クローディアの柩

中村くらら

クローディアの柩

 とびきり素敵な柩が欲しいの、とクローディアが言い出したのは、十七歳になって五度目の高熱が引いた後のことだったそうだ。


 依頼を受けた俺が思ったのは、「若いのに気の毒に」ではなく、「これで当分は酒代に困らないな」というものだった。

 なにしろクローディアの親父はこのあたりじゃ有名な豪商で、儲けた金で男爵の身分を買ったほどの男なのだ。

 商いのためなら非情な手段も躊躇しないと聞くが、そんな男も年を食ってからできた末の娘にはめっぽう甘いらしい。

 お嬢様の希望どおりの棺桶をと依頼され、執事から前金として渡された金は、そこから材料代を差し引いても半年は遊んで暮らせるほどの大金だった。

 お嬢様のお気に召す一品が完成した暁には報酬として同じ金額を支払うと言われたときには、いかにも生真面目そうな執事の前で神妙な顔を保つのに苦労したものだ。


 さっそく打合せをと招かれて出向いたお屋敷はバカみたいにでかくて、そこらじゅうから金の匂いがぷんぷん漂っていた。

 だが、うなるほど金があったって、この世には手に入らないものもある。


「成人するまでは生きられないだろうって、子どものときから言われてきたものだから」


 昨日の天気の話でもするように、クローディアはからりと言った。

 薄い体に寝間着とカーディガンを羽織ったお嬢様は、ベッドの上で体を起こし、顔をほんの少し傾けて俺の顔を見上げた。淡い金の髪がさらりと一房流れる。ぬけるような白い顔の中、深い青の瞳ばかりが鮮やかに色を持っていた。


「成人まであと半年だし、そろそろ準備しておかなくちゃと思って」


 壁際に控える執事やメイドが一斉に、痛ましげに視線を落としたが、俺はそれに倣いはしなかった。痩せこけて死に向かう人間。そんなもの、孤児院では日常だったし、今住んでいる下町でだって、別に珍しくもなんともない。

 ただ、お嬢様の凪いだ海のような瞳が、俺を少しばかり落ち着かない気分にさせた。


「――それで、お嬢様はどんな棺桶をご所望で?」


 勧められてベッドサイドの椅子に腰掛け、俺はさっそく仕事に取り掛かった。


「形は、近頃は舟形より箱型が主流ですね。ご婦人方にはかまぼこ型も人気ですよ。木材は高級感のあるエルムかオークがおすすめです。お好みで外側に彫刻もできますよ。ああそうだ、追加料金はかかっちまいますが、宝石を埋め込むっていうのも古代の女王様みたいでいいんじゃないですかね」


 あらかじめある程度調べていたのだろう。お嬢様は用語の意味をいちいち聞き返すこともなく、小さく頷きながら俺の話に耳を傾けている。

 雑な説明をひと通り聞き終えると、斜め上の虚空を見つめてしばらく沈黙してから、深い青の瞳を静かに俺に向けた。


「彫刻というのは、どんな柄が可能なの?」

「ご希望とあらばどんな絵柄でも。たとえば、こんな感じの花とか――」


 俺はサイドテーブルを引き寄せ、過去に彫ったことのあるデザインを思い出しながら、借り物の便箋にペンを走らせる。

 メインの花が形になった頃、わずかに身を乗り出すようにして俺の手元を覗きこんでいたお嬢様の口から吐息が漏れた。


「素敵……。あなた、とっても絵が上手なのね。彫刻をする人は、皆さんそうなの?」

「皆、ある程度は描けると思いますが……」


 百合の花の周りを飾るように、葉や茎をこまごまと書き足していく。


「俺は元々、絵の方が専門だったんで。今の仕事は一年くらい前から」

「あら、それならついでにわたしの肖像画もお願いできないかしら。追加の報酬はお支払いするわ。あなた、肖像画も描ける?」

「……描けますが、描きません。もう肖像画はやらないって決めてるんで」


 カリカリと、ペンが紙を引っ掻く音が室内に落ちる。

 少しの沈黙の後、お嬢様が口を開いた。


「……あなた、名前はレイといったわね。もしかして、レイ・フリード?」


 ペンを持つ手が一瞬止まる。お嬢様は歌うように言葉を続けた。


「若き天才肖像画家レイ・フリード。特に女性を描くことを得意とし、その作品はまるで生きているかのよう。絵が魂を奪うかのごとく、モデルとなった女性は彼に心を奪われ、恋に落ちる。ついたあだ名が『魔性のレイ』。最近は噂を聞かなかったけれど、画家を辞めていたのね」


 久しぶりに耳にした忌々しいあだ名に、思わず頬が引き攣った。


「……は、ご存知でしたか。俺ってばけっこう有名人なんだな」

「屋敷に引きこもっていても、意外と噂話って耳に入ってくるものなのよ。それにしても……」


 遠慮がちな視線が、ちら、ちら、と俺の無精髭とくたびれたシャツに向けられる。

 言いたいことはわかる。唇の片端をつり上げ、顎をジョリジョリと撫でて見せた。


「髭をあたるとね、もう少し見られた顔になるんですよ」

「……ふぅん、そうかもしれないわね。わたし、あなたのこと警戒した方がいいかしら?」

「はは、ご心配なく。お嬢様を誘惑しようなんざ、これっぽっちも思ってませんから。……というか、俺は別に、誰のこともそんな風に見ちゃいなかったんですが」

「そうなの?」

「俺のね――」


 よく、眠そうだと言われる灰色の垂れ目。その目尻を指先でトントンと叩いて見せる。


「この目がいけないんだそうですよ」


 あなたのその目がわたくしを狂わせたのよ。

 そう言ったのはどこの奥方だったか。

 熱に浮かされたようにしなだれかかってくる女の匂い。女の親族や恋人から向けられる憎悪の眼差し。それが刃の形を取ったこともあった。それに同業者からの陰口。何もかもうんざりだった。


 お嬢様は俺の目をじっと見つめてから、「よくわからないわ」と小首を傾げた。さらり、と金の髪が揺れる。


「わたし、恋ってしたことがないの」

「奇遇ですね。俺もですよ」


 そう言うと、お嬢様の口元に初めて小さな笑みが浮かんだ。


「肖像画の依頼は取り下げるわ。もともと、わたし自身はどちらでも良かったの。でも、そうね。せっかくだから、やっぱりあなたには絵をお願いしたいわ」

「……というと?」

「わたしの柩には、彫刻ではなく絵を描いてちょうだい」

「棺桶に、絵?」


 戸惑う俺を、お嬢様の青い瞳が静かに見上げた。


「そう。わくわくと心が躍って、柩に入るのが待ち遠しくなるような、とびっきり素敵な絵を」




 貴族や金持ちの考えることはさっぱりわからない。それが八つも年下の若い女となれば尚更だ。

 棺桶に絵を描く。

 大昔の王様や遠い異国ではどうだか知らないが、少なくとも俺はそんな棺桶を知らない。

 だが、他でもないお嬢様の希望だ。父親の男爵からは、執事を介してお嬢様の希望どおりにするよう仰せつかっている。


 絵で装飾するということで、棺桶の形は最もシンプルな箱型、木材は色の淡いオークと決まった。 

 棺桶本体はお嬢様の身長と体型に合わせて作る。その製作は腕のいい職人に下請けに出し、俺は棺桶に描く図案の作成に取り掛かった。


 下宿の床に散乱していた空の酒瓶を片付け、スペースを作る。部屋の隅で埃をかぶっていた画材道具を引っ張り出した。

 画用紙に鉛筆と水彩絵具で絵を描く。描けたらお屋敷に持って行き、お嬢様に見せる。その繰り返し。 

 だが何枚描いても、どんな絵にお嬢様が「わくわく」するのか、俺にはさっぱり見当がつかなかった。


 最初に描いたのは花の絵だった。

 棺桶には似合いのモチーフだし、若い娘ならまぁ好きだろうと考えた。弔いには白い百合やカーネーションが定番だが、それじゃあ「わくわく」しないだろうと思い、色とりどりの花で品よく棺桶を飾るデザインにした。それを数パターン。

 だがお嬢様の反応はいま一つだった。


「お花も綺麗だとは思うのだけど」


 そう言って、小さく首を傾げた。

 わくわくはしない、ということらしい。


 次に描いたのは天使の絵だった。宗教画を参考にした厳かできらびやかなデザイン。

 その次には、これまた宗教画を参考に、天国をイメージしたデザインを描いた。

 だがいずれも、お嬢様の反応は芳しいものではなかった。


 思い切って棺桶らしさから離れてみた方がいいのかもしれない。

 そう考えて、若い令嬢が好きそうなものを自由に描いてみることにした。

 ドレス、宝飾品、ぬいぐるみ、ケーキやお菓子……。


「レイ、あなた、わたしのこと五歳の女の子だと思ってない?」


 お嬢様はそう言って頬を膨らませたが、目は笑っていた。

 棺桶らしさから遠ざかれば遠ざかるほど、画用紙を見つめるお嬢様の横顔は楽しげなものになったように思う。

 だが、どれもこれも決め手に欠けていたらしい。お嬢様は首を縦に振らない。図案を考え始めて一ヵ月、俺はあっさりと白旗を上げた。


「お嬢様の好きなものって何です? 何を見るときに、何をするときにわくわくしますか?」


 この頃には俺は、「クローディアと呼んでも構わないわよ」と、お嬢様を名前で呼ぶ栄誉を与えられていた。が、俺はそれを頑なに固辞していた。

 俺からの率直な質問に、クローディアはしばらく無言で考えてから、困ったように微笑んだ。


「……わからないわ。あまり考えたことがなかったものだから」

「なんですかそりゃ。俺がいくら考えたってわからないわけだ。本人にすらわからないっていうんじゃあね」


 苦笑混じりにからかうような口調で返しながら、この子はずっとそうやって生きてきたんだと、小さく胸が痛むのを感じた。一ヵ月ものあいだ顔を合わせ言葉を交わしていれば、嫌でも情は湧く。


「レイは? どんなときにわくわくする?」

「俺の話なんか聞いたってしょうがないでしょう」

「いいからいいから」


 にこにこと促され、仕方なく考えを廻らせる。困った顔をされるよりずっといい。


「そうですね……酒を飲んでるときとか」

「へぇ。お父様もお好きなのよ。お酒って、よっぽどいいものなのね。ほかには?」

「旨いもんを食うときとか。菓子より肉が好きです」

「食べることばかりね。次のお茶の時間には、お酒とソーセージをお出ししましょうか?」


 ふふふ、とクローディアが笑う。


「それから? あなたがわたしくらいのときは、どうだった? 十七歳くらいのとき」

「あー、その頃はまだこの街にはいなくて……」


 視線をベッドの向こう、窓の外のずっと先にぼんやりと投げる。

 俺に絵を仕込んでくれた師匠が病気で死んだのは、俺が十五のときだった。育ての親でもあった師匠を亡くした後の数年、俺は画材道具を抱えてあちこちを放浪した。描いた絵が売れるなんてのはごく稀で、日雇い仕事で小銭を稼ぎながらのその日暮らし。

 若かったからかもしれない。夢があったからかもしれない。辛かったという記憶はあまりない。

 むしろあの頃は……。


「毎日、絵を描いてましたね。わくわくしながら」

「へぇ……」


 俺の視線を追うように、クローディアも窓の方に顔を向けた。


「どんなものを描いていたの?」

「いいなと思ったものなら何でも。人も犬も虫も描いたし、花も描きました。でも一番は、風景かな……」


 喋りながら、あぁそうだったと思い出す。

 この街に来て肖像画を書き始めたのは、それが一番手っ取り早く金になったからだった。それが自分でも思っていた以上にうまくいってしまって、最初は有頂天になったもののだんだんと自分の手には余ることが増えていって、最後は逃げるように絵そのものから離れてしまった。

 だけどもともと俺は、風景画が得意だった師匠に憧れて旅に出たのだ。心を動かされたその瞬間を閉じ込めたような、そんな風景画を描ける絵描きになりたかった。


「……海の絵を描いてたときが一番わくわくしたかな。南の方の小さな漁師町にしばらく居着いてね。朝から晩まで潮風に吹かれながら絵筆を握ってましたよ」


 あの頃見ていた海の景色は、今でも鮮やかに思い浮かべることができる。


「……わたし、本物の海って見たことがないの。海の青は、あの空の色に似ているのかしら」


 独り言のようなクローディアの声色。細いうなじ越しに見上げる青空は、淡く霞んでいる。


「……どちらかというと」


 視線を彷徨わせ、記憶の中の青を探す。いや、探すふりをした。


「あなたの瞳の色に似てますよ」


 パッと振り返った青色が、夜明けの海のように輝いた。


「レイ、海の話をもっと聞かせてくれる? なんだかわたし、少しわくわくしてきたみたい」




 オーク材で作られた四角い箱の表面に、青の絵具を丁寧に重ねていく。

 描くところを見ていたいというたっての希望で、棺桶に色を乗せる作業はクローディアの部屋で行われた。

 一年ぶりに握る絵筆。じっと注がれる視線。はじめは少し手が震えたが、すぐに没頭した。久しぶりの高揚感が、潮が満ちるように胸を満たしていく。


 浜辺で海を描いていたときのように、朝から晩までとはいかなかった。

 クローディアはしばしば、絵具の匂いにあてられて顔色を悪くした。そうなったらその日はおしまいだ。クローディアはベッドへ、描きかけの棺桶は別室へ、俺はお屋敷から引き揚げることになる。

 匂いとは無関係にクローディアの体調が優れず、数日のあいだ作業が中止になることも少なくなかった。

 それでもクローディアは、海の絵が出来上がっていくのを目の前で見たがった。


 絵筆を握る手を止め顔を上げればいつでも、海に似た青と目が合った。静かに、また波が高くなる。

『その目が狂わせたのよ』

 いつか聞いた女の声が頭をよぎった。


 クローディアの体調がいい日には、一緒にお茶を飲みながら、俺が見た海の話をした。

 さざ波が作る光の粒。波打ち際で飛沫をあげて遊ぶ子どもたち。激しく揺れる船の上で網を引く、漁師達の日焼けした腕。

 ベタつく潮の香り。くり返す波の音。

 静かな海。荒れ狂う海。夕焼けの海。そして夜明けの海。


 表情を変えながら耳を傾けるクローディアは、海に行ってみたいとは一度も口にしなかった。だから俺も何も言わなかった。

 クローディアはただ、俺が描く絵の完成を待ち望んだ。


「ふふ、出来上がりを見届けるまでは死ぬわけにはいかないわね」


 そんなことを、青白い顔で言う。完成を急ぐべきか、少しでも遅らせるべきか、俺にはわからなかった。


 結局、早かったのか遅かったのかはわからない。三ヵ月かけてクローディアの柩は完成した。


「これが、わたしの海……」


 すっかり絵具が乾いた箱の前で、クローディアは静かに吐息をもらした。

 真っ青な棺桶。蓋は産まれたての太陽の光を浴びて輝く朝の海の色。側面の青は下に行くほど濃い。内側もまた、静謐な青、青、青。


「試しに入ってみてもいい?」

「ご随意に。お嬢様専用の海ですから」


 おどけた調子で差し出した手を、クローディアが取る。触れた手の冷たさにギクリとする俺をよそに、クローディアは上機嫌で青色の箱に身を横たえ、目を閉じた。


「ふふ、たのしい。わたし海に浮かんでる」


 口元に満足げな笑みが浮かぶ。


「でもあまり寝心地はよくないみたい」

「本番はクッションを敷き詰めますよ」

「それなら安心ね。なんだか素敵すぎて、埋めてしまうのがもったいない……」

「だったら――」


 喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 言えば、「そうね」と困ったように微笑むだろうとわかっていたから。


 俺が言葉を探して口ごもる間、クローディアは一言も発しなかった。

 目を閉じた顔も、胸の前で組んだ手も、人形のように白く、動かない。波間にたゆたうように、金の髪が青い柩の底に広がっている。

 不意に背筋が寒くなった。


「……お嬢様?」


 小声で呼びかける。返事はない。喉がひりつく。


「お嬢様、お嬢様……クローディア!」


 金の睫毛が震え、瞼がゆっくりと開く。何よりも美しい青が俺を見つめた。


「……やっと名前を呼んでくれたのね、レイ」


 産まれたての太陽のように、クローディアが微笑む。


「クローディア……」


 言うべきではないと、思いながらも止まらなかった。


「あなたに、お願いしたいことがある」


 クローディアが目を瞠る。その目を柔らかく細め、クローディアは、


「奇遇ね。わたしもよ」


と囁いた。




 二ヵ月後、クローディアの柩は静かな墓地の片隅に埋められた。

 遠く木の陰からその様子を見届けたその足で、俺は画材道具を抱え、クローディアが眠る街を後にした。




  *  *  *




 放浪の風景画家、レイ・フリード。

 生涯を通して海を描いた作品を数多く残し、特に深い青色の美しさは、彼にしか出せないものと高い賞賛を受けた。

 若い頃にいっとき肖像画家として人気を得たが、ある時を境に肖像画を描くのをやめ、以来、どんなに大金を積まれても仕事を引き受けることはなかったという。

 だがレイの死後、彼が生前に肌身離さず持ち歩いていた画材道具の中から、未発表の肖像画が一点発見された。

 小さなキャンバスに描かれていたのは、頬を染めて微笑む美しい少女。

 その瞳は、レイの描く海の色をしていた。






〈了〉

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