第85話 現出
馬喰峠は、古より人の手が加えられてきた混合樹林だ。
無数のクロマツが、地面から天に向けて伸びている。数万もの黒い幹が垂直に突き立つ姿は、黒曜石の柱が立ち並んでいるかのようだ。地上から三丈ほどの高さで、濃緑色の針葉をつけた枝葉が、山の天井を形作る。枝葉の天井が陽光を遮り、午の刻近くと思えないほど、薄暗い景色が延々と広がる。
馬喰峠の中腹辺りで、朧は樹木に背中を預けながら、退屈そうに
干飯とは、
干飯の歴史は古い。
古文書を紐解くと、
革袋から赤みを帯びた干飯を取り出し、ぱくりと頬張る。
廻国修行を続けてきた朧は、飽きるほど干飯を食べてきたので、今更美味いとも不味いとも思わない。狒々神討伐の前に、軽く腹拵えがしたかっただけだ。本家屋敷に瓢を置いてきたのが悔やまれる。渇いた喉を潤すのは、上等な酒を於いて他にない。
「獺殿」
干飯を囓りながら、近くを這う獺に話し掛けた。
「なんだ?」
「真に此方で待ち構えておれば、狒々神が攻めてくるのか?」
「……そうだな。狒々神の襲撃を待つと言うより、狒々神をこの場に誘い出す――という方が、適切な表現だろう」
「如何な意ぞ?」
「狒々神が馬喰峠のどこに出没するのか、私にも見当がつかない。馬喰峠の麓に現出したら……守り手のいない蛇孕村は、為す術もなく壊滅する」
「おいおい」
「そのような事態にならないように、馬喰峠全域に十匹の眷属を配置した。狒々神は、人間より妖怪を好む。現出した瞬間に、狒々神は私の眷属を察知するだろう。後は眷属を利用し、この場所まで誘き寄せる」
「儂の側におる眷属を含めて十一匹……御曹司と
朧が感嘆の声を漏らした。
「出し惜しみをするほどの余裕がなくてな。他に気懸かりはないか?」
「ん~、特に思い浮かばぬのう。まあ、なるようになるじゃろ」
呑気に答えながら、革袋を懐に仕舞う。
朧の所作に、獺は違和感を覚えていた。
妙に穏やか過ぎる。
渡辺朧は、温厚な人物であろうか?
否、寧ろ逆。強敵と立ち合う前は、溢れ出る殺気を隠そうともせず、容易に話し掛けづらい雰囲気を醸し出す。飢えた虎が落ち着いて餌を待つなど、想像しただけで不気味な光景である。
「念の為に確認しておくが、軍議の内容は覚えているな?」
不安を取り除くべく、獺は抜き身の話題をぶつけた。
「無論、覚えておる。狒々神が現れた際、儂は樹上にて待機。長柄組と弓組に分かれた護衛衆が狒々神の注意を引きつけ、儂が飛び斬りにて首を斬り飛ばす!」
大仰に叫びながら、朧は右手で刀を振るう真似をした。
「手筈通りに事が運べば、兵の損害も少なかろう。面白みには欠けるがの」
「……」
獺が無言で睨みつけると、やれやれと朧は肩を竦めた。
「そう心配致すな。独断で動くつもりはない。護衛衆の邪魔は致さぬと、御曹司と約束しておる。此度は獺殿の下知に従おうではないか」
鷹揚な態度で嗤い掛けてくるが、中二病の戯言を真に受けるほど、獺も愚かではない。
渡辺朧とは、協調性や社会性という言葉から程遠い存在だ。他者の心情を推し量る事はなく、刹那的な快楽に酔い痴れる剣鬼。世俗の倫理を尊重しない者を、如何に信じろというのか。おそらく従順な素振りを見せながら、獺や護衛衆を出し抜く方法でも考えているのだろう。
中二病とは、扱う者からすれば、抜き身の刃に等しい。逆境を好機に変える創造力や抜群の行動力を持つ反面、組織的な行動を嫌う。
慣れない集団行動で鬱積を溜めた朧が、何をしでかすか分からない。
朧の暴走を危惧した獺が、朧と自分を物見に推挙した。
本家直参の徒士と軍目付が偵察を行い、土地鑑のない護衛衆を先導する……という詭弁を弄し、一時的に朧と塙を引き離したのだ。中二病同士で喧嘩騒ぎでも起こされると、狒々神討伐に支障が出る。
獺の心中を察したわけではないだろうが、筆頭は軍目付の進言を受け入れ、一人と一匹を物見に据えた。部下の一人が「軍目付を本隊から引き離すなど、ゲーラの常道に反してます」と的確な指摘をした際も、「獺の見立てに相違なし!」と大音量の銅鑼声で一喝。強引に反対意見を封じ込めた。
『
元々中二病とは、現実と妄想の区別が曖昧な者を指す言葉。大凡の者より、超常現象の類を信じ易いのかもしれない。
ともあれ、問題は眼前の武芸者である。
「私が指示した事であるが……樹上から飛び降りながら、狒々神の首を断つなど、尋常な所業ではない。
「初代の
「そのように聞いている」
「ならば、儂に能わぬ筈がない。下らぬ事を訊くな」
ふんと鼻を鳴らし、得意げに豊満な胸を反らす。
虚勢ではあるまい。
己こそ最強という自負心が、彼女の強さの源泉である。
天下万民が否と決めつけるのであれば、太刀を以て証明するまでの事。誰の力も借りずに狒々神を討ち果たし、渡辺朧という武芸者の実力を見せつけてやるべきだ。その所為で獺の思惑が外れたとしても構わない。中二病の美意識に比べれば、
余所者の護衛衆より、顔見知りの中二病の方が信用できないという有様。彼女を従えながら、狒々神と戦わなければならないのかと思うと頭痛がしてくる。
「中二病とは、斯くも扱い難いものなのか」
「さもあろう。扱いづらさに関しては、三国一と自負しておる」
「全く褒めてないがな」
自意識の塊には、皮肉も通用しない。
諦観を込めて呟くと、朧が妖艶に嗤う。
「儂の事より護衛衆を気に懸けるべきではないか?」
「どういう意味だ?」
「軍議で思い出した。獺殿は、狒々神の話もしておったの」
「護衛衆は、狒々神について何も知らないからな。事前に情報を共有しなければ、狒々神討伐も危うくなる」
「事前に情報を共有した護衛衆は、困惑しておったぞ」
「……」
揶揄するように言うと、獺も押し黙る。
朧の指摘を否定しきれないからだ。
狒々神云々という話ではない。それ以前に、若手ばかりの護衛衆には、妖怪と交戦した経験を持つ者がいない。
今でこそ妖怪など滅多に出没しないが、永禄の頃は妖怪狩りを専門とする武芸座が、日本各地で繁盛していた。妖怪の脅威については、年配の武士からも聞かされている。それに護衛衆の前には、人間の言葉を流暢に話す獺がいるのだ。今更、妖怪の存在を否定はしないが、獺の説明は常識を逸脱し過ぎていた。「巨大な人喰い猿が、口から謎の破壊光線を吐き出す」と言われても、
「斯様な有様では、実物の狒々神と対峙した時、臆病風に吹かれるかもしれん。遠くから矢を射掛ける弓組は、獺殿の指示で立て直せよう。然れど狒々神に近づく長柄組が腰を抜かせば、獺殿の軍略も初手から躓こう。なんぞ対策を施さなくてもよいのか?」
「それは……私にもどうにもならない。『
「
「何が言いたい?」
他人事とばかりに嘲笑する朧に、当事者の獺が低い声で尋ねた。
「先程から獺殿は、儂の挙動に不審を抱いておる様子。然れど此度は、儂も獺殿に疑念を抱いておる」
「お前の気に障るような事をしたか?」
「何故、
朧が尋ね返すと、途端に空気が張り詰めた。
「馬喰峠に罠を仕掛けたと――おゆらがそう言ったのか?」
暫時の沈黙の後、獺が口を開いた。
「いや、女中衆を五十名ほど預けるから、後は好きに戦えとしか言われておらん。然れどあの用心深い
「……」
「身内の女中衆すら信用しておるまい。加えて数日前から、馬喰峠に狒々神が現出する事を報されておったのじゃ。
「……」
「僅か三日で川岸に埋火を仕掛ける女じゃ。五日もあれば、さぞかし大掛かりな罠を仕掛けられよう。『
両腕を組みながら、朧は凄惨な笑顔を晒した。
「果たして何を企んでおるのか……抑も真に狒々神を討つ気があるのか。獺殿の存念を計り兼ねておる」
朧の挑発的な物言いは、明らかに凶兆を孕んでいた。
獺が返答を誤れば、両者の信頼関係は破綻する。奏とおゆらのように――二度と良好な関係が築けない。最悪の場合、敵対関係に発展する恐れがある。
暫くの間を置いて、獺が大きく息を吐いた。
「三日前まで、私は蛇孕岳を監視していた」
「ほう。蛇女を見張っておったか」
「子細は語れない。ただ数日間、私の眷属は蛇孕岳から離れられなかった。薙原家が難民の叛乱を鎮圧した後、お前と同じ発想に至り、馬喰峠を調べてみたが……時間が足りなくて、おゆらの仕掛けた罠を発見できなかった」
朧は冷たい目で獺を見下ろす。
「その話を信じろと?」
「信じるかどうかは、お前次第だ。私が言える事は、この二日以内に馬喰峠へ入り込んだのは、竹を取りに来た村人と猟師だけ。後は……山道を見張る巫女くらいか。本家の女中衆や下人が、馬喰峠に侵入した形跡はない」
獺は硬い声で断言した。
「畢竟、事前に罠を仕掛けておらぬと?」
「いや……用心深いおゆらの事だ。五日前から三日前の間に、何らかの方法で狒々神対策の罠を仕掛けたのだろう。然し罠を仕掛けた場所が分からない。おゆらの口を割らせたい処だが、流石に無理だろうな」
「まだ意識を取り戻しておらぬのか?」
「ああ。仮に目覚めたとしても、我々に協力する事はなかろう。たとえ拷問に掛けたとしても、口を割るような女ではない。時間を空費するだけだ」
獺は朧の左肩に乗り、滔々と自説を述べる。
「
「お前好みの博打だろ?」
「それは
朧は不満そうに呟き、クロスギの幹に背中を預けた。
「まあ、此度は獺殿の口車に乗ろう。儂も獺殿を疑いたくはない」
朧は嗤いながら、簡単に引き下がった。
無論、獺の言葉を信じたわけではない。然し虚偽の証が見当たらない為、この場で真相を追究する事もできない。狒々神討伐の前に、根拠もなく軍目付を疑うなど愚かな事だ。
寧ろ初めから引き下がるつもりだった。
獺を詰問していたのは、時間を潰す為の酔狂である。獺の思惑など、初めから興味がない。
「そうだな。私もお前を疑いたくはない。だから質問に答えてくれないか?」
「なんじゃ?」
「随分と本隊の到着が遅れている。もう小半刻近くも待ち続けているぞ。一体、どういう事だ?」
「儂にも見当がつかぬ。大方、不慣れな山登りに難儀しておるのではないか? 護衛衆が迷わぬように、目印は残してきたがのう」
肩を竦めながら、朧は唇の端を吊り上げた。
意味ありげな態度に、獺は疑念を膨らませる。
さらに問い詰めようとすると、
「もう来たのか。護衛衆の御着到じゃ」
不意に舌打ちをしながら、朧が忌々しげに言い捨てた。
獺が視線を向けると、護衛衆が近づいてくる。狭い樹木の間を縦一列で登り、ようやく合流地点に辿り着いたのだ。
護衛衆の先頭に立つ塙は、ずいと朧の前に進み出た。
朧と塙が、正面から睨み合う。
目方は二倍以上。身の丈は一尺も違う。大人と子供が向き合うようなものだ。凡庸な武士なら怖じ気づいてもおかしくないが、朧は放埒な態度を崩さない。
「随分と遅い着到よの。狒々神に怯えて逃げ出したのかと思うたぞ」
加えて意味もなく、味方の遅参を蔑む。
中二病の面目躍如という処だが、塙も黙して終わる漢ではない。
「なんだ、是は?」
塙は左手を開いて、押し殺した声で問う。
掌に載せられていたのは、朧が落とした干飯の粒だ。土で汚れた干飯が六粒。それ以外に何もない。
「見ての通り、儂が落とした干飯じゃ。お主らが迷わぬように、干飯を落としていくと申したであろう」
「六百歩間隔で捨てられた干飯の粒が、目印になるわけなかろう! お陰で余計な道草を食わされたわ!」
「儂が食べる分も残しておかねばならぬのでな。まあ、午の刻までに着到したのじゃ。そう目くじらを立てるでない」
朧は、ぬけぬけと言い放った。
六百歩間隔という事は、およそ三百間ほどの距離を置いて、干飯の粒を落としていたのだ。それを捜し出して追い掛けろというのは、流石に無茶な話である。意図的に護衛衆を遭難させて、狒々神と一対一の状況を作ろうとしていたのだ。
「汝も中二病の端くれであろう! 斯様に小賢しい真似をして恥ずかしくないのか!」
「恥辱を覚えるくらいなら、初めから何も致さぬ。それより、よく地面に落ちた干飯の粒を見つけられたのう」
「吾輩は天下夢中の英雄――塙団右衛門直之! 正面を見据えながら、道端に落ちた鐚銭を探し当てるなど造作もないわ!」
「見掛けによらずセコいのう」
「汝が偉そうに言うな!」
挑発的に嗤う朧と、怒髪天を衝く勢いの塙。
二人の言い合いを眺めながら、獺も護衛衆と同様の感想を抱いていた。
どちらもセコい。
単なる似た者同士ではないか。
口を挟むと騒動に巻き込まれるので、率先して仲裁する者もいないが、兵達の視線は冷たくなるばかりだ。
唯一、場の空気を読めない中二病が、東の森を見ながら嘲笑する。
「で――突撃馬鹿の護衛衆筆頭殿。仔細はともかく、午の刻まで時がない。儂の相手をする前に、色々と成すべき事があろう」
「吾輩の話を聞く気がないと?」
興奮した塙が、持槍の柄を握り締めた。
戦国時代の武士道とは、儒教や仏教を手本とする江戸時代の武士道と、まるで趣が異なる。
塙も尋常の武士ではないが、朧の言動は露骨過ぎた。彼女の挑発を見過ごせば、武人の面目に関わる。
「筆頭殿、徒士の挑発に乗るな」
激昂した塙が持槍を振り回す前に、獺が冷静に割り込んでくる。
「侮辱を捨て置けば、吾輩の名誉に傷がつく。見過ごすわけには参らん」
関ヶ原合戦で日本中に醜聞を広めた時点で、塙に毀損されるほどの名誉など存在しない筈だが、一応道理は侮辱された側にある。
それでも軍目付は、落ち着いた声で諭す。
「朧の不手際は、共に物見を引き受けた私の落ち度でもある。責めを受けるべきは、私も同様であろう」
「むむ。それは……」
珍しく塙が言い淀む。
感情的に朧を成敗しようとしただけで、軍目付を責めるつもりはなかった。
「彼女の胸中は、狒々神征伐で一杯の様子。私からも謝罪しよう。然し塙殿は、護衛衆の筆頭。容易く激情に駆られては、部下達から
「確かに……」
獺の詭弁を真に受けて、塙も平静を取り戻す。
「大事の前の小事。合戦の前に仲間割れなど、それこそ筆頭殿の名誉に傷がつこう。尤も私が進言するまでもなく、筆頭殿も承知しているだろうが――」
「無論、承知しておるとも」
我が意を得たりと肯定するが、獺に理路整然と説明されるまで、鼎の軽重など考えもしなかった。
ふぬんと大袈裟に鼻息を鳴らし、塙は肩の力を抜いた。剣呑な雰囲気が消え去り、張り詰めていた空気も緩む。
「軍目付殿に感謝致せ。汝の始末は、狒々神討伐の後に伸ばしてやる」
「馬鹿甲冑に討たれるほど、儂も落ちぶれておらぬ」
「吾輩が馬鹿甲冑か否か……狒々神討伐が始まれば、否が応でも分かるだろう。吾輩の采配に畏れ戦くがいい」
前に主君から「将帥を務め得べからず」と蔑まれた中二病は、未だ
「獺よ。周囲を案内致せ。地勢を知りたい」
「狒々神が何処から現れるのか、私にも分からないからな。一先ず上方を抑えられないように、起伏の穏やかな場所を選んだ。後は……」
獺の説明を聞きながら、塙は周囲を見て回る。
多くの護衛衆が塙に付き従う中、一人の武士が朧に近づいてきた。
歳の頃は奏と同じくらい。身の丈も同じくらいだが、奏より筋骨逞しい。太い眉毛に
兜は
なかなかに立派な武者振りだが、何より目を引くのは旗指物だ。
旗指物に
『御家再興 ( ̄^ ̄゜)』
と書かれていた。
朧は一瞬で悟った。
この男も中二病である。
「押忍! 御初に御目に掛かります! 押忍! 自分は
勘助は重藤弓を持ちながら、何度も朧に頭を下げた。
「笠原正巌……誰じゃ?
「押忍! 西国生まれの渡辺殿が知らなくても問題ないです! 押忍!
律儀に朧の間違いを正しつつ、勘助は挨拶を続ける。
「渡辺殿の御高名は、以前より聞いております! 押忍! 関ヶ原合戦の武功は、自分も心が躍りました! 押忍! 是非、自分にも戦場の心得を――」
「二度と儂に話し掛けるな」
「押忍! 分かりました! 二度と話し掛けないです! 押忍――ってええええ! 話はけたらダメなんですか!?」
勘助が大仰に驚くと、妖艶な美貌を不快そうに歪める。
「戦場の心得が知りたいのか? なれば、教えてやろう。味方と馴れ合うな。
「お……押忍! 然し自分は弓組を任されています! 討手の渡辺殿と連携の打ち合わせを――」
「二度と話し掛けるな……と三度も申しておるぞ。四度目は非ず」
「……」
朧の気迫に押されて、勘助は言葉が出てこない。
「その辺りにしておきなさい」
癪に障る甲高い声が、両者の間に割って入った。
勘助に話し掛けてきたのは、異国風の装束を身に纏う武士だ。
身の丈は五尺七寸余り。全身を南蛮渡りのハウバーグで固めており、両手両足は鋼鉄製のゴントレッドとグリーブ。首と肩を守るゴージットの上には、
尤も右手に携えた武具は、日本製の長槍である。
獺の指示で、篠塚家の蔵から長槍を拝借し、槍組の持槍と交換したのだ。
長槍の長さは三間に及ぶ。これほど槍の柄が長いと、樫木の一本材というわけにもいかず、竹を用いた複合材となる。中央に樫木の芯を入れて割竹で囲む。バラバラにならないように、柄の外側を
唐人型兜の
体育会系の中二病の次は、
それなりに腕も立つのだろうが……塙団右衛門という猛者と対峙したばかり。明らかに見劣りする。美作の牢人衆にも及ぶまい。
此方も朧の興味を引くほどではなく、異国被れの武士から視線を逸らした。
「
「教養もない足軽悪党に、我々が言葉を掛けても無駄というもの。加えて我々と共闘する気もない様子。ラビレルタットに戦いたいのであれば、好きに戦わせてあげなさい」
異国被れの武士も、朧に対する軽侮の念を隠そうともしない。
朧は興味をなくした時点で、彼の言葉を聞き流していた。
然し無言を貫く相手を臆したと思い込んだのか、侮蔑の感情が噴き出したのか……おそらく両方であろうが、結果的に彼は口を滑らせた。
「第一、私達の邪魔ができるほどの技倆があるのか……関ヶ原の武功とやらも、噂話に尾鰭がついたのでしょう。斯様なプータを召し抱えた主君も器が知れるというもの。大方、若い娘の色香に惑わされたのでしょう」
中二病の武芸者も、主君に対する侮辱だけは許さなかった。一瞬で間合いを詰めると、武士の面頬を右拳で打ち抜く。
「まほーん!」
頓狂な悲鳴を発しながら、佐藤が仰向けに倒れた。
顔面を叩き潰すつもりで殴りつけたが、深手には程遠い。面頬は弓矢を跳ね返すほど分厚く造られており、朧の拳でも容易に打ち砕けない。面頬の奥で鼻血を出したかもしれないが、即座に立ち上がった。
「ぶ……ぶちましたね! パドレにもぶたれた事ないのに!」
涙目になりながら、顔を押さえて叫んだ。
「渡辺殿! 喧嘩は御法度です! 押忍!」
勘助が止めに入るが、全く朧の耳に届いていない。
無礼者を成敗すべく、大刀の柄に右手を添えたが、不意に奏と交わした約束が脳裏を過ぎる。
護衛衆の邪魔は致さぬ。
この場で斬り捨てれば、主君との約定を違えた事になる。
佐藤という武士は、おそらく長柄組の組頭であろう。
一先ず朧は殺気を抑えたが、殴られた相手は容易く収まらない。
「私を誰と心得る! 元美濃国
「佐藤・ルカ? 洗礼名か?」
朧は疑問を口に出しながら、侮蔑の笑みを浮かべていた。
「元城主という事は、関ヶ原合戦で負けたのであろう? 今では、有徳人に雇われた牢人の一人に過ぎぬ。過去の栄光に縋るなど、情けないと思うわぬのか?」
「お黙りなさい! たとえ合戦で敗れようと、佐藤家は美濃国の名門。貴方のような無礼者は、私のエスパーダで成敗してくれます!」
激昂した佐藤が長槍を捨て、右手で大刀を抜こうとした刹那、
「そこまで! そこまでええええい!」
騒動を聞きつけた塙が、獺を連れて割り込む。
「吾輩が目を離した途端に喧嘩騒ぎか!」
「私は何もしていません!」
「喧嘩両成敗である! 双方に与える罰は、双方の弁解を聞いた後で決める! 異論は認めん! 今は狒々神討伐に集中致せ!」
「カブロン!」
塙の威容に気圧されて、佐藤は南蛮の言葉で悪態をついた。
一方、朧は護衛衆の遣り取りを気にも留めず、遙か遠方を眺めながら、這い寄る獺に語り掛ける。
「獺殿」
「ああ、間違いない」
諦観を込めた声で、獺が言葉を紡いだ。
「狒々神が現出した」
蒸籠……竹や木を編んで作られた蒸し料理用の調理器具
生米……籾殻を取っただけで、精白してない米。玄米。
三丈……約9m
午の刻……正午
長柄組……長槍部隊
ゲーラ……スペイン語で合戦
永禄の頃……西暦一五五八から一五七〇年
胴の据わる……沈着。剛直。
一尺……約30㎝
小半刻……三十分
三百間……567m
鼎の軽重を問われよう……責任者としての器量を疑われて、身分の低い者に追い落とされよう
半頬……顎と下顎と喉を守る防具
覆輪……刀の鍔や馬の鞍、天目茶碗など種々の器物の周縁を金属(鍍金、鍍銀)の類で細長く覆って損壊に備え、併せて装飾を兼ねたもの
鎖錣……鎖で編んだ錣。錣とは、兜鉢に付着して、耳や頬や首周りを守る防具。
骨牌……
重藤弓……藤を巻いた合成弓
笠原正巌……
一方で政晴は僧になり、静岡県三島市の蔵六寺を開山し、寛永三年(西暦一六二六年)に六十歳で病死したという寺伝も残る。
五尺七寸……約171㎝
ハウバーグ……袖丈の長い鎖帷子
ゴントレッド……籠手
グリーブ……臑当
ゴージット……袖
天辺……兜の頭頂部
三間……約5.67m
ラビレルタット……スペイン語で自由
プータ……スペイン語でアバズレ
パドレ……スペイン語で神父
打返……仕返し
エスパーダ……スペイン語で剣
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます