05 前編02:Red Beard Lord




「凡そ1千年か。遥かな旅路だったのだろうね」


「たぶんな。最後の方しか憶えていないし、色々と抜けも多いんだがね」


 ハークの質問に対し、ヴォルレウスの返答が些かぼんやりとしているのは仕方がないことだ。

 肉体と魂では記憶の方法が違う。前者は脳が記録し、後者は直接刻まれるのである。フォーマットが違うと言えば、少しは解り易いか。


 ゆえに魂に刻まれた記憶を、生きている内に垣間見るのは簡単なことではない。

 自然に発生するには天文学的数字に天文学的数字が合わさるような、偶然中の偶然が起こらなければ不可能と言えた。心停止と同時に全ての記憶を喪失、魂が肉体から遊離し臨死体験を引き起こしている際中に、心臓が再び鼓動を刻み始めるという奇跡以上の奇跡が起きたハークのように。


 無理に引き起こせば魂に致命的な歪みを生じさせる結果にもなる。この歪みが大き過ぎると、ヒトという枠から外れてしまい、人間という肉体の器にも収まりきらなくなってしまう。


 ハークや虎丸が引き起こした生命の超越という意味の進化とは、これは全く違う。

 意味であるならば寧ろ退化に近い。魂が破滅に向かっているのだから。

 魂に働きかけ、弄ろうとするのは、そこまで危険な行為なのである。


 ヴォルレウスの母であるヴァージニアは、だからこそ慎重に息子に干渉した。

 何を行ったかというと、彼女はほぼ死んでいる状態のヴォルレウスの精神に、凡そ1千年間の長きに渡って魂の旅を体験させたのである。


 1千年もかかったのは、ヴォルレウスの魂に残る前世の全てを追体験するように見させたからだった。ゆっくりと、実際の時間と同じように、慎重に影響を与えたのである。

 おかげでヴォルレウスの精神は成熟が進み、自身の強過ぎる闘争本能にも抗え、上回れるまでなった。理性が修復されたのである。

 幾つもの幾つもの人生を、時をかけて経験させた成果だった。


 前世の記憶を蘇らせて定着させることが目的ではないため、本来ならばヴォルレウスには夢で見たかのような朧げなものしか残らぬ筈である。

 それが、最後の方に体験した人生だけでもちゃんとした記憶として残ったのは、ヴォルレウスの脳天が一度破壊され、真っさらな状態に再生し直されたからだった。


 言わば脳みそがリセットされたとも言っても良い。

 姿形だけではないな、とハークは思う。

 奇しくも一度全ての記憶を消失したハークと良く似た経緯であった。だからこそハークと同じように、若干ながらの記憶が残ったのだ。


 この結果は、また別の効果も複数生むことになる。

 その1つが、再誕したヴォルレウスの姿がドラゴンではなく、龍人へと変わっていたことだ。

 恐らくは、より精神が人間に近づいた所為かと思われる。


「眼を醒ました時には驚いたぜ。眼の前は繭みたいな殻みたいなモンに包まれていて薄い暗闇、掻き分けて外に出ると鱗だらけの肉体、僅かに残る前世の記憶さ。後ろを見ると、巨大なドラゴンの形を残した朽ちかけた抜け殻まである」


「混乱したであろうね」


 ハークの言葉に、ヴォルレウスはコクリと肯いた。


〈本当に、何もかもが良く似ているな〉


 状況的に本当に彼はハークと似ている。言わば彼は、ウルスラという介入の無かったハークの姿なのだ。

 彼女によって異世界に転生し、二度目の人生を謳歌するというしるべを与えられなかったハークなのである。


 あれが無ければハークとて、前世の己の名を始め記憶に所々穴があることに思い悩みながら、無為なる日々も過ごすこととなっていたであろう。何故生きている、何のために生きているのか、と。

 ちなみにだが、約1千年後のウルスラは過去に干渉し、異世界から魂を召還、ハークの中身を入れ替えたと思っている筈である。1千年後でも未だに滅んだ旧世界は、人々にとって異世界の話なのだ(無論、懐疑論者も多数出てくる頃合だが、証拠の多くが当時の酸性雨によって失われているためである)。


「俺は彷徨さまよったよ。ここがどこかというのも判らなければ、どこへ行けば良いのか、何をすれば良いのかさえ分からないのだからね」


 違った。

 ヴォルレウスの場合はハークよりも余程厳しいスタートラインであったのだ。

 ハークは我が身の幸運を強く感じ取る。

 自分は運が良い、ずっと虎丸が共にいてくれたのだから。ウルスラによって指標を与えられず、記憶の抜けに思い悩むとしても、行き先に迷うことは少なかったに違いない。

 彼には更に、別の問題も立ち塞がった筈である。


「戦うのはどうしたのかね? 貴殿が思い起こした前世は、旧世界で最も安全で、最も生命の危険の無い時代と国であったのだろう? 実戦の経験すら無かったのではないのか? そこら中に魔物は溢れていたのだろう?」


 ヴォルレウスの亡骸は、人間種の訪れることの無い秘境に安置されている。と、なれば周囲の魔物の生息数は相当であった筈だ。


「まぁ、喧嘩した程度しかなかったらね。最初は手足をがむしゃら振るだけさ。それでも基本的な身体能力が高かったから何とかなった。龍麟に傷をつけられる奴なんて滅多にいなかったし、その内、前世で見た格闘ゲームやアニメなんかの技を織り交ぜたりしてな」


 ハークにアニメーションに関する知識が流れ込んでくる。どういうものかというのをちらりと拝見してもみた。エルザルドの『映像記録フッテージ』としてアーカイブ内に残されていた。時間がある時に改めて観てみようとも思う。

 だが、格闘ゲームの方は解らなかった。


「ゲェム? 遊戯? 格闘遊戯?」


「ああ、そういうのがあったんだ。画面の中の人物を動かして対戦するゲームさ。結構流行ったんぜ。好きで、かなり真剣にやってたんだ。前世でな」


「ほう、熱中したということか」


 そういうことであれば解らなくも無い。門前の小僧習わぬ云々である。


「それでも有効に働いたのには驚いたぜ。ま、エルザルドには全然通じなかったがな」


『エルザルドと戦ったのか!?』


 声を上げた、というか念話を繋いだのは虎丸である。驚いたのであろう。一方でハークは既に知っている。


『あの『バーニング・ナックル』は痛かったぞ』


「痛かった程度じゃあないか」


『その後の『ガイザー・バースト』はもっと痛かったぞ』


「悪かったよ」


『喧嘩か何かか?』


 これも虎丸である。


「いや、お互い、っていうか俺が一方的に知らなかった頃の話さ」


『我もあの時の暴れ龍が、まさか龍人になっているとは思わんかったからな。その時点では到底気づかんかった』


 虎丸は不得要領の表情を見せている。まぁ、当然であろう。

 ただ、ハークから視ずとも明らかにそれと分かる表情を獣の姿で行っているのは、彼女の確かな変化と成長の表れと思えた。

 微笑ましくも寂しい、そんな不可思議な気持ちが湧き上がってくる。


「君らも知ってるんだろう、俺のこと? 俺は今のヒト族の姿への変化を自由に行えるようになってから、モーデル王国の前身となる国とその周辺で冒険者活動をして生活していたんだ」


『知っている。その頃から既に相当な実力者であったと』


「そうか。その冒険者ギルドに在籍前の、まだ冒険者として所属しようかとも思い立った頃合さ。かなり大きなドラゴンがどうも街の周辺を徘徊しているんじゃあねえかっていう情報が入ったんだ」


『我はその時、探しものをしておってな。あの通りのナリであったので、隠匿は苦手であったのだよ。できるだけ痕跡を残さぬようにしておったのだが、足跡を消し忘れていてな』


『そりゃあ、見つかる』


「俺はその時既に街での文献なんかを読んで、自分が龍人なんじゃあねえのかと薄々勘づいていたんだ。『最初の9人』の話で、ヴァージニアの記載が事細かに残っていたからな」


 ヴァージニアはその『最初の9人』の中にヒト族の女拳士として参加している。

 ただ、その物語の中に、主人公たちが危機に陥るなど事あるごとに全身を鱗に覆われた女性体の、魔物めいた人物が登場するのである。しかも、決まってヴァージニアが不在の際に。

 ヴォルレウスは更に話を続ける。


「俺は、そのドラゴンに会えりゃあ、自分の正体が少しは判明するんじゃあねえかと思ったんだ。まァ、結局のところ出会えたんだが、先に交戦していた冒険者パーティーがいてな、助けるのにやむなく参戦したという訳さ。その後、冒険者パーティーを撤退させたところで、エルザルドと話すことができて、ようやく俺が龍人であるという確証が得られたんだ」


『その際に、実力を認めた者同士、友人になった我々はお互いに名を贈り合ったのだよ。我が幼き頃、我を育ててくれたダイゴに名を貰ったようにな。親しき者はそうするものだと教わった』


 これはハークが想像するに『親しき者同士は渾名あだなをつけ合う』という、人間同士ではごく当たり前の習慣を言っていたのだろう。

 かくして最強の龍は、エルザルド=リーグニット=シュテンドルフと名乗るようになる。


「シュテンドルフは、エルザルドを最初に発見した場所柄、ロシアっぽい名前にしたのかねェ。んで、リーグニットは再燃、か。そのダイゴさんも、色々思うところがあったんだろうな」


『今となっては彼の心の内までは解らんな。そして我はエルザルドの名を貰い、我はヴォルレウスの名を贈った。遥か昔に死んだ友人の子にちなんで、な。亡骸を安置した場所にも近かったから、思い出しもしたのだ。それがまさか、本人の名であったとは思うまい』


『凄い偶然であるな』


「偶然を舐めちゃあいけないぜ。自分自身の存在に吹っ切れた俺は、その後すぐに、俺の人生、いや、龍生かな? とにかく、その指標となる人物に、俺は出会うことになるんだ」


 ヴォルレウスは懐かしそうに眼を細めた。




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