第58話政治

 宰相は俺の言葉にわずかな時間、逡巡しゅんじゅんするかのように言葉を飲み込んだ。

 その数分間は、ある意味では世界を変えてしまうほどの沈黙の時間だった。

 そして、俺は彼が正解にたどり着くと過信していた。


 グレア帝国の名産品である高級ウィスキーを一口飲みこむと彼は目を閉じて、こちらの問題に答えた。


「なるほど、キミはこの国際秩序の破壊者になるつもりだな。一見はこの現状の体制を維持しているように見えて……」


「……」

 俺は核心を突かれて黙秘した。


「キミの考えはある意味では、国際秩序の現状維持をかかげているように見える。ヴォルフスブルクは古くから周辺諸国にとっては忌み嫌われるものだった。国力の潜在能力が高すぎるからだ。だからこそ、周辺諸国・領邦は団結して包囲網を敷いた。大陸において、ヴォルフスブルクは孤立した悪魔なんだよ」


「私は矛盾しているように見えますが、その秩序を少しだけ変えるだけで大陸に平和な時代を作り出せると考えております。ヴォルフスブルク対周辺諸国という構図は変えずにです」


まんだね。たしかに、その構図は変わらない。だが、中身はまるで別物だ。外見上は変わっていなくても、周辺諸国を取り込み、新しい覇権国家が誕生していることだ。その覇権国家の圧倒的な力によって周辺諸国はまとまることを強いられる」


「……」

 やはり、核心をついてきたか。そう今までの状況は簡単だ。ヴォルフスブルクにヘイトを集めて、周辺諸国は団結する。そして、ガス抜き程度にヴォルフスブルクと小競り合いを起こさせて、秩序を維持する。これが現状の国際秩序だ。


 ただ、これはいつか破滅する。ヴォルフスブルクがしびれを切らして、戦争を起こし崩壊すれば簡単に周辺諸国の団結の意味はなくなる。そうすれば、次の標的は間違いなくグレアになるはずだ。だから、グレアはこの状況をできる限り続けなくてはいけない。


 さらに、グレア産の武器を同盟諸国に売ることで大きな利益をもたらしていたはずだ。ヴォルフスブルクの周辺領邦を事実上の壁にすることで発展を享受していた。


 つまり、この状況を作り出して最も利益を上げていたのはグレア帝国なんだ。

 だが、ヴォルフスブルクが巨大化し周辺諸国を飲みこんだ場合……


 今までの武器売買の利益はなくなり、直接的な脅威を感じることになるからだ。


 だからこそ、ヴォルフスブルクの巨大化はグレア帝国にとっては最悪の状況になる。だからこそ、宰相自ら乗り込んできたんだ。


「キミたちの計画を進めるならばやはりどこかで戦わねばならないようだね?」

 怪物宰相は不敵に笑った。


 ※


 ある程度の自分たちの状況を把握した後、ウィスキー会はお開きになった。

 お互いの立ち位置はあれで明確になった。


 あとは向こうに委ねられる。ここで大きないくさをして、ヴォルフスブルクを叩き潰すのか……

 それとも現状ではヴォルフスブルクの巨大化を見逃し将来の決戦に備えるための準備をおこなうのか。

 どちらかにひとつだ。


 今仕掛けるのであれば、こちらの方が軍事的に優位性を持っている。航空魔導士の練度は他の追随を許さない上に、グレア帝国自体の準備が整っていない。


 最悪は物量で押し切るしかないのが向こうだ。もちろん、物量勝負ならこちらに勝算はほとんどないんだが……


 だが、それ以上に向こう側に出血を強いることができる。塹壕戦術などこちらは未来の技術で武装しているんだ。


 勝てなくても負けない戦い方ならできるはず。


 たとえば、第一次世界大戦でフランスは生産人口をかなり失ったせいで、戦間期に大混乱が生まれた。経済は弱体化し、軍の近代化は遅れて、最終的には第二次世界大戦でドイツに惨敗するきっかけになっている。


 俺がよく考えているマジノ線は若者を失い、人口ピラミッドがいびつ化したせいでマジノ線という大要塞に頼った戦略しか取れなかったともいえる。


 向こう側に大ダメージを与えて、ある程度有利な条件で講和する。それが、現状で開戦した場合のベターな選択肢だ。


 だから、どちらかと言えば現状での開戦は向こうは避けてくるはず。優秀であればあるほど、この予想を危惧しているはずだ。


 つまり、向こうは今回の交渉でできる限りこちらの力を削ぐような無理難題を押し付けようとしてくる。現状の開戦はない。どちらがそれを言及してもブラフという共通認識を持てたはずだ。


「ふたりとも、高度な会話すぎてどんな含みを持たせているのか全然わからなかったです」

 リーニャは悔しそうにつぶやく。


「大丈夫だ。俺もかなりギリギリだった。いくつも想定していたのに、その想定にあの宰相は思い付きでついて来やがる。ホンモノの怪物だよ、ありゃ……」


「意外ですね。クニカズ大佐は何でも知っているのかと」


「ふたりきりの時は大佐はいらない。同期だろ?」


「じゃあ、クニカズはこの後どうなると思うの?」


「おそらく、この場での開戦は双方が避けるはずだ。そして、俺たちの力をそぐような提案をごり押ししてくるはず。それが、女王陛下たちと予想した向こうの対応だよ」


「なら……」


「ああ、明日からは交渉のテーブルが戦場になる」

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