Act.28 退学届(アンナ)
❀.*・゜
アンナはすぐさま医務室に運び込まれ、治療を受けた。
幸い右腕以外の骨が折れていなかったのは不幸中の幸いだったが、内臓は酷くやられたらしくまともに動けそうもないようだ。しばらくは療養を余儀なくされることになるだろう。
一方かなではアンナの傍を離れず、ずっとアンナの手を握っていた。その目にはうっすら涙すら浮かんでいるように見える。
「全く……無茶するにもほどがあるよ」
かなでの隣に座っていた瑞希が少し怒ったように言うが、その声にあまり怒りの感情はない。それは彼女なりの優しさだろう。その証拠にかなでも「ほんとだよ! ほんとに怖かったんだから!」とアンナに言葉を掛けた後、彼女の身体をそっと抱きしめていた。
「ちょっと、腕が折れているんですのよ? 痛いですわ……」
アンナはそう言って身をよじったが、それは照れ隠しのようなものだろう。
「それにしても──」
みやこは、少し離れたところからアンナたちを見据えている。その隣に立っていた玲果が、彼女に声をかけた。
「瑠璃先輩、いくらなんでもやりすぎだと思う」
「うんあたしもそう思う。あれは私怨が入ってると思うよ」
「私怨……ね」とだけ言って黙り込んでしまった玲果に対し、「どうかしたの?」と声をかけるみやこ。
「いや、別に。何でもないんだけどさ」
そう言って少し考え込む素振りを見せた後、玲果はこう言った。
「瑠璃先輩は、アンナの姿に以前の会長を重ねているんじゃないかなって……」
「会長って、片桐ハイネ会長?」
「そ。圧倒的な実力者である瑠璃先輩でも、どうしてもハイネ先輩には勝てなかったって話だし、それが悔しかったんだろうね」
「……うん。まあ……そういうことなのかな」
玲果の言葉を聞いたみやこは納得できない様子ではあったがそれ以上何も言うことはなかった。
「──さてと、そろそろいいかしら?」
そんな二人の会話に割って入るように、アンナの声が響いた。
「どうしたのアンナ?」
と尋ねるみやこと、他のみんなに向けて、アンナは申し訳なさそうに笑うと言った。
「わたくし、ここを辞めることにしましたわ」
「えっ……?」
「ですから、征華女子魔導高専を退学することにしましたの」
まるで、時間が止まったかの様だった。いや、実際に時間が止まっていたのかもしれないと、その場の誰もが思う。それくらい衝撃的な発言だった。
「……は? ど、どうして!?」
沈黙を破ったのはかなでだった。アンナのことを近くでずっと見てきた彼女には、アンナの勇者の末裔として魔王と戦うという使命感を誰よりも感じていた。その使命を全うするためなら命すら惜しまない──そう思っていたはずだ。
「……もう限界だと思いましたの」
「え?」
しかし、そんな彼女から返ってきた答えは意外なものだった。彼女は少し目を伏せると静かに語る。
「瑠璃さんの言うとおり、わたくしはまだまだ弱いですわ。この程度の力で、魔王と戦うなど不可能です」
「でも、アンナはウチらの班のエースで……」
「それがどうしたというのです?」
かなでの言葉をぴしゃりと遮った彼女は「それに──」と言葉を継ぎ足し、さらにこう続ける。
「──わたくしには魔導士は向いておりません。戦うことが……何かを傷つけることが、辛くなってきているんです。だから辞めますわ」
そう言ってアンナはどこか遠くの方を見つめていた。その目に宿った覚悟の光を見た時、かなでは何も言えなくなり口を閉ざす他ない。
「本当に……それでいいの?」
代わりに口を開いたのは瑞希だった。
「わたしたちは皆アンナと一緒に戦えることを誇りに思っていた。異世界の、勇者の末裔のお姫様がいつでもわたしたちを引っ張ってくれる……それだけでどんなに救われたことか」
「わたくしとあなたは、ただのルームメイトではありませんか」
「それはそうかもしれないけど……でも! わたしは運命がアンナと出会わせてくれたことに心の底から感謝した! だから……」
と言いかけた瑞希に対して、アンナはぴしゃりとした口調で言う。
「もうおよしなさい。この話はこれで終わりですわ。あなたたちもきっと、弱いわたくしの姿を見て幻滅したことでしょう」
そして、その言葉を最後に、アンナは口を閉ざした。
❀.*・゜
医務室での治療を終えたアンナだったが、すぐには授業に復帰できそうにもなかった。だが、どうせ学校を辞めるつもりだったので、どうでもよかった。
アンナの同室の皆は、いつもの明るい様子とは正反対に沈み込んでおり、寮の部屋の中には重苦しい空気だけが溢れかえっていた。その空気を敏感に察知したアンナだったが、もうどうすることもできないと思っていた。
彼女はなけなしの荷物を持ち寮を出ると、そのまま退学届を持って職員室を訪れた。担任のミス・ジェイドを呼び出すと、廊下で退学届を差し出す。
「……今までお世話になりましたわ」
ミス・ジェイドはそんなアンナの顔を見つめると、ため息をついた。
「アンナ=カトリーン・フェルトマイアー。貴女には失望しました。まさかとは思いましたが本当にやってくるとは……」
「申し訳ありません。わたくし、もうここにはいられませんわ」
「理由は──聞くまでもありませんね。シングルナンバーの決闘は嫌でも噂として耳に届きますから。そしてその怪我を見れば、何があったかは容易に想像できます」
そこまで言われて、アンナは分かりやすく項垂れる。
「わたくしは、自分の無力さが嫌になりました。これ以上、戦いを続けても魔王に勝てないと思ったのです。もう……疲れたので……」
そう答えた彼女に対して、ミス・ジェイドは冷たい視線を向けると言い放つ。
「全くもってくだらない」
そんな言葉にアンナは何も言うことはできず、ただ黙って俯いていた。
「実にくだらない。──貴女はそれでいいかもしれない、なにせ侵略されているのは我々の世界で、貴女の世界ではないのですから。しかし……本当にそれでいいのですか?」
「……」
「貴女はこの世界で、守りたいものがあったのでは?」
教官の言葉の一つ一つがアンナの心に突き刺さる。彼女の言わんとしていることがわかってしまっていたからだ。それでも、それを言葉にして認めたくない自分がいる。
(わたくしは……本当にこのままでいいのでしょうか? 勇者が世界を救わずに逃げてどうするのでしょう?)
アンナは心の中で自問する。
だが、それでも答えが出ないのだ。
そんな彼女にミス・ジェイドは容赦なく続ける。
「……アンナさん、貴女が戦うという意思を失えばこの世界で得たものは全て無駄になる。それでもいいのですか?」
「でも……!」
と言葉を返そうとするも、その先は何も言えなくて……彼女はまた押し黙ってしまうしかなかった。
(……そうですわね。ミス・ジェイド正しいのでしょう……)
その考えに至った瞬間、アンナの目から涙が流れた。
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