番外編① 凍った心を解かす者(破)


「そろそろ、本格的に氷を溶かそうか」


 ノアと二人きりになったオリバーは、さっそく手の中にあるサファイア魔鉱石に力を込めた。


 一時間後、泉の氷はすべて溶け大きな穴が空いた。


「驚いたな。ノアのおかげで予定よりも早い」

 泉のそこに降り立つ。光の届かない大きな黒い横穴の前で立ち止まった。用意しておいたランタンを取り出し、火を灯す。


「ぼく、すごい?」

「ああ、ノアはすごい。賢いし、魔力も使えるし、やさしい。将来は立派な氷の皇帝になれるだろう」

褒めたのに、途端にノアの顔色が曇った。下を向き、哀しそうに眉尻を下げている。


「母様がぼくに、立派な皇帝になれって言うんだ」

 沈んだ声だった。

「おまえは皇太子だからな。期待されているんだろう」


「父様は、皇帝になったために早く死んじゃった。今のグレシャー帝国には強くてやさしいリアム陛下がいるのに、なんでわざわざぼくが皇帝にならなくちゃいけないの?」

 顔を上げたノアの目は真剣で、切羽詰まった表情をしていた。


「おまえの父親クロムを含め、歴代の王には凍結耐性を持つ者が少なく寿命を縮めたが、幸いにもノアとリアムにはある。本来なら寿命の心配はいらないんだ」

「でも、ぼくは氷や雪を作れない」

オリバーは姪孫を安心させようと、まだ明るい空を指さした。


「氷の国グレシャー帝国の王に求められるものは、気候調整だ。風の魔力で、雪雲を吹き飛ばすことはできるんじゃないか?」

「雪雲を消せても、ぼくでは陛下が作った結界を守れない」

「リアムはノアに、結界を引き継ぐつもりはなかったようだ。自分が亡き後は自動で維持できるように、この国を守るために流氷の結界に力を蓄えていた。結果、あいつは凍化を早めてしまったがな」


 オリバーはノアの前にしゃがむと、手のひらを開き、サファイア魔鉱石を見せた。

「だから私はこれ、魔鉱石を八年かけて完成させた。リアムと流氷の結界についてはもう、心配いらない。半永久的に勝手に発動するように仕組みを変えた。リアムの病は克服できるだろう」

 説明を聞いて、ノアは目を見開いた。


「陛下を救うって、そういう意味だったんだね」

 目を煌めかせる姪孫に微笑みと頷きを返す。

「クロムは、間に合わなかった。助けることができなくてすまない」

 ノアは黙ったまま、首を横に振った。


 オリバーが長い眠りから目覚めたとき、兄ルイスの命の灯火は消えかけていた。自分の死期を悟り、皇帝の座を息子に譲ったあとだった。最後の魔力を使ってオリバーを目覚めさせたという。


「我が兄ルイス、……ノアのおじいさんは、バカだ。残りわずかな寿命を使ってまで、こんな弟に何を期待したんだろうな。あのまま目覚めず、寝かせてもらいたかった」


 ビアンカと結婚し皇帝になっていたクロムは、すでに初期の凍化病を発症していた。

 オリバーに息子の代わりとなって王位を継いで欲しかったのか、それとも凍ったままの弟を憂いた兄心だったのか、ルイスの考えを知る術はもうない。


 皇帝になれば、妻ルシアを助ける手立てを探せなくなる。

 オリバーが復活したことを知るのは兄ルイスとビアンカだけ。自由が効かない身体でグレシャー帝国を離れ、彼女のコネでカルディア王国に身を隠した。敵対する恐れがあるクロムやリアムには会わなかった。


「陛下が元気になるならぼく、やっぱり、大好きなリアム陛下とけんかしてまで皇帝の座を奪いたくない!」


 オリバーは苦笑いを浮かべた。状況が整った今、自分はケンカしてでも王位をリアムから奪おうとしている。甥を王家から遠退け、ルシアを守るために。


「皇帝の座を奪うのは私だ。リアムには自由に生きてもらいたい」

 ノアは、「自由って?」と首をかしげた。オリバーは目を細め、姪孫の頭をぐしゃりと撫でた。


「ノア。おまえも自由になっていい。この国の王家の因習や、しがらみに縛られるな」

「でも、ぼくには王家の、クロフォード家の血が……」

「ノアには風の民、カルディアの血も流れているじゃないか」

 オリバーはノアの背を軽く叩いた。


「私がおまえたちを解放する。どう生きるかは、自分で選べ」

 少々強引なやり方だから、リアムは納得しないだろうが。


「カルディア……母様の、血」

 ノアは自分の手のひらを眺めながら呟いた。


「カルディア王国は小国だが、活気がある。色んな国から商人が集まるからだろう。自由を愛する気風だ。今は干ばつが酷く荒れているが、本来ならここよりも気候調整する必要がない、住みやすい場所だ。ノアでも充分コントロールできるはず。豊かで素敵な国だよ」


 グレシャー帝国は国土を広げすぎた。そのしわ寄せを何年も何世代も王家だけが背負ってきた。もう、十分だろう。


「母様が育った国に、行ってみたい!」

 小さな皇子は、きらきらとした目をオリバーに向けた。

「ノアは風を操れるから、行けば歓迎される」


「だったらぼく、カルディア王国の王様になる! そしたら、グレシャー帝国とカルディア王国はケンカしないでいいよね?」

 オリバーは目を見開いた。


「ノアには、カルディア王国王家の血が半分流れている。確かに、王になれる」

 それに、ノアには王になる器がある。

 カルディア王国は、魔力がある者順に王位継承権が与えられるが、今、あの国に魔力持ちの王族はいない。

 

「行きたいなら止めないが、カルディア王国に行くのはもうすこし、情勢が落ち着いてからだ。それまではここで学べ」

 ビアンカの後ろ盾だけではまだ心許ない。半分敵国の血が流れる幼いノアでは王族や貴族の傀儡になるだけだ。


「おまえたちを自由にするのはずっと先だ。今はまず、ルシアを自由にする」

 オリバーは手を伸ばし、くらい横穴をランタンで照らした。


「こんな暗くて寂しい場所から早く彼女を、連れ戻したい」

 オリバーは闇の中へ躊躇なく足を踏み入れた。その後ろをノアがぴったりとついてきた。


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