17 中編02:200年前




 200年前、その男は小高い丘の上に立っていた。

 大方の他者より巨大な肉体を赤色がくすんで茶に近い色合いにまで古びた外套で包み、古代ギリシアの都市スパルタでよく使用されていた、両の眼と鼻筋から顎の先端部までが露出した銀の兜で、頭部のその他すべてを覆い隠している。

 身を乗り出すように首を伸ばせば、兜の影に隠れていた雪のように白い顎の髭が少しだけ陽光の下に現れ出でた。


 眼下では、双方共に万の数を超える軍勢同士が今まさに雌雄を決し合っている。

 明らかな戦争であった。

 ただし、内乱でもある。

 ここは西大陸に幾つかある国の規模も版図の広さも国力も特段珍しくもない国。突出した特色も無ければ、目立って劣った点も無い。言わば没個性の普通の国であった。


 そんな普通の国の将来への決定権を得んがために、両軍は激しくぶつかり合っているのだった。

 片や国王の率いる向かって左の軍。片や有力貴族の率いる右の軍。

 双方の兵力差は無きに等しい。まさしく国を二分する争いであった。


(お?)


 男が見つめる中、左軍に動きが見られた。

 温存されていた部隊が投入され、強引な中央突破を敢行しようとしていたのだ。

 恐らくは国王直属の部隊だろう。戦局の硬直に焦れた司令官が突撃を命じたといったところか。


 些か性急に過ぎる。が、タイミングとしてはそれほど悪いものでもない。通じるのであれば、勝敗の帰趨、その結果に楔を打つ要因にも成り得る一手であった。

 あくまでも通じれば、だ。

 残念ながら相手指揮官には読まれていたようで、突撃部隊は右軍の奥深くまで引き込まれた挙句、敵軍の中で孤立させられる形となり身動きも取れぬ状態へと陥った。


 同時に、これを合図とするかのように右軍の両端に位置していた部隊が転進。中央へと向かい進軍を開始する。

 広げた翼を閉じつつあるのだった。


(右軍は、この国最大の有力貴族が率いる貴族同士の連合軍だったな……)


 戦いの流れが、その右軍へと傾きつつある。

 大軍同士の戦闘は、一度大きな流れがつくと簡単には止められない。余程の強者がいなくては逆転など不可能だ。


(こりゃあ、もう決まっちまったかな?)


 男の、かつては赤髭卿と呼ばれた男の視点から視るとそうなる。

 左軍側、国王軍の方は既に直属の部隊を前に出してしまっていた。そして、その虎の子の部隊は敵軍の中で現在、絶賛孤立中。この時点で左軍側は、抵抗する術を自ら失っていたに近いのである。


 ところがだ。

 既に勝利へと大方手が届きかけていたにもかかわらず、右軍、貴族連合軍側はまたも突然の転進を見せた。このまま順当に戦局が流れれば力任せに押し込むだけで勝てる公算が高いというに、粛々と撤退の準備を始めたのである。


(何だ?)


 疑問に思うヴォルレウスは、周囲の環境を見直すことで即座にその理由に気がついた。

 日が暮れかけていたのだ。

 夜間戦闘の指揮はどんな優秀な人物でも困難極まる。状況の推移を逐一確認しつつ指揮を執らねばならないのに、その状況自体が見えなくなるわけだ。


 よって戦いとは名ばかりの、事前準備のぶつけ合いとなってしまう。

 この頃は、特にまだ法器が普及してはいないので、兵士たちの眼の頼りは月明り、星明り、そして松明の灯りだ。

 少しの風で揺らぎ、或いは消える。命を懸けるには若干に心もとなき光である。隣り合う人物の顔さえ、満足に識別できない。兵士たちだって一人の人間、自分の命こそが第一だ。すぐ前の人間が誰か、ひょっとしたら味方ではないのかも知れない、そんな状況で冷静な行動など取れる訳がない。精々が順序立てた事前の説明に従って動くのみ。それも大抵は最初だけ、時間の経過と共に怪しくなる。不確定要素が増えていってしまう。


 戦争など不確定要素の塊だが、これを嫌う指揮官は多い。自分のコントロール下から外れるからだ。勝ったとしても幸運に助けられただけで、自身の手柄とはとても思えない、などと嘯く者もいたくらいであった。

 これは頭脳派であればあるほど、優秀であればあるほど見られる傾向だとヴォルレウスは考えている。


 先程の戦いの経過を見る限り、貴族連合軍の指揮を執っている者も相当優秀な人物に違いない。かなりの切れ者だ。

 そういった者が夜の戦いを避けようとするのも解る。

 しかし、見たところ日が完全に西の空に落ちるまで、まだ1時間くらいはあるだろう。あの調子であれば、大体その半分の時間で決着をつけられたのではないかとも思えてくる。さすがに壊滅までは難しいかもしれないが、国王軍を退却に追い込むのは充分可能だったろう。


(余程、兵の犠牲を惜しんだのか?)


 夜戦はどうしても無駄な死人が増えるから、それを避ける決断なのか。

 どちらにせよ、このままここにいても情報が足りない。


(直接聞くのが一番か)


 ヴォルレウスは潜み、夜の闇を待った。




   ◇ ◇ ◇




 深夜にまで続いた軍議を終えて、貴族連合軍の総大将が自身の天幕の中へ入ると、そこで彼は何者かの気配を感じ取った。


「暗殺者を差し向けてくるとは……。陛下も遂に堕ちてしまわれたか……」


 残念そうな響きだけがあった。その声に反応するように、物陰から一人の人物が姿を現す。


「違いますよ」


 表情のうかがい難い銀色兜にマントの姿の男が即座に否定の言葉を吐く。ヴォルレウスであった。


「ほう、では何者かね?」


 総大将はここで初めてヴォルレウスの方に向く。その眼がわずかに見開かれた。


「冒険者ですよ。まずは断りもせずに押しかけた無礼をお詫びいたします」


 折り目正しく謝罪してみせる。総大将の眼の色が更に変わった。


「冒険者か……。対モンスター専門の傭兵……であったかね?」


 割と酷い言い様だが、当時はモーデルから離れればこの程度の認識であった。冒険者たちが各地で己の評価を上げていくのは、まだまだ先の話である。

 彼は続ける。


「私も素人ではない。ここに来るまでには多数の見張りや護衛の眼にかかるよう配置をしておいた筈だ。しかし、全く戦闘の気配が感じられん。それどころか血の匂いも無い。君はまさか、誰一人傷つけることなくこの場に辿り着いたというのかね?」


 ヴォルレウスは無言で肯く。総大将の眼がますます見開かれていた。


「成程。その言葉に嘘偽りが無ければ、君は相当な手練れのようだ。そんな君が私の元へとわざわざと訊ねてきたのは、一体何用だい?」


「雇っていただきたいんですよ」


「ほう。戦力の売り込みかね?」


「ええ。俺を雇えば、更に確実な勝利が手に入りますよ」


 慎重すぎる職業軍人、ヴォルレウスは眼の前の男をそういう人物であると捉えていた。

 しかし、彼の反応はヴォルレウスの予想とは違った。


「確実な、勝利かね」


 些かに、興味の無さそうな声であった。次いで、彼は言う。


「私がそんなものを求めていると、君ほどの男が思うのかね?」


 ヴォルレウスはどういう意味か解らず、絶句する。総大将の独白は続いた。


「要らんよ、そんなものは」


「勝ちを目指さないのですか? 反乱を起こしておいて?」


「君は我々、いいや私の戦いを、何の為にだと心得ておる?」


「この国の、未来の決定権を得るためでしょう? その為に、国王の改革に反対する諸侯をまとめ上げた」


「確かに私は、国王陛下の改革断行派に反対する諸侯をまとめ上げた。しかし私は、陛下から国の決定権など奪おうとは考えていない」


 そう言えば、彼は最初から『陛下』と言っていた。既に弓引く存在、敵となっているにもかかわらず。


「では……、何の為に?」


「大国からの影響を無理に遮断し、流れを堰き止めたとしても、我が国の発展が他国に比べて遅れるだけだ。何の益も無い。それに、あくまでも一時しのぎにしか過ぎん。時が来れば、またいずれ改革は求められる。所詮は先延ばしの無駄な行為でしかない」


「無駄な行為……? では何故、こんな戦争をしているのです?」


「陛下の改革は早過ぎるのだよ。既に周辺国へと助けを求めていた者もいた状況だったのだ。このままではいずれかの国の介入を許すこととなり、我が国はバラバラに斬り裂かれてしまう。それくらいなら、私が1つにまとめておいた方が良い」


「その為に、国を二分したと? 国王の改革スピードを緩めさせる為に」


 総大将は肯いた。


「そうだ」


「では、肝心の落としどころはどうなさるおつもりで?」


「この老いぼれの首一つで許してもらうさ。他の者はお咎め無しで受け容れいただければ、雨降って地固まる。この国は強くなるだろう」


「……死ぬ為にこんな苦労をしておられるのですか?」


「国の為さ。惜しくはないよ。その為には今少しの時間が必要なのだ。いつか陛下もお気づきになってくれる」


 忠臣であった。

 ただ、眼の前の男の希望的観測に過ぎなければ良いが。ヴォルレウスはそう祈るのみである。


「よく理解いたしました。ご武運を」


「うむ。君もな」


「では、御前失礼させていただきます」


 現れた時と同じように恭しく一礼をすると、ヴォルレウスは天幕を抜け、夜の闇へと消えていった。




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