第32話 いってきま~す(1)

 遠くで鐘がなっている。

 カンカンカン

 この警鐘は人魔襲来を知らせる鐘の音。

 人々は、この鐘を聞くと人魔が出たことを知るのである。


 そんな鐘の音がかすかに聞こえる権蔵の道具屋。

 どうやら配達の準備もすでに終わっているようであった。

 

 店の前のあぜ道では、草を食べ終えた老馬が退屈そうに道端の花に顔を寄せ、集まる蜜蜂たちと戯れる。

 先ほどよりかなり高く上った太陽が、ご機嫌にふられる馬のしっぽの影を木陰の端から押し出していた。

 ――今日も、相変わらず暑苦しいわね……

 青空を見あげたビン子は、ほほに流れる汗をぬぐった。


 で、タカトはというと木陰にある大きな石の上であぐらをかいて座っているのだ。

 「疲れた! 疲れた! ねぇ、ビン子ちゃん、俺、疲れたよぉ……」

 さも自分はかなり頑張りましたと言わんばかりに、シャツの首を左手で大きく広げ右手で風をあおぎいれていた。

 でもね、タカト君……君は命の石の粉末が入った小さな革袋を一つ運んだだけですからね! 残念!


 しかし、タカトのとなりで立つビン子は、そんな言葉に一切耳を傾ける様子を見せない。

 タカトのかまってちゃんは、いつもの事なのだ。

 そんな言葉をいちいちまに受けていたら、奴はどんどんとつけあがってしまう。

 いまだ背後で鳴りやまない鐘の音と同様、なにやらブツブツと続いているタカトのつぶやきを払いのけるかのように、耳にかかる黒髪をサッと後ろへとかき流した。

 そんな黒髪から垂れ落ちた一筋の汗が、首筋をつたい静かに胸の谷間へと流れ落ちていく。

 どうやらここは先ほどの街の騒動とは違って、いたって平和のようである。


「あの鐘の音、どうやら街に人魔が出ようじゃな」

 見計ったかのように権蔵が店から出てきて二人に注意した。

「いいか、お前ら! 人魔に会ったら荷物を置いてでもすぐに逃げるんじゃ! 人魔症にでもかかったら大変じゃからな!」


「大丈夫よ。アホは人魔症にかからないんだから!」

 ビン子は権蔵から納品書を受け取りながら、そっけなくつぶやいた。


 そう、知能が低い動植物ほど人魔症に対して強い抵抗力を有していた。そのため一般的には人魔症は人にのみ感染する病と言われていたのだ。


「誰がアホやねん!」

 すぐさまタカトがビン子の言葉に反応した。

 もしかして、自分の事をアホと認識しているのであろうか。

 それはそれで素晴らしい!

 自分の事を何も知らないアホと知ることから、より良き人生は始まるのだよ。タカト君。


「アホはお前だ! ビン子!」

 タカトはビン子を指さし、なぜか勝ち誇ったかのような大笑いをしていた。

 いや……やっぱりこいつは、自分がアホであることを全く自覚してないようである。


「いやいやいや……アホはアンタよ……」

「そう、アホはお前じゃ……」

 白い目でタカトを見つめる権蔵とビン子は、そろってタカトを指さした。


 咄嗟に後ろを振り返るタカト

「えっ? 後ろに誰かいるのか?」


 ………………

 …………


「「お前しかおらんじゃろが!」」

 お前には幽霊でも見えるのか!

 こんなに天気がいい日に幽霊など出てきたら暑くてすぐさま成仏してしまうわ!

 権蔵とビン子は二人そろって拳を握りしめながら怒りを堪えていた。

 あぁ! 本当にうっとおしい!

 ここまで能天気だと、今日の天気以上に暑苦しいことこの上ない!


 幽霊がどこかにいるはずと木陰や石の下を必死に探すも、案の定、見つけることができなかったようすのタカトは、不貞腐れながら荷馬車の御者台にのぼった。

 ――だいたい、俺はアホやないで! アッフォや!

 A.F.O! それは、オール フォー ワン! 略してアフォ!なのだ。

 どこぞのヒーローアニメで裏社会を支配する究極悪のごとく、この世の全ての女を自分一人のものにする悪のエロエロ大王なのである!

 ワハハハハ! 全てはオッパイのためにある!


 「なにバカ言ってんのよ……」

 もう既にバカにする気すらおきないビン子は、荷物を詰めたカバンを片手にタカトの横に並んで座った。

 どうやらタカトの心の叫びが、口から漏れ出ていたようなのだ。

 ――アハハハハ、もしかして聞こえてた……? 俺ってアホやぁぁぁ! ホンマもんのアホやぁぁぁ!


 荷馬車でいまにも出発しようとしているビン子に権蔵は急いで声をかけた。

「おーい、ビン子、これ忘れとるぞ」

 それは融合加工技術で作ったカラーコンタクト。

 ビン子は権蔵から、コンタクトの入った容器を受け取るとキャップを丁寧に開けた。

「忘れてた。ありがとう」


 タカトはビン子が指先でつまむカラーコンタクトを興味深そうに見ていた。

「しかし、いつ見ても、そのカラコンすごい技術だよな。じいちゃんが考えたのか?」

「まぁ、そうとも言うが、そうでないとも言うかな」

「一体、どっちだよ」

 笑いながら答えるタカト。


「ワシが作ったものではあるが、その原理は『クロト』様から教えてもらったものじゃ」

 クロトとは、融合加工院ゆうごうかこういんの主任技術者であり、第二の門の騎士でもあった。


「すっげぇぇぇぇぇ! じいちゃん! クロト様と知り合いなのか! 俺も会いたい! 今すぐ会いたい! 会いたい! 会いたい! 会いたい!」

 駄々っ子の様にじたばたするタカトをうっとおしそうに見る権蔵。

「たしか、今でもクロト様は道具コンテストで審査員をしていたはずじゃが」

「よし! 俺も道具コンテストに出る! 絶対、満点とる自信があるんだ!」

「……いや、お前のは確実に0点じゃ……というか、お前、参加できる条件を満たしとらんからな……」

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