前日の謝罪の為、放課後に三人でおばあちゃんの家を訪れたが、話が盛り上がりすぎて気付いた頃にはすっかり日が沈んでしまっていた。静香は迎えに来た母親とご飯を食べに行くらしく駅前で別れた。時間も時間なので、女の子一人で帰るのは危ないだろうと思い、僕は海月に「送っていくよ」と言った。


 考えてみれば、海月と横並びになって二人で帰るのは初めてだった。夜が溶け落ちた道なりを、等間隔に並んだ街灯が道しるべのように照らしてくれてる。その両端には明かりの灯る民家が並び、テレビの音や人の声と共に家から漏れ出た音が鼓膜に触れる。至る所から食べ物の香りがして、今晩の夕飯は何だろうと思わず考えてしまったりした。


 人気のない道を僕たちが足を進める度に生まれた足音が、遠慮気味に小さく鳴る。


 何を話せばいいのか分からなかった。

 こういう時、拓馬なら話題に事欠くことはないのだろうなと頭に浮かぶ。


「拓馬、バイト受かったかな?」


 ちらりと隣を歩く海月をみると、静かに揺れる髪からのぞく高い鼻梁が目にとまる。横顔までこんなに綺麗なんだと思うと、心がふわふわとした。


「たぶん受かるよ。拓馬人当たりもいいし見た目も悪くないから海の家なら即戦力になるんじゃない?」


 うっすらと笑みを浮かべた海月はすっと視線を前に向けた。夜の闇が、灯る光が、僕たちの制服を白から黒へ、黒から飴色へと染め上げていく。


「ねぇ、響にお願いがあるんだけど。」


 突然海月が足を止めたことに気付き、僕は後ろを振り返る。唇が開き何かを言い出そうとはしているが、その度に口が結ばれる。言葉を呑み込んでいるような気がして、僕は「何でも言って。」と海月をみつめた。


「あの…ね。もし良かったら…今年の夏休みは毎日一緒にいて欲しいの。勿論、響にも無理な日があるだろし、無理な日は無理って言ってくれていいから。」


 唐突に投げ掛けられた言葉に僕は心臓が止まりそうになった。僕の方こそ、この夏の間は海月とずっと一緒にいたいと思っていたからだ。


「全然いいよ。夏休みの予定もないし、むしろ…僕の方からお願いしたいくらいだよ…。」


 緊張で上手く舌が回らない。自分の気持ちを正直に伝えようとするとこんなにも平常心を失ってしまうのか。


「ほんと?嬉しい!」


 夜を灯す程の眩い笑顔を咲かせた海月は、僕の手を取って子供のようにはしゃいでる。その笑顔をみていると、導かれるように僕の顔からも笑顔が溢れた。


 こんなにも変わるものなのかと思った。

 ただ民家沿いを歩いているだけなのに、海月といればその時間はかけがえのない大切なものだと思えた。

 退屈だった毎日は、時が止まっているかのように思えた人生は、今は一瞬ですら惜しい。


 いつか。

 いつか、ちゃんと。

 僕の抱いている気持ちを海月に伝えよう。


 僕は、夜空に浮かぶ月を見上げ、そう決意した。





 人のことを好きになった時、心の中にもう一人の自分が生まれたような感じがする。私じゃない、もう一人の私は、ただ求めて、欲して、抑えがきかない。その恋が終わる時、乾きに耐えきれず死ぬのだけれど、それまでは、ただ欲望のままに、考え、行動し、私の身体を支配する。


 今朝の私は、まさに私であって私じゃなかったように、思う。たどたどしくも、一生懸命に私を慰めてくれる響をみて、きゅっと胸が締め付けられるような気持ちに駆られた。そのあと、触れたいと思った。響の手に。少しだけでもいいから触れたくなった。


 そう思った刹那には、私は響の手に触れていた。自分でもびっくりした。男の子の手に、自ら積極的に触りにいくなんて、普段の私なら考えつかない。響の手は温かった。その手の温もりを胸の中に閉じ込めて、大切にしまって、あぁ私は響のことが好きなんだって思った。


 響は私のことをどう思ってくれているんだろう?


 出来れば私と同じくらい好きになってくれたら嬉しいな。実ることはない恋だけど、気持ちが通じ合うことって、奇跡みたいなものだと思うから、最期に私はその奇跡を起こしてみたい。

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