第3話 依頼人と標的は一人

「ナイツ。急な呼び出しをして、すみません」


 女性は車を運転しながら後部座席のナイツにそう言った。

 その言葉の内容に比して謝罪の感情に乏しい声を放ったのは、ナイツの雇い主である叔父の秘書だった。

 トウコ・カゲヤマ。高い事務能力と社長への忠誠心を有する二十代後半の怜悧な女性だ。


 どうもナイツのような現場の下っ端に配慮が不足していることだけが、トウコの欠点でもある。もちろん、それはナイツの見解だったが。


「いいえ。いつものことですから」


 ナイツも嫌味で返すが、トウコを相手に分が悪いのは否めない。


 後部座席で窓越しに景色を眺めるナイツの視界には、住宅街が広がっている。いわゆる富裕層の居住する地域で、豪勢な一戸建てや高層住宅が並んでいる通りだ。

 現在、ナイツがいるのは学術都市として有名なムラサキであった。ナイツが居住地とするユウツゲからは、高速道路を使っても車で四時間はかかる。


 昼過ぎから出かけて、すでに夕方。今日中に帰宅するのは難しいだろうと、ナイツは自宅に残してきたサンのことを思った。

 ムラサキは〈ムラクモ九都市同盟〉の一つであり、同盟内でも有数の高級大学や出版社などが中心になって形成されている。

 自然と住人も学術的志向が高い人間が集まっているため、都市内は落ち着いた雰囲気で満たされている。


 先日、タヒコを殺害するために訪れた遊興都市ヒカリヨとは対極に位置する都市であった。

 個人的にナイツが憧れている都市ではあるものの、富裕層が集まるためか家賃や物価が高いことと、ナイツが仕事をするには不便な都市であるため移住をすることは叶わないでいる。


 後方に過ぎ去っていく木々を無感動に見やるナイツに向け、トウコが問いを発した。


「それでは仕事の話をさせてもらってもいいですか」

「どうぞ」


 視線を外に注ぎながら返事をするナイツを車内の鏡で一瞥し、トウコは言葉を繋ぐ。


「今回の依頼はある女性を殺害するというものです。それに関することなのですが、あなたはメグ・イマムラという人物をご存知ですか?」


 予想外の名前が出たことでナイツは軽い驚きを覚えた。興味を抱いたことを看取されても面白くないので、平静を保って肯定の声を返すだけに留める。


「知っています」


 メグ・イマムラ。十代後半にして高い名声を得ている少女漫画家であった。

 数年前に新人賞を受賞した際、史上最年少の若さだったことで注目を集め、それ以来文壇の寵児として扱われていた。

 これまでメグの上梓した漫画はいずれも同盟内だけで数百万部を売り上げ、出版社を潤わせている。この前完結した『明日に見る夢』はメグの最高傑作と評されていた。


 外見がいかにも可憐な文系少女であるため、雑誌や映像媒体でも目にする機会が多い。そういう大衆受けするところが気に入らず、ナイツは評価をしていない漫画家でもある。


「漫画は読まないでしょうけど、さすがに知らないわけがありませんか」

「そのメグがどうしたのです。まさか、彼女を殺せとでも?」

「あら、卓見ですね。その通りです」


 その一言がもたらした衝撃はナイツを驚かせるに十分だった。息を呑んでトウコの後ろ姿を見つめるナイツの面に、紛うことなき困惑が広がっていた。


「改めて言いますと、依頼内容はメグ・イマムラの殺害です。先方が直々にお話したいと仰っていまして。それで、間もなく依頼人の住居に到着します」


 トウコが操縦環ハンドルを握って言い放つ。ナイツは誰に聞かせるともなく呟いた。


「依頼人が誰だろうと、女の子を殺そうだなんて普通じゃない」

「……確かに尋常な神経ではないですね」


 トウコの口調は珍しく苦渋を帯びていた。ナイツが声を放とうとすると、不意に車両の停止する制動がその身を揺るがした。


「着きました。ここが依頼人の住居です」


 ナイツが窓から見上げると、天を突くような高層建築が佇立していた。


「これは金持ちの依頼人ですね」

「依頼人は一人であなたと会うことを望んでいます。二十階の七号室が依頼人の部屋です。ここからは、一人でお願いします」


 扉を開けて半身を乗り出したナイツが最後に確認してみる。


「依頼人の情報を前もって聞いておきたいのですが」

「メグです」

「は?」

「今回の依頼人は、メグ・イマムラです」


 硬直したナイツをその場に残し、無表情のままトウコは車で走り去った。

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