第46話謀略の夜

 さざ波の音が聞こえる。

 いつまで彼女と話していいのだろうか。心地よい潮風によって、ウィリーの心の壁は簡単に崩壊したんだろう。いつもの凛とした雰囲気は完全に消えて女の子の顔になっている。


 夕日は水平線に沈み始めた。さっきまではまばゆい光の反射がどこかに消えて、海面は紅く染まっていた。


 少しずつ女王の表情が見えなくなっていく。

 ジュースはもうカラになってしまった。


「ねぇ、クニカズ。お酒でも飲まない?」


「えっ!?」


「大丈夫よ。あなたの国ではお酒を飲める年齢制限ってあったみたいだけど、こちらにはないもの。ビールは水代わりなのよ」


 そういえば、中世ヨーロッパだと浄水施設は未整備で、上水などは普及していなかったこともあって、酒が水代わりだったと聞いたことがある。貴族たちはワイン。庶民は、ビールやリンゴ酒、梨酒を飲んで水分補給をしていた。アルコールは利尿作用が強いのに、脱水症状にならないんだろうか? それとも欧米人の体の構造の問題か?


 ちなみに、少しずつ年代が進むと紅茶やコーヒー、ココアも登場するようになるが……


 ウィスキーやジン、ウォッカなどの蒸留酒の原型は、メソポタミア文明の時代からあったとされるがキチンと技術が確立されるのは、中世の錬金術師の功績によるところが大きい。マジックオブアイアンのゲーム設定でも、中世の錬金術師たちが偶然魔力の発動方法を発見したため、科学の発展にはつながらずに魔力が代わりに発展したという裏設定がある。


 だからこの世界では、酒造りが、科学世界よりも発達しているんだろう。

 蒸留技術も格段に発展しているから、同時代の科学世界よりもウィスキーがうまい気がする。


「ローザンブルク皇帝陛下にいただいたウォッカがあるの。これをオレンジジュースで割ると美味しいのよね」


「俺たちの世界でも同じものがあります。スクリュードライバーって言われていたカクテルですね」

 このカクテルは即席で作られたもので、まぜた後にかき混ぜる動作がねじ回しに似ているから名付けられた説がある。


「あらそうなの? これは度数も自分で調整できるし、好きなんですよ。はい、クニカズ。あなたの分よ」


「ありがとう。女王陛下にカクテルを作ってもらえるなんて幸せ者だな、俺は」


 そう言いながら、俺は照れていた。

 この世界には俺の世界にあったカクテル言葉なんてあるわけがないけどさ。


 そうとわかっていてもちょっとだけ動揺してしまう。


 だって、スクリュードライバーのカクテル言葉は「あなたに心を奪われた」だから。


 ※


―グレア帝国宰相府―


「以上が、ヴォルフスブルクの造船場の情報です。現在、急ピッチで海軍の増強が行われているようですが、我が国に匹敵する海軍を作るのには10年以上のスパンが必要だと思われます。その間にも我が国側は海軍を改良しますので、軍事的な優位性は揺るがないかと」


 私は、雇い主の宰相閣下にそう報告した。

 ここまでうまく潜入できるとは思わなかった。やはり、協力者はホンモノね。まさかあんな大物が味方してくれるとは……


 僥倖ぎょうこう


 宰相閣下は、温和そうな顔で私の報告を嬉しそうに聞いていた。


「海軍力で優位性を確保できているなら、まだヴォルフスブルクを抑えることができるだろうね。我が国は圧倒的な海軍力で海上封鎖をちらつかせれば勝利は間違いない」


「ええ、海軍力はまだぜい弱ですからね。いくら、あの閃光と世界最強の魔術師でも陸上から海上を攻撃することは難しいですから」


「よくやってくれた。どうだい、1杯くらい?」

 そう言うと宰相閣下は、机から陶器のビンを取り出してグラスに茶色い液体を注ぐ。


「ええ、任務のおかげで、素敵な男性からのお誘いを断ってしまったので……こちらのウィスキーはいただきますわ」


「彼の代わりになれるかな、僕で?」


「もちろんです。私がウィスキーを一緒に飲むのは、本当の強者だけ。美味しいです。とても甘くて、お花を飲んでいるように華やかな香り。さすがは、宰相閣下のお好きなお酒です」


「ああ、21年物だ。なかなか手に入らないから、こういう夜くらいしか飲まんよ。それで、噂のクニカズ中佐はどうだった?」


「完全にやられましたわ。私の想像のはるか上に生きている魔術師でした。発想力、魔術操作の正確性、発動スピード。まさに、伝説級の魔術師でしたね。ニコライ=ローザンブルク中将を撃破した実力は本物です。私も脱出路を用意していなかったら、間違いなく捕虜になっていたところです」


「それは困るな。キミがいなければ、今後の動きが難しくなる。ローザンブルク帝国がヴォルフスブルク包囲網から脱落したとなっては、あの国を止めるのは私たちの責任だからね」


「しかし、1対1ならクニカズ中佐に勝てる相手はいません。いかがいたしますか?」


「なに、たいていの英雄は味方に殺されるんだよ。嫉妬に狂った味方にね。彼には自滅して退場してもらえばいいんだよ。歴史は、彼を悲劇の英雄として讃えるだろう。英雄は悲劇的な最期の方がよく似合う」


「では、あちらの方は私のほうで進めていきますが……」


「ああ、よろしく頼む」

 ろうそくの炎がウィスキーに反射している。謀略の夜がふけていく。

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