ニ トラウマの発掘 三

 反射的に手足を伸び縮みさせようとして、痛みに顔をしかめる。


「あまり無理するなよ」


 気遣わしげに助言した相手が、自分を少し離れた場所から見守っているのにようやく気づいた。逆光のせいで特定に少し時間がかかった。


「薄山……」

「久しぶり」


 薄山はぎこちなく笑った。丸椅子に座る彼の右足は、はだしに包帯が巻かれている。


「病院か」


 四人部屋の病室らしいが、いるのは岩瀬達だけだ。


「察しが早いな」

「今日は何月何日だ?」


 薄山の回答から、岩瀬は転倒の翌日に過ぎないことにまず安堵した。


「俺は今日退院だから、ちょうど入れ違いだな」

「包帯はまだ取れてないけど、いいのか?」

「ああ。歩くのはまあ、構わない」


 最低限の会話を交わしつつ、薄山がある重大な話題を避けたがっているのは明白だった。


「俺は、アパートの階段で転んだ」

「そうだったのか」

「廊下を自分からごろごろ転がって、自分から階段を落ちていった」

「なんだそりゃ」

「ホラフキさんだよ」


 どうせ、なにをどう遠回しにしてもしかたない。


「え……?」

「ホラフキさんが、俺に命令したんだ」

「お前……」


 薄山は、できることなら椅子ごとあとずさりしたかっただろう。足をケガしているせいで、かすかに背をのけぞらせるに留まった。


「認めたくはないが、二回聞いたら疑えない」


 岩瀬は、二回目の体験について簡潔に語った。


「おい……本当に大丈夫か?」


 薄山はそれだけ口にするのがやっとだった。彼は岩瀬を殺せとホラフキさんから命令されている。しかし、ホラフキさんはあくまで架空の存在……とにかくそう決めたはずだった。岩瀬は罰を受けたから、ホラフキさんはもう憑いてない。しかし、薄山はこれからだ。


「ああ」

「いや、でも……」

「俺を殺すか?」


 さらりと口をついてでたのは、薄山を恫喝したいからではなかった。単に、それならそれで身を守るだけのことだ。つまるところは確認に過ぎない。


「ま、まさか」


 薄山はみるみるうちに顔色を変えた。こうなると、元がおとなしいだけに一気にしょげかえってしまう。


「罰っていっても、俺はピンピンしてるしな。昨日の結論でいいんじゃないか? どっちみち、ホラフキさんがいないって結論づけられたらみんな蒸し返したりしないだろ」

「そうだな……そうだよな……」


 肩を落とす薄山は、岩瀬からしても頼りない。一方で、罰を受けても大したことではなかったという自信が湧いてきた。


 ドアがノックされ、返事を待たずに開いた。聴診器を首にかけた白衣姿の男性と、看護師の女性が一人ずつ現れる。二人とも中年にさしかかるくらいの年齢だった。


「ああ、気がつかれましたね」


 にこやかに男性は岩瀬に呼びかけた。薄山はこれ幸いと引っ込んだ。


「はい、お陰様で」

「失礼ですが、お名前やご住所は所持品から改めるほかなかったのでご理解いただけますか?」


 男性は、岩瀬に近づきつつ尋ねた。看護師もあとに続いた。


「もちろんです。こちらこそ、ご迷惑をおかけしました」

「いえいえとんでもない。申し遅れましたがここは丸部整形外科という病院で、私は医師の三宅です」

「看護師の室野です」

「岩瀬です。よろしくお願いいたします」

「こちらこそ。それで、岩瀬さん。お一人で歩けそうですか?」

「ちょっと、試してみます」


 看護師が素早くベッドの脇に寄った。

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