第97話 夜明け
狒々神討伐を完遂した奏は、本家屋敷の廊下を駆けていた。
時刻は卯の刻。
狒々神の首級を探し出し、狒々神の肉体が燃え尽きるのを見届け……諸々の処置を終えたら、次の日の朝まで掛かった。
暗雲に覆い隠されているが、民家の鶏が鳴いていたので、太陽は登り始めている筈だ。
奏は右手に竹筒を持ちながら、足早に庵へ向かう。
竹筒の中身は、狒々神の生き血だ。朧の力を借りて、狒々神の頭部を斬り裂き、傷口から溢れ出た血液を採取した。
すでに毒味も済ませている。
狒々神の血を飲んで三刻経つが、奏の身体に異常はない。仮に狒々神の生き血が効かないとしても、常盤の肉体に悪影響を齎す事はなさそうだ。
木戸を開けると、常盤が眠りに就いていた。部屋を出た時と何も変わらない。口元に左手を
まだ息がある。
竹筒の栓を開けて、狒々神の血を口に含む。竹筒を投げ捨てると、常盤の頬に両手を添えて、毫も迷わずに唇を押しつけた。
薄い桜色の唇から、つーっと真紅の液体が零れ落ちた。然し常盤の喉は、ごくりと液体を飲み下す。狒々神の血液を飲んでいるのだ。
奏は口づけを終えると、不安げな表情で常盤を見下ろす。
一瞬にも数刻にも感じられたが。
暫時の間を置いて――
常盤が目を覚ました。
静かに瞼を開けて、奏に視線を合わせる。
「……奏?」
不思議そうに言いながら、徐に上体を起こす。
「あれ? なんで庵に?」
部屋の中を見回しながら、怪訝そうに尋ねてくる。
記憶が混乱しているようで、全く状況を把握できていない。困惑する常盤をよそに、奏は有無を言わさず抱き締めた。
「きゃっ!? どうしたの? 恥ずかしいよ……」
身を捩ろうとして、常盤は不意に気づいた。
奏が泣いている。
常盤を強く抱き締め、子供のように泣いていたのだ。
「良かった。本当に良かった……」
「奏……」
常盤は驚きながらも、奏の背中に手を回す。
未だに状況を呑み込めていないが――
おそらく奇跡のような時間を得られたのだろう。常盤と奏の二人だけで、互いの存在を確認する。当たり前の日常。ほんの一時でも、安寧を許された世界である。
曇天の切れ間から陽光が差し込み、抱き合う二人を照らす。天すら二人を祝福するような――やはり奇跡のような時間だった。
卯の刻……午前六時
三刻……四時間
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