狂気の祭典
第22話 北へ
自衛隊を辞めた水島は、雪の残る比叡山、高野山に登り、京都、奈良の数々の神社仏閣で祈りをささげ、お堂の
「凍死するのが運命なら受け入れましょう。代わりに〝かいりゅう〟を助けてもらえないだろうか……」そう神仏に祈った。
いつの間にかニワトリの顔をした兵隊に追われることはなくなった。生かされているという実感が生まれたが、許されたとは思わなかった。
七日ほど歩いて放浪姿が板についたころ、和歌山線の小さな駅の待合室で新聞を拾い、東亜連邦共和国でインフルエンザが流行していると知った。死者も出ているという。再び、絶望が水島を襲った。
水島は状況が知りたくて呉に戻った。しかし、基地を訪ねても、衛士は汚れた風体の水島が基地に入るのを許さなかった。
「〝かいりゅう〟は無事なのか?」
「あなたが元2佐でも、お話しするわけにはいきません」
衛士の返事は、事態が好転していないことを物語っていた。楠木と柳川に電話を入れたが、2人の携帯はつながらなかった。
広島市のマンションに帰ると、そこから家族は消えていた。机の上に離婚届があり、太平洋の波間で愛しいと思った家族に捨てられたのだとわかった。
加奈子の波打つ文字を眺め、妻が苦しんだ末にその名を書いたのだろう、と想像した。妻と出会った暑い夏の日を思い出す。プロポーズをしたのも翌年の夏祭りの夜だった。胸が燃える懐かしい思い出だ。
水島が床屋に顔を出すと、主はあんぐりと口を開けた。水島の姿が、あまりにも荒んでいたからだ。
「頭と髭を剃ってくれ」
水島はそれだけ言って眼を閉じた。
「大将、離婚したんじゃろ。大変だったようだな」
床屋の主が励まそうとしている。それはわかったが、返事をしなかった。
水島はマンションを引き払い、6畳一間の古いアパートに越した。市役所で離婚届と転居届を提出する水島のやつれた顔を、職員は憐れむように見上げた。
翌日、水島は新幹線に乗って東に向かった。水島には、どうしても会って話したい人物がいた。
§
天下は日明研の事務所で宅配便の大きな荷物を2箱、受け取った。それを会長室のテーブルの上に置いた。どちらも、とても重い。
長い箱にはライフル銃が3丁入っていた。それを手にした瞬間、全身が震えた。慣れると、想像していたよりも軽いものだな、と冷めた感想がわいた。
もう一つの箱には防寒着やビニールシートなどの、雪中キャンプに使うような備品が入っていた。その下に、弾丸が3箱と新聞紙に包まれた荷物があった。包みの大きさは、天下には見慣れたものだ。思わず、笑みが浮かんだ。
新聞紙を開けると一億円分の札束があってA4サイズの茶封筒が乗っていた。封筒の中身は狙撃計画の指示書で、メッセージとタイムスケジュール、地図で構成されている。
〖エージェント諸君。君たちは、私腹を肥やし、東亜連邦共和国との出来レースで国民を欺く政治家を排除しなければならない。君たちは真の忠国者たる政治家をトップの地位に付けなければならない〗
メッセージは、そう始まっていた。
〖計画を実行して背徳者を始末することは、日本における政治結社の地位を確実に上昇させるだろう。今回の報酬は5億円だ。健闘を祈る〗
メッセージは、使命感と金銭欲とを同時に刺激して締めくくられている。
指示書には、暗殺対象者の氏名は記載されてなかったが、代わりに写真がテープで、裏返しに貼り付けてあった。それをめくった天下の脊髄に電気が走り、奥歯がガチガチ鳴った。とても殺せる相手ではないと思った。
現金を金庫に入れ、指示書を封筒に戻して自宅に帰った。どこをどう走って帰ったのか思い出せないほど気持ちは動揺していた。しかし、脊髄に衝撃を与えるほどの計画も、一晩休むと乾いた大地に雨がしみ込むように受け入れることが出来た。
「全ては日本を守るために日明研に与えられた使命なのだ」
天下の中の誰かが、天下を説得していた。その使命感を5億円という欲望が支えた。5億円あれば、会を存続させることは簡単だ。
改めて封筒を開き、計画を確認した。移動時間、宿泊先、駐車場、潜伏場所……、タイムスケジュールは、参加する3名のスナイパーごとに事細かに書かれている。
「あいつらなら、この程度はできるだろう」
天下の理性が右脳の不安を
地図は4枚あった。東京から狙撃地点までの移動ルートが書かれたものと、背撃地点の詳細図だ。詳細図は、スナイパーごとに3枚ある。その地図に記された配置はそれぞれ違っていて、他の二カ所の記載はない。その地図だけを見れば、スナイパーは1人のように見えた。
狙撃実施日の前日、天下は、ブレイブV15ライフル銃を前に、一之瀬、友永、三沢の3人に向かって言った。
「お前たちの腕の見せ所だ」
3人はライフル銃を手に取り、重みを確かめてから仲間の表情を
「ドイツ製の優秀なライフルらしい」
天下はジェームズの言葉をそのまま伝えた。その時彼はこうも言った。裏切りは死、あるのみ。それがエージェントです、と。
「知っています。テキサスの練習場でも使いました。自分たちは何を撃てばいいのですか?」
友永はもったいぶった天下の口調にいらついていた。
「売国奴を消してもらう」
「売国奴?」
よく使うレッテルだが、そのレッテルはあまりに多くの政治家や経済人、ひいてはマンガ家にまで貼り付けてあるので、それだけでは誰のことを指すのかわからない。
天下はポケットから写真を取り出した。テーブルに写真を置く手が震えた。
「これは……」
ライフル銃を手にした男たちは、驚いた顔を天下に向けた。
天下の顔は上気していた。
「知っての通り、萩本総理だ」
彼らが聞きたかったことはそんなことではなかった。写真の顔が萩本総理だということなどよく知っている。強い日本国をつくると宣言した萩本は、男たちの誇りであり、カリスマ的な存在だ。その萩本を、日明研が売国奴呼ばわりした事など、かつて一度もなかった。
「どういうことです?」
友永が責めるような口調で尋ねた。
「この男が強い国を訴えるのは、私利私欲のためだとわかった。軍事産業と手を結び、毎年2億もの裏金を受け取っている。表面上は東亜や中共と敵対しているふりをしているが、軍備拡張を図り私腹を肥やすための見せかけだ。我々を利用して危機感をあおり、国民の支持を維持しているのだ。よって、
天下は自分の言葉で自信を深めた。その自信を表すために、壁に飾った国旗に最敬礼をする。
会長がそうする以上、一之瀬たちも敬礼せざるを得ず、会長の話を認めるかたちになった。
「これは天誅なのだ。決行は明日。場所は復興記念公園オープニングセレモニー会場。これが配置計画」
天下は3人に地図を配った。
「対象を仕留めたら夫々のルートで駐車場に集まれ。翌日からは、いつもの生活に戻るのだ」
一之瀬たちたちは渇いた喉でつばを飲み込んだ。まだ、心のどこかに標的が萩本であることの疑問はあったが、狙撃自体は難しいことではないと思った。
「防寒着やカイロなど、現地で必要なものはすべて用意してある。タイムスケジュール通り、今から福島の温泉に向かい、今晩はそこでゆっくり休め。旅館から出て遊ぶことは許さん」
突然の命令に3人は戸惑った。打合せ程度のつもりで家を出てきたからだ。
「突然だが、これも秘密を守るためだ。ここから家族に連絡を入れろ。口にしていいのは、明日の夜には帰るということだけだ。目的は勿論、行先も言ってはいかん。訊かれたら、どこか適当な場所を伝えておけ」
それから天下は、一人一人の手を握って激励した。
翌日、友永が父親に買ってもらった外国車は、福島市の温泉宿を予定通りに出ると、東北自動車道を北に向かった。人間の力を信じる友永の車には自動運転システムが搭載されていない。彼は鼻歌を歌いながら軽快にハンドルを切ってナビシステムで走る先行車を次々に抜き去った。
「まだ雪が多いな」
東京では梅の花も開き空気は春のものにかわっていたが、東北地方の空気は凍っていた。
指示書の通りにインターチェンジを降り、1時間ほど東に向かって走る。田舎道ではスマホのナビが3人を目的地に導いた。
「石原解体産業……、ここだな」
助手席の三沢が、地図に書かれた名称と見比べた。友永は人気のない解体工場の駐車場に車を入れ、不安気にスクラップになる運命を待つ車の山を見上げた。
「大丈夫だよ。記念イベントで今日はここも休みということだ。戻ってみたら友永の車が
後部座席の一之瀬が、友永の肩に手を置いた。
車を降りると、雪に覆われた地面から冷たいものが背筋を這いあがってくる。3人はぶるぶると猫のように震えた。
「急ごう。ぼんやりしていたら凍死してしまう」
一之瀬は冗談を言うとライフル銃とリュックを背負って歩き出す。その後を友永と三沢が追った。
「現地までは1キロでしたね?」
三沢が確認した。
「そうだ。たった1キロだ。それだけ歩けば歴史が正される」
友永が応じた。
「天下会長の計画は完ぺきですね。駐車場といい、天候といい、予測通りです。これなら目的も完遂できます」
「計画を立てたのは会長ではなく、横山じゃないのかな?」
三沢の言葉に一之瀬が疑問を投げる。
「横山は運転手ですよ」
「お前は何も知らないんだな。あいつは東都大学出身の秀才だ。それで会長は相談役として側においているんだ」
「そうなんですか。僕は知りませんでした」
3人は時々足を止め、背負った荷物を担ぎ直す。
「しかし、歩きにくい」
積雪のためではなかった。
「なにしろ、おしめですからね」
三沢が笑った。
配置についてからはトイレにも行けなくなるので、3人は大人用のおしめパンツをはいてきている。ジェームズが送ってよこしたものだ。それが股間にまとわりついて歩きにくい。
冷たい風が北西から吹いてくる。追い風だ。
しばらく歩くと道の両側に山が迫り、風は向かい風に変わった。3人は足を止める。
「ここでお別れだ」
3人はそれぞれの地図を見てうなずいた。
一之瀬は白い目だし帽をかぶると左の山に向かい、友永と三沢は道路を進んだ。
友永と三沢が急ぎ足で歩くと、ほどなく前方が開けて鉛色の海が見えた。小さな島がいくつか浮かんでいるのが分かる。
新しい公園は1ヘクタールほどの広さで、東側は海に向かって開けているが南側と北側には低い山が迫っていた。その日は北風が強く、風は二つの山の間で複雑にうねり、曇天は今にも本格的な雪を降らせそうに見えた。
公園の入り口と奥の広場には記念行事の看板が立っていたが、人影はなかった。友永と三沢は公園入口にある平屋の建物の手前で足を止めた。建物はイベントの際に出店や待合所に使用されるものだ。
「風が強い。流れも複雑だ」
三沢が公園を見渡した。
「そうだよ。だから1番近いお前の弾が当たる確率が高い。ここならステージまで70メートルもない。オズワルドになるのだ。しっかり狙えよ」
友永が肩を貸し、三沢を建物の屋根の上に押し上げる。
「大丈夫か?」
建物の下から友永が見上げると、三沢がひきつった顔で親指を立てて見せた。
「行くぞ」
「気を付けて」
三沢の声は風に打ち消された。友永を見送ってから目出し帽をかぶり、自分の身体が寝て隠れる程度に雪をかき分けてビニールシートを敷いた。その上に白い布を広げ、かき分けた雪を乗せて布とシートの間に潜り込んだ。すべて指示書通りだ。
友永は道路を少し戻ってから南側の山に入る。ステージまで100メートルほどの場所だ。
雪がちらほらと降る中、山の斜面に腰を据えた一之瀬は、会場を遠くに見ながら膝を抱えた。
「警備が強化される前に配置につくのはいいが、あと、4時間もあるのか」
寒さに耐えるために妻と娘を思い出し、楽しいことを考えることに努めた。妻との思い出は多くない。結婚式と娘の誕生の感激があるだけだ。家族で旅行に行ったこともなければ、美味しいものを食べに行った記憶もない。命を支えるエネルギーを摂取することに汲々と過ごし、その切なさをセックスで解消していたような気がする。
「これが終わったら、みんなで旅に行こう。ディズニーランドにも行こう。それから宮崎に帰って、ニワトリとマンゴを育てよう」
声にすると勇気が湧いた。
三沢は頭まで雪に潜った。そこには青い光だけが届く。初めは冷えたブレイブV15ライフルを抱いて、時が早く過ぎることを願った。が、ライフルはいつの間にか熱を帯びて友人に変わり、未来について語り合うことができた。
時折強く舞う雪は、3人の気配を消した。
「
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