40「杏はなにも悪くないよね?」②
「待てって、杏」
「放っておいて!」
放課後の中学校で、三原一登は幼馴染みであり初恋の相手でもあった綾川杏の腕を掴み、馬鹿な行動をさせないように引き留めていた。
「兄貴と何があったのか知らないけど、夏樹くんを巻き込むなって」
一見すると、茶髪で制服をだらしなく着込んだ一登は不真面目な生徒に見えるかもしれないが、彼の目は真面目だった。
杏がよからぬことを起こしそうな気配がしたので、一生懸命止めているのだ。
彼は、彼女が何か起こす前でよかったと安堵している。同時に、自分で止めることができるか不安も抱いていた。
「……あいつのことは言わないで!」
「あいつって、兄貴のことか? マジでなにがあったんだよ、いつもは優斗さん優斗さんって付き纏っていたのに」
「だから、杏はあいつにおかしくされていたの!」
「昨日からそんなことばかり言って、兄貴に何をされたって言うんだ?」
一登は辟易していた。
兄優斗に恋人ができたのは驚きだが、そこはどうでもいい。問題は杏のほうだ。いくら恋が成就しなかったからといっても、今まで散々悪態をついていた夏樹に、自分は悪くないという態度で近づこうとしているのが気にいらない。
一登も一登で、兄のせいで苦労していたが、夏樹だって家庭が崩壊したのだ。その原因は間違いなく杏にあった。
「杏はおかしくされていたって、言っているでしょう! あんな奴、好きでもなんでもなかったんだから! 杏はお兄ちゃんだけが」
「ふざけんなよ」
「――っ」
珍しく怒気を含んだ一登の声に、杏の言葉が止まる。
「俺はずっと杏たちのことを見ていたから知っている。杏はずっと兄貴が好きだった。杏自身が言っていたんだから間違いない」
「それは」
「でも、違うならそれでいいよ。でもさ、夏樹くんがずっと好きだったっていうのは信じられない。普通さ、好きな人に向かって顔を合わせるたびに暴言吐かないでしょ」
「…………」
杏は反論しなかった。否、できなかった。
一登の言葉通り、杏は夏樹の顔を見るたびに「優斗さんと違って冴えない」「優斗さんと比べたら不細工すぎ」「優斗さんより勉強ができないくせに」「優斗さんより運動できないとか」「優斗さんより」「優斗さんのほうが」「優斗さんなら」とことあるごとに突っかかっていた。
夏樹の学年の性格が悪いと噂されている女子生徒でさえ「あのさ、由良、大丈夫?」と心配するほど、杏の言動は酷かった。
下手に夏樹が言い返そうとしようものなら、教師に有る事無い事吹き込んだこともあるし、優斗に泣きついたこともあった。
そんな杏の言動は、教師でさえ知っている。
だと言うのに、今さら、どの口が夏樹を好きだと言えるのか疑問でしかなかった。
「杏、悪くないもん」
「……そんな子供みたいなことが通用するはずないでしょ」
「違うもん。あいつが杏のことをおかしくしたんだもん!」
「なにをどう、おかしくされたんだよ。あとさ、兄貴のことを悪くいうのは構わないけど、その兄貴にさっき泣きついていたよね? そのせいで夏樹くんと兄貴が揉めたんだぜ? そこまで言ってるのに、なんで兄貴に泣きつくんだよ?」
「そ、それは、あいつが泣いている杏を見てなにがあったのか聞いてきたから……」
「自分の都合のいいことばかりを言ったんだよな? ……杏さ、昔からそういうところあるよな」
「え?」
「自覚がないのかよ」
一登が大きく嘆息する。
綾川杏という少女は、兄が絡むとおかしくなる子だった。なので、もし本当に兄のせいでおかしくなっている、としても百歩譲って納得はできる。だが、それ以外でも問題がないわけじゃなかった。
父子家庭で、父親が多忙で家を空けているからといって家に帰らず遊んでばかり。
兄関連で知り合った、お世辞にも素行のいいとは思えない女性ともつるんでいる。
小遣いをすぐに使っては、父親に無心し、最近など知らない男性に声をかけられてついていこうとしたところ偶然居合わせた一登が止めたこともあった。
優斗の周りにいる女子の中には、杏を嫌う子もいる。媚びた態度が目立ち、優斗と幼馴染みであることでマウントを取る杏を不快に思った女子に文句を言われ、すぐに自分に都合のいいように拡散して、泣いてみせるなど、普段の言動もいいとは言えない。
幼馴染みゆえに放っておけない一登が注意しても「でも」「だって」「杏は悪くないもん」とばかりで話にならない。
今回の一件だってそうだ。
優斗に恋人ができて目が覚めたとしても、いきなり別の男に乗り換えようとするのはおかしい。数年にわたって想っていた感情がそんな一瞬で変わるものなのかと疑問を抱かずにいられない。仮に、そんなことがあったとしても、よりによって夏樹に今ままでの謝罪もなく、自分は悪くないと告げれば夏樹でなくとも怒るであろう。
話を聞いた一登でさえ、杏の正気を疑ったのだ。
「……杏が、兄貴を追いかけるのをやめてくれるのは嬉しいよ。でも、夏樹くんは駄目だ。それだけは、夏樹くんの幼馴染みとして許せない」
「……なによ。なによ、なんで、あんたなんかにそんなこと言われないといけないの! 杏にはお兄ちゃんが一番なの。偉そうなことを言っているけど、杏のことを好きだから自分にしろって言いたいんでしょ!?」
「頭おかしいだろ……俺が、いつそんなことを言ったんだよ?」
「そうとしか思えないもん! 別に一登に許してもらう必要なんてないから! お兄ちゃんなら、杏のことを受け入れてくれるもん! 抱きしめて許してくれるもん!」
癇癪を起こした子供のように叫んだ杏は、走っていってしまう。
追いかけようとした一登だったが、自分の言葉は届かないだろうとわかっていたので、足を止めてしまった。
「――百年の恋も冷めるって」
確かに、一登は初恋の相手である杏を、今も憎からず想っていた。
だからこそ、馬鹿な真似をしないで欲しかったし、間違っているのなら止めようとした。
しかし、もう心が折れてしまった。
なにを言っても無駄だとわかってしまったのだ。
今も、杏と優斗、一登の関係を知っている生徒が好奇心と哀れみの視線を向けてくる。
居た堪れなくなった一登は、夏樹に気をつけてほしいとメッセージを送ると、杏の父にも同様のメッセージを送るのだった。
「はぁ……兄貴も、手を出したのならちゃんと円満に解決するとか、アフターフォローするとか、ちゃんとしろよぉ」
肩を落とした一登は、兄のせいで面倒なことになってきたと何度目かわからないため息を吐くのだった。
――幸いなことに、杏の父が彼女を見つけて保護してくれたと連絡があった。聞けば、由良家に突撃しようとしていたようで、最悪の事態は避けられたと安堵する一登だった。
しかし、杏のあの様子では間違いなく夏樹にまた近づくだろうと考え、頭痛を覚える。
「明日休んでほしいなぁ、夏樹くん」
一登の願いが通じたのかどうか不明だが、夏樹は翌日欠席した。
〜〜あとがき・補足〜〜
一登くんサイドでした。
彼にとっては、兄貴に振られたから夏樹に標的を変えようとしているようにしか見えず、今までの態度を反省していないので唖然、と言った感じでした。
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