第37話 しゃ、シャベッタァアアッ!?

「活躍だなんて……わたくしは足手まといで、迷惑しかかけていないです」

「それは誰かに言われたの?」


 優しい声で穏やかに尋ねられ、心が揺さぶられるようでした。

 気がつけば、わたくしの口からいつのまにか言葉がこぼれ出ていました。


「えっと、騎士に……。護衛してくれている騎士に言われました」

「なるほど、ウェイルド君か。彼はまじめだからね」

「えッ、なぜわかったのですか?」

「そりゃあ聖女の護衛っていったら彼だと相場が決まっているもの」

? 他の方が聖女の護衛にあたることはないのですか?」

「それはないと思う。聖女の護衛役は彼だけだよ」

「…………?」


 どういうことなのでしょうか。

 この世界に来てからまだ三日ですが、わたくしは【聖女】というものがこの国にとっての切り札であると理解しています。

 ウェイ君は「お前に死なれると厄介だ」とも言っていました。それは聖女が重要な存在だからなのでしょう。


 それなのに、『聖女を護衛する』という重要な役割をただ一人の騎士に背負わせる理由がわかりません。

 その役割が国から与えられたものだとしても、彼自身が望んだことだとしても、その重圧を想像するだけでめまいがします。


「たしか、彼は『隊長』って呼ばれていたと思うのですが。ならば部下がいるのでは?」


 グリフォンのいる地下牢に連れて行かれたとき、そこで見張りをしていた兵士たちはウェイ君のことを『ウェイルド隊長』と呼んでいました。

 『隊長』ということは『隊』が存在しているはずで、そこに所属している兵士たちもいるはずで、それなら複数人で聖女の護衛をすることもできるはずです。

 そもそも、聖女の護衛という役目をたった一人に任せるなど、押しつけもいいところです。


 賢者殿は少し首を傾げてわたくしをみつめました。


「ウェイルド君が隊長をやっていた部隊というと、スノルディ隊のことかな」

「スノルディ隊?」

「そう。あの部隊はたしか壊滅したって聞いた気がするけど」

「かっ、壊滅ッ!?」

「かろうじて生き延びた者たちの多くは別の隊へ再編成されたはずだよ。だから隊長という呼び方はその頃の名残だろうね」

「…………」


 わたくしは返す言葉を失いました。

 この話は、わたくしが聞いてしまってよかったのでしょうか。

 ウェイ君が話してくれなかったということは、あまり触れない方がいい話題だったのかもしれませぬ。


 ふと、彼のことが気にかかりました。

 今頃ウェイ君はわたくしを探して城内を駆け回っているのでしょうか。

 やはりいつまでもこの部屋に長居せず、そろそろ帰ったほうがいいのかもしれませぬ。

 床を見つめたまま考え込んでいると、賢者殿の声が優しく響きました。


「心配させるといけないから、手紙でも送ろうか」

「……手紙ですか?」

「そう。たとえばそうだなあ、千影さんは、パンなら甘酸っぱいベリー系と、爽やかだけど人を選ぶ香草系と、クルミみたいなナッツ系と、どれがいい?」

「えっ? えっと、ナッツ系ですかね? ハチミツを練り込んであるとなお最高ですが」

「うん、美味しそうだ。じゃあ僕もそれにしよう」


 唐突な質問の意図に戸惑っていると、賢者殿は嬉々とした表情で軽やかにペンを走らせました。


「『聖女・千影は預かった。帰してほしくば明朝、身代品として食堂にナッツとハチミツ入りのパン、温かいミルクを用意しなさい。チーズも少しあるとなお良し。僕も食べるから二人前頼むよ』。……うん、こんなものでいいか」


 彼はいたずらっぽくウィンクして、手紙を丁寧に細く折りたたみます。

 そして、ふいに部屋の壁の高いところへ向かって大きく両手を広げました。


「おいで、ジャスミン」


 視線を向けると、天井の近くに作り付けの棚が見えました。

 その棚の端っこから少しはみ出すように灰色の毛玉が見えています。『ジャスミン』と名前を呼ばれた毛玉はもぞもぞと動いてこちらを向きました。


 長い耳に、小さな鼻。そしてつぶらな黒い瞳。

 それに、ふわふわの前足も見えます。


「あっ、ウサギ!」


 可愛いですな~、と続けようとしたそのとき、ウサギから面倒くさそうな声が聞こえました。


「昼寝中なんだから起こさないでよ、ご主人」

「しゃ、シャベッタァアアッ!?」

「なんだお前。うるさいな」


 ウサギは不満そうに足を踏み鳴らし、棚からぴょんと飛び降ります。

 棚から床まではそれなりの距離があり、小柄なウサギが飛び降りるには少し高過ぎます。あっと思ったそのとき、ウサギの背中から左右に羽根が広がりました。


 胴体と同じ灰色の羽根は、光を浴びてふわふわと輝いています。ウサギは小鳥のようにはばたき、器用に部屋の中を飛び回りました。

 首に結ばれている青いリボンが、蝶のようにひらひら舞っています。

 やがてウサギはすぽっと賢者殿の腕の中に納まりました。


「千影さん。この子はジャスミン。見ての通り空も飛べるし、穴を掘って地にも潜れる。実は水中も泳げるんだ。こいつに行けないところはない」

「はじめまして、ジャスミンさん。綺麗な羽根ですなぁ」


 わたくしが挨拶をすると、ジャスミンさんはぷいっと横を向いてしまいました。


「ご主人。こいつ誰」

「聖女の千影さんだよ」

「ジャスミンのおやつを持ってくる係?」

「違うよ」

「帰ればいいのに」


 ずいぶんなご挨拶ですが、声が可愛らしいのでなんとなく憎む気にもなれませぬ。

 賢者殿は、腕の中で拗ねるジャスミンさんのご機嫌を取るようにささやきかけます。


「起こして悪かったね、ジャスミン。ちょっと手紙を届けてくれないか?」

「面倒くさいから行かない」

「そんなこと言わないで。ね、頼むよ」

「おやつ三倍にしろって手紙に書いてくれるなら考える」

「五倍あげてって書いておいたよ」

「じゃあ行く」

「そうこなくちゃ」


 賢者殿は細長くたたんだ手紙をジャスミンさんの首に結び付けました。

 窓を開け放つと、ジャスミンさんは「行ってくる」と言い残して空へ飛び立っていきました。

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