ニ トラウマの発掘 一
自宅のドアの前で、鍵を外してノブを回した。厳密には、ノブは六十度ほどしか回ってない。にもかかわらず、半ば無意識にしている行為から浮かんだ言葉……『回す』……が、岩瀬の心理をかき回した。
回転ではなく回す……中学時代に、手動充電式の懐中電灯を作ったことはある。リュックのバンドに固定できるバンドがついていて、本体は赤い箱型だった。ハンドルを回せばバッテリーに電気がたまる。技術の授業で作った。わりと気に入っていたが、かかわりがあるとは到底思えなかった。
はっと思いだした。岩瀬は小さいころ、箱の中にいた。比喩ではない。母親の胎内とも関係ない。生まれたあとのことだ。とにかく箱に入っていた。蓋もしてあった。そして、箱ごとぐるぐる回転した。いじめや虐待ではないのもたしかだ。何故なら、楽しかった記憶がかすかにある。中学生から先には、そんな体験をした覚えがない。ということはどれほど新しくとも小学生時代になる。
回す箱……箱を回す。あの懐中電灯はハンドルを回すのだからやはり別だ。福引きの箱は小さすぎる。
夜空からかすかにプロペラかなにかの音が降ってきた。どこの所属か知らないが、ヘリコプターだの飛行機だのが街の上空を昼夜問わず飛ぶことがある。珍しくもない。
機械のうなる物憂げで単調な響きが、場違いにも洗濯機を連想させた。洗濯機なら生まれた時からも、なんならこの自宅にもある。もっとも、抱えた悩みにどう役だつかはわからない。ただ、洗濯物を洗う部分が蓋をされて回転するのは明らかだ。
そういえば、自宅の洗濯機にはタイマーがある。当たり前といえば当たり前か。毎日やるのは面倒なので、洗濯物はたまってから解決するようにしていた。ちょうど、昨日すませたばかりだ。昨日はタイマー切れのブザーを聞いた。指定された時刻が近づくと、時々カウントダウンをしてしまう。深い理由はない。
五……四……三……ニ……一……。
『ぜろ!』
幼稚園児だった自分の叫び声が、頭の中でよみがえった。
蓋が開かれ、箱からはいでる。実家にいたはずだが、両親はどこかにでていた。代わりに誰かがいた。つまり、自分に加えて家族以外の人間が一人いた。
蓋には小さな穴が開いている。床にはハサミが転がっていた。蓋はプラスチック製なので、時間をかければ幼児でも突きとおすことができた。
『れい君の番だよ』
誰かがいった。岩瀬の下の名は
『うん』
岩瀬が答えると、誰かは箱に入った。岩瀬は蓋をしめ、それからできるだけゆっくり横倒しにした。
『じゅーう、きゅーう、はーち、……』
カウントダウンしながら、岩瀬は横倒しにした箱を床の上で転がした。それなりに重いはずだが、丸い箱だったからだろうか? 思ったより簡単だった。
箱の中からは、喜んではしゃぐ声が響いてくる。数十秒前は自分もそうしていた。
呼び鈴が鳴り、幼い岩瀬は箱を置いて居間までいった。居間の壁にはモニターがあり、白黒だが来客の様子がわかる。段ボール箱を抱え、運送会社の制服を着た男だった。
そういうときはいないことにして構わない。親からはそう聞かされていた。運送業者の格好をした空巣狙いや変質者が、誤配送を装って家に残った人間をたしかめることが新聞を騒がせていた。もっとも、はっきりした手口を知ったのはずっとあとだ。
モニター越しに、運送業者の男はもう一度呼び鈴を鳴らした。親のいいつけに従い、岩瀬は無視した。
モニターに背を向けようとしたとき、画面に新たな人間が一人写った。当時の岩瀬と同年代の女の子だった。最初から男の陰にでも隠れていたのか、脇から新しくきたのかはわからない。ただ、顔見知りではあった。さっきまで箱で一緒に遊んでいた子だ。
箱をでて、家の裏口かどこかを経由するという可能性はない。箱は内側からは開かないのだから。
仰天した岩瀬は、大急ぎで箱まで戻った。箱は彼が最後に転がしていた状態のままだった。蓋を開けると、しゃがんだ状態で頭が見えた。声をかけたように思う。
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