第9話 いつもの朝のはずだった(3)
暖炉のすすが壁をつたい黒い蛇のように這いあがっていた。
汚れの先にはむき出しとなった古い屋根がいたるところに隙間を作っている。
そんな隙間から差し込む光の筋。
清浄なる光芒の中を漂うホコリたちがその
そんな薄汚れた暖炉の前には年季のはいった一枚板の大きなテーブルが横たわり、一人の老人が席についていた。
きっと武骨な性格なのだろう、まゆは太くて黒々しい。
だが、その職人気質のようにごつごつとした頭には、あるはずの髪の毛が一本もなかった。これまた気持ちがいいぐらいにツンツルてんに禿げ上がっていたのである。
まさにその容貌は、妖怪つるべ落としといったところだろう。
この老人こそ、この家の主、権蔵である。
だが、主と言っても、そんなに凄いわけではない。
というのも、権蔵の身分は『休息奴隷』、すなわち奴隷なのだ。
この聖人世界で『奴隷』とは、『
その下にあるのは『
そして、『奴隷』は、『神民』など上位の身分の者たちの所有物なのである。
奴隷は自らの意思で生きることは許されない。
主人のためにその命を使いきる。ただそれだけの人生なのだ。
そのため、常に争いの最前線に駆り出され、先鋒や盾役に使われるのである。
死んでいなくなれば、また代わりの『奴隷』が戦場に投入される。
この世界では、代替が利く『奴隷』の命は鳥の羽よりも軽かった。
しかし、戦場に投入された『奴隷』に救いがないわけではない。
『神民』の主である『騎士』に『休息』を願い出ることができたのだ。
『休息』が認められると、戦場において『奴隷』として費やしてきた時間と同期間の自由が『騎士』の名のもとに保障されたのである。
そして、休息中は、いかに奴隷の所有者である『神民』といえども、決して侵害することができないのだ。
まさに、奴隷にとっては夢のような生活なのである。
だが、全ての『奴隷』たちが、この権蔵のように『休息奴隷』となることができる訳ではなかった。
なぜなら、『門』の外という戦場では、たかが数年を生き延びることすら難しいことなのだ。
しかし、幸運にも権蔵は、第一世代の腕のいい
通常、融合加工された道具の能力を飛躍的に向上させる『
その血液の使用量はその道具を作製した職人の腕によってバラつきはあるものの、一般的にはエスプレッソカップ一杯分ほどが必要と言われている。
これに対して、権蔵が作った道具では一滴の血液のみで足りるのだ。
このことからも、権蔵の腕がいかに卓越したものであるかは言うまでもない。
その技術力の高さで40年という長い歳月を『門』外の戦場においてまっとうすることができたのだ。
『休息奴隷』となった権蔵は、森で拾った幼きタカトとビン子とともに、わずかに蓄えていたお金をすべて使って融合加工の道具屋を始めた。
しかし、時はすでに第五世代。
第一世代の技術しか持たない権蔵はもはや時代遅れとなっていた。
このような権蔵のもとにオリジナルな道具の作成依頼などあるはずもなく、客の来ない店内は常に閑古鳥が鳴いていた。
そんな店の入り口近くでは、棚に並べられた短剣や盾などが決して訪れることがない買い主を待ち焦がれホコリをかぶりくすぶり続けている。
というわけで、まぁココはいわゆる全く人気のない道具屋なのである。
そんな大きなテーブルの上に一つだけ芋が置かれていた。
芋からは、うっすらと湯気が立ちのぼっている。
その湯気と共に芋の甘い香りが部屋の隅々へと広がっていくようだ。
さきほどから店の入口に背を向けた権蔵は一人テーブルにつき、その朝食のふかし芋を食べはじめていた。
不機嫌なビン子は、権蔵の対面に二枚の皿を並べた。
その様子は今だにタカトに馬鹿にされたことを根に持っているようである。
それに対して、こちらはわれかんせずのタカト君。
奥の台所からが湯気の立つ芋を両手でいき交いさせながら持って来た。
こいつはアホなのだろうか。
そんなに芋が熱いのであれば皿の上にでも置いて運べばいいものを、なんで素手で持ってくるのだろう……
タカトは、ビン子が置いた皿に芋をポンと置くと、今度は自分の手に激しく息を吹きかけはじめた。
「あちぃぃぃ! ビン子ちゃん熱いよぉぉぉ」
わざとらしくビン子に泣きつくものの、ビン子はぷいっと横を向く。
そんなビン子はタカトが置いた芋を二つに切り分けると、自分の皿だけ持ってさっさと席に座ってしまった。
権蔵は目の前の二人の様子をちらりと伺った。
――今朝はかなり機嫌が悪いのぉ……ほんとに毎朝、毎朝こりずに……あのどアホときたら、いらんことばかり言いよりおってからに……
はァとため息をつくと、仕方なさそうにタカトに命令した。
「タカト……今日は第六の門の守備隊に依頼された汎用道具を届けに行ってくれ……」
「俺、融合加工で忙しいんだよね……爺ちゃんが行けば?」
ドン!
突然、権蔵の目の前の机が大きな音をたてた。
どうやら権蔵の怒りのスイッチが入ったようで、先ほどからタカトを睨み付けているではないか。
「このどアホ! 拾ってやったんじゃから、その分、黙って働け! お前には義理と言うものがないんか」
「へい、へい、分かりましたよ」
権蔵に怒鳴られることは毎朝の決まり事。
まぁ、つまらん上司の朝礼のようなものだ。
カエルの面にションベン状態のタカト君は全く驚くこともなく平然としていた。
だがそれよりも、まぶたに浮かんだお姉さんのことがよほど気になったらしく、いつもはそんなことを聞きもしないのに、今日に限って、なんとなく口に出してしまったのである。
「なぁ……じいちゃん……どこで俺を拾ったんだ?」
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