39「杏はなにも悪くないよね?」①
綾川杏にとって、幼馴染み三原優斗は何年も恋焦がれる大切で最愛の存在『だった』。
――大切な存在、だった、のだ。
「――あれ?」
きっかけは些細なことだった。
放課後の帰り道、最愛の三原優斗に恋人ができたことを祝福した帰りのことだ。
優斗は恋人ができても『今まで通り接してくれる』と約束してくれた。だから不安はなかった。杏にとって、優斗に恋人ができたことは些細な問題だ。彼も自分だけではなく、他の女子との関係を維持すると言っていたし、自分たちも望んでいた。
ライバルであり、同じ幼馴染みである松島明日香のように、優斗に抱かれて幸せの絶頂を迎えたかった。
何度も優斗に望み、時には懇願さえしたが彼は「まだその時じゃない」と曖昧な返事をするだけで、手を繋ぐ以外してくれない。
杏と明日香たちは、優斗を愛する女性たちを仲間と思い、友と思い、いずれ彼の子を産み一緒に育てる家族だと思っていた。
思っていたのだが、その感情が間違っていると急に理解できた。
「――え、違う、だって、杏は」
思い浮かべるのは、かつて兄だった由良夏樹の顔だ。
彼は義理とはいえ兄となり、家族だった。
父一人子一人の寂しい生活から、義兄、義母ができて賑やかになった。
可愛がってくれる夏樹のことがすごく好きで、とても好きで、ずっと彼と一緒にいたいと思った。
義母も優しく、本当の母だと思うようになり、暖かい家族がずっと続いていくものだと信じて疑わなかった。
――しかし、その家族がすぐに煩わしくなってしまった。
――幼いながら恋をしていた兄がとても不愉快な存在に見えた。
――そして、運命の人に出会った。三原優斗という少年と握手をした時、身体に強い痺れを覚えたと同時に、彼が杏にとっての王子様だと理解した。
それからの日々はとても幸せで、口うるさい義母も、幼馴染みのくせに優斗に劣っている義兄の存在が忌々しくてどうしようもなく、苦しかった。
どのような話し合いが行われたのか不明だが、父が離婚を決断したとき、とても喜んだことを覚えている。
同時に、その時の父の、本当に悲しそうな顔も覚えているのだが、とくにどうとも思わなかった。
以来、父とマンションに移り住むも、親子の会話は必要なものだけとなった。最初こそ、カウンセリングに通わせられることもあったが、拒否したことと、父が優斗と会わないでほしいと言い出したので、相手にするのが嫌になった。今では遅くまで仕事をして、朝は早く、顔を合わせていない。それでも、毎日メモ用紙一枚の書き置きがあるが、あまり読んだことはなかった。
「――いや、いやだ、違う! こんなの杏じゃない!」
優斗と出会ってから、数年の日々がフラッシュバックするように脳裏に流れた。
優斗に恋をし、媚び、彼を巡って喧嘩し、兄を罵声し、母を罵り、父に呆れ――そんな自分があまりにも気持ち悪かった。
「……違う、違う違う! こんなの杏じゃない! 違うもん!」
通学路で急に取り乱した杏に、クラスメイトや通行人が心配の声をかけてくれることで、自分が今外にいることを思い出し、「なんでもないです」と取り繕って走って家に帰った。
「――嘘」
自宅に戻ってきた杏は、自室を見て唖然とした。
部屋の壁には、優斗の写真が貼られていた。それも、一枚や二枚ではなく、所狭しと壁を埋め尽くしていたのだ。
「こんなこと、狂ってる」
いつか漫画で見たストーカーのような部屋だった。
ノートパソコンの待ち受けまで優斗の笑顔だ。当たり前のように、優斗の写真が机に飾られている。枕元には、優斗の写真を貼り付けた人形まであった。
恐る恐るスマホを手に取ると、当たり前のように待ち受け画面は優斗だった。ライブラリには、携帯の容量を埋め尽くさんとばかりに優斗の写真が入っている。中には、少女とキスする優斗、交わる優斗の写真、動画まで入っていた。
吐き気が込み上げ、口を抑えてトイレに駆け込む。
何度か嘔吐を繰り返すと、少しだけ冷静さを取り戻した。
「なんで? なんで、杏は……杏はお兄ちゃんが好きなのに、大好きなのに」
呼吸を整えた杏の口から漏れたのは、すでに家族ではなくなった夏樹のことだった。
出会ってすぐに好きになった初恋の兄。
義理なら結婚できると、父や義母に茶化されたがまんざらでもなかった思い出。
夏樹と一緒にいたくてどこにでもついていき、そして三原優斗と一登の兄弟と出会った。
「――あれ? なんで、杏は優斗さんを好きになったの? ううん、好きになったなんて思っちゃったの?」
三原優斗に恋した理由も、彼とひとつになりたいという願いも、彼と彼に集まる女性たちと一緒の未来も、すべて悍ましく、気持ち悪かった。
「違う、違うのお兄ちゃん。杏ね、杏はね、ずっとお兄ちゃんのことを」
脳裏に浮かぶ夏樹の笑顔。しかし、続けて浮かんだのが、杏に優斗と比較され嫌そうな顔をする夏樹の顔だった。さらに罵声を吐くようになった杏に苦々しい顔をする夏樹。最後には、興味をいっさい抱いていない表情を浮かべた夏樹だった。
「ああ、そんな……違うの、お兄ちゃん。駄目、杏をそんな目で見ないで! 優斗さんが、ううん、あいつが悪いんだから!」
混乱したまま杏が選んだことは、部屋中を埋め尽くす優斗の顔を排除することだった。
写真をすべて引き剥がし、破り、ゴミ袋に入れた。
パソコンは感情に任せて叩き割った。
スマホだけは、残しておいた。この中には自分がおかしくされていた証拠があるからだ。不特定多数の少女と関係を持ち、行為を他の少女に撮影させるような男など碌な人間ではない。
「――そうだ、杏が悪くないことを誰かに知ってもらわないと」
誰もよりも先に兄に連絡したかったが、連絡先がわからない。
そこで、クラスメイトでもあり、幼馴染でもある三原一登にメッセージを送るが、理解されず、電話をかけるも、やはり杏の言葉は理解されなかった。
「もういい!」と電話を切り、八つ当たりするように優斗の写真を切り刻んだ。
そうこうしている内に寝てしまったようで、自室の床で目を覚ました杏は、父にも事情を知ってもらおうとしたのだが、この日は帰宅していないようだった。
リビングには、「出張で三日間家を開けます」と書かれたメモと一万円札が置かれていた。
「学校に行かなきゃ」
よろよろと身支度を整える。
学校にさえ行けば兄と会える。
すべてを話せばいいのだ。
三原優斗という男に、自分がおかしくされていたのだ、と。
きっと兄なら理解してくれる。辛かったね、と抱きしめてくれる。
きっと家族に戻ってくれる。
そう信じて、顔を洗い、歯を磨き、着替え、髪を整え、メイクをした。
鏡を見て苛立ちを覚える。
鏡に映る自分は、三原優斗が「かわいい」と褒めてくれた自分だ。
こんなの杏ではない、早く兄の好みを知り、兄の望むようにならなければならない。
「お兄ちゃん、待っててね。杏がずっと離れていて寂しかったよね、悲しかったよね。でも、全部あいつが悪いんだよ? だからね――杏はなにも悪くないんだよ?」
〜〜あとがき・補足〜〜
元義妹杏さんの視点でした。
夏樹が異世界から帰還した日のできごとです。
あくまでも杏さん視点なので、わかりづらいことや、よくわからないこともあるでしょうが、その辺りは本編で明らかにさせていただきたいと思います。
また、他の方の視点と違うところもありますが、あくまでも仕様ですので、ご理解お願い致します。
もう少し続きます。
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