第57話宰相
扉を開けると、銀髪の朗らかな笑顔を浮かべた男が豪華なソファーに座っている。
後方には完全武装された騎士たちが控えていた。
まるで、20代に見える銀髪の男が大陸最強国家の宰相とは初見ではわからないだろうな。
40代後半になるはずなのに、若々しさを保っている。
「宰相閣下。私が今回閣下の出迎えを担当するクニカズと申します。以後お見知りおきを……」
「ああ、わかっているよ。お噂はかねがね。ニコライ・ローザンブルクを打ち破った世界最強の魔導士に会えるなんて光栄だね。今回は突然の来訪にもかかわらず、リーニャ公爵令嬢とともに出迎えをしてくださり感謝を申し上げる」
まずは、儀礼的な感じの入り方だな。そして、俺はこの部屋に入った瞬間から、悪魔のささやきが聞こえていた。目の前の宰相をこの部屋ごと吹き飛ばしてしまえばいいのではないか。そうすれば、グレア帝国とは開戦となるが、宰相がいない帝国なら勝算はある。
だが、そうすれば……
「どうしたんだ、クニカズ大佐? 気分でも悪いのかな。とても青い顔をしているよ」
宰相は、俺を心配するように近づいてきた。そして、耳元でこうささやく。
「(それとも、私を暗殺する機会でもうかがっているのかね? 私をここで殺せば、確かにグレア帝国との戦争には勝てるだろう。だが、数百年は続く汚名をヴォルフスブルクは背負うことになる。それはあまりにも重いぞ。それでも構わないなら、やりなさい)」
そう言うと俺の耳から笑いながら離れていった。まるで大悪魔だな。ここで宰相を暗殺すれば、ヴォルフスブルクは覇権国家になれるかもしれないが、周辺諸国の信頼は完全に失う。軍事的な優位性がなくなればすぐさま、ライバルに滅ぼされるだけの国になる。
その選択肢は現実的に選べない。
そして、この人は自分の命すら国家のためには投げうることもできる政治家か。仮に、宰相を暗殺してグレア帝国を打ち破っても、和平案はこちらが大きく譲歩しなくてはいけない。宰相暗殺は周辺諸国すべてとの開戦を意味するからな。
自国を守るためなら、簡単に自分の命すら捨てられるほどの覚悟を持っている。
敵としては最も厄介な相手だ。
「さて、明日の交渉に備えて、本日はこの部屋でゆっくりしたい。大佐はウィスキーが好きだと聞いた。土産に持参したから、どうだい一杯? 僕はキミのことをもっと深く知りたい。付き合ってくれないかな?」
まるですべてを見通しているかのような純粋な目に俺は恐怖すら感じながら「喜んで」と短く答えた。
※
「これは私が大好きなスペルサイドのウィスキーでね。とても果実感が強いから女性でも飲みやすいと思う。リーニャ君は、お酒は大丈夫かい?」
「ええ、パーティーの席で楽しむくらいですが」
「ならよかった。それでは乾杯」
俺とリーニャがグレア帝国宰相の前に座り、ウィスキーグラスをゆっくりとぶつける。
スペルサイドウィスキー。たしか、グレタ産のウィスキーの中ではスモーキーさは抑え気味で、酸味や甘さが中心のものだな。俺はどちらかと言えば、スモーキーな感じのウィスキーが好みだからじっくり飲むのははじめてだ。
香りはオレンジやレモンのようなさわやかな感じ。
ゆっくりと口に含むと花のような豊かな香りとクリームのような濃厚なうまみが広がる。
「まるでエルダーフラワーを飲んでいるみたいですね」
リーニャは美味しそうに笑った。
「ああ、とても上品なウィスキーだな」
「喜んでもらえて嬉しいよ。聞いた話によると、クニカズ大佐はもう少しスモーキーな潮の味が強いウィスキーが好きらしいね。少し物足りないんじゃないかな?」
「いえ、これはこれでとても美味しいです」
ウィスキーのビンには、グレア帝国の建国神話で活躍した鹿の絵が描かれている。皇帝御用達ということだろう。かなり高級なものだ。
「それで、クニカズ大佐。キミの活躍は本当にすごいね。軍事大学での大活躍や航空魔導士隊を使った戦略の発明。僕はキミのことをこの1年間ずっと注目していた。キミはまるで数百年先を生きているように見えた。おそらく、すさまじい頭脳の持ち主なのだろう」
さて、政治の話か。残念ながら俺には決定権がないんだがな。
「そんなことはありません。すべては女王陛下やアルフレッド将軍の功績です」
「ふふ、キミは酒を飲んでも優等生のようなことを言う。だが、キミの周囲を観察していればわかる。答えてくれないとは思うが……一応、聞いておこう。クニカズ大佐、キミは時計の針を何百年進めてしまったんだ? それについての後悔はないのか? キミの知識によってこの世界は暴走を始めているようにしか見えない。キミの存在は開けてはいけないパンドラの箱だ」
「何を言ってらっしゃるんですか……?」
リーニャは困惑している。
だが、俺は無言で宰相の目を見た。
おそらく、彼はわずかな情報で、俺のほとんどを知っている可能性がある。
実際、俺が使っているのはこの世界から見れば200年から300年進んだ知識を使っている。それによって、技術革新は正史以上に進んでしまう。
だが……
「後悔はありません。我々は安定した国際秩序を求めております」
俺はそう断言した。
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