第111話 二人で描く楽園


 氷の宮殿の外に出ると、青い空の下、花びらのように雪が舞っていた。

 侍従たちは作業の手を止めて、ミーシャとリアムを見送るために、整列して待っている。

 たくさんの侍女たちの中に、ミーシャはユナとサシャを見つけた。


「リアム、二人に挨拶してきてもいい?」

「いいよ。行っておいで。俺も準備をしてくる」

 リアムの傍を一端離れ、ミーシャは二人の元へ向かった。


「ミーシャ様。お荷物の準備は整っております。どうか、お気をつけて」

「無事のお帰りを、心よりお祈りしております」

 ミーシャは二人の手を取った。

「ありがとう。留守をお願いしますね」と伝えると、二人は深く頭を下げた。

 最近侍女が増えたミーシャは、新人たちにも挨拶されて、一人一人に声をかける。


「旅は十日間の日程らしいですわね。婚前旅行なのでしょう? もっとフルラ国にごゆっくりしていらしたら?」

「ナターシャさま?」

 見送りにはナターシャも来てくれていて、ミーシャは驚いたが嬉しかった。


「我が家には貴族だけじゃなく、商人も出入りするの。街は今、あなたが人々を救ったという噂で持ちきりらしいわよ。魔女『ミーシャ』はやさしいだけじゃなく、美人で魅惑的。妖艶で可憐だとか……」


 ミーシャが魔女クレアの生まれ変わりだということは、世間一般には知られていない。氷の宮殿に使える侍従たちも知らない者がほとんどだ。知るのはナターシャやライリー、リアムの重臣たちのごく一部だけ。

 みんな、魔女ミーシャを認め、慕っている。


 ナターシャは「妖艶で可憐……?」と首を傾げ、ミーシャを上から下まで無遠慮に見たあと、憐れむような目を向けた。

「噂が本当になるように、頑張って。私で良ければ、協力は惜しまなくてよ?」

「自分のため、陛下のためにも、努力します。帰ってきたらぜひ、ご指導くださいませ」

 ミーシャがにこりと笑うと、ナターシャは安心したように顔を綻ばせた。


「ミーシャ様。凍っていた陛下の氷を溶かしてくれてありがとう。……幸せになってくださいね」


「こら! なんでここに、ナターシャがいる!」

「あら嫌だ。空気が読めないお邪魔虫が来たわ」

 ミーシャたちに近寄ってきたのはジーンとミーシャの侍女、ライリーだった。


「おまえ、アルベルトの当主は俺だぞ。もっと敬え!」

 ナターシャはジーンに冷たい目を向けると、ツンと顔を横に逸らした。

 最近、彼女は良家との縁組みに積極的だというが、うまく纏まらず難航しているらしい。ナターシャを妻にと望む求婚者が多すぎて。

 今はミーシャと過ごす時間もあるが、氷の宮殿の修繕が済み、国が安定するといずれ、ナターシャも家を出ていくだろう。


「ナターシャ様と離れるの、さみしいわ」

「……陛下より、私が恋しいのですね。だったら、しかたありません。すぐに帰ってきてくださいませ」

 ミーシャはナターシャとそっと抱きしめた。

「ナターシャ様も幸せになってください。……お祈りしております」

 ナターシャは「もちろん、幸せになるわ」と力強く答え、ミーシャを抱きしめ返してくれた。


「馬車の前に陛下がお待ちです」

「馬車……」

 ナターシャや侍女たちに別れの挨拶を済ませ、ジーンのあとをついて行く。ミーシャは、彼にだけ聞こえるようにそっと、その背に問いかけた。


「あの。同じ馬車に、ジーン様もご乗車しますよね?」

 ジーンは立ち止まり、半身振り返ると丁寧に答えた。


「これからミーシャ様がご利用される馬車は、皇帝陛下と皇后陛下専用の馬車でございます。陛下とお二人だけで乗っていただきます」


 ――煽るだけ煽っておいて、お預けか。


 先ほどリアムに言われた言葉が頭を過ぎり、勝手に顔が熱くなる。

「二人きりの個室は、危険です」

「はい……? 危険?」

 ジーンは不思議な物を見るような目でミーシャを見つめ、首を傾げた。


「隣国含め最強のお二人です。敵が襲ってきても瞬殺で返り討ちでしょう? どこにも危険などございません」

「そ、うですね」


「ミーシャ様。馬車がご心配なら、単騎に二人乗りして駆けるのはいかがですか?」

 ミーシャはライリーに笑みを向けた。

「そうね。それ良いわ。ありがとうライリー!」

 何かを察知したらしい侍女に感謝した。ライリーはいつもと変わらず優しい眼差しをミーシャに向けると口を開いた。


「ミーシャさま。この国へ来る馬車の中で私とした話を、覚えておられますか?」

「覚えているわ。陛下の病を治し、すぐにフルラへ帰るとあなたと約束をした。なのに、帰国の期間が数日と短くなってしまって、ごめんなさい」


 ライリーは笑顔を保ったまま首を小さく、横に振った。

「私との約束を守って頂き、ありがとうございます。私はミーシャ様がいるところ、どこへでもついて行きます」


 悪い魔女と言われる隣国についてくるのはとても心細かったはずだ。それでも彼女はいつでもミーシャの味方をしてくれた。励まし、何度も助けてくれた。

「今の私があるのはライリーのおかげよ。ありがとう。これからも、どうぞ宜しくね」

「私はミーシャ様の傍にいるのが生きがいなのです。こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。これからも尽くさせて頂きますね、ミーシャ様」

 ミーシャは幼なじみで、誰よりも信用している侍女をぎゅっと抱きしめた。



「馬車じゃなく、単騎で行く? それなら、炎の鳥で飛んで行くのが速いと思うが」

 さっそく、二人で馬に乗りたいと提案したが、リアムは難色を示した。


「空を飛ぶのではなく、グレシャー帝国の雪原を馬で駆けてみたいの。リアムと二人で。駄目、かな?」

 リアムはじっとミーシャを見つめた。

 ……まさか、馬車で二人きりになるのを避けているって、ばれたかしら?


「俺と馬に乗りたいか。しかたないな」

 リアムは明らかにしぶしぶといった顔で、折れてくれた。


「お二人とも、単騎で行くのは国境までですよー。フルラ国に入ったら大人しく馬車に収まってください」

「我が寵姫が、それを望んだらな」

 ミーシャはリアムに促され、先に馬に乗った。そのあとに彼が軽やかに飛び乗る。

 愛馬の馬首を一度、みんなに向けた。


「これからフルラ国に向かう。しばらく氷の宮殿の留守を頼む」

 リアムが声を張ると、その場にいるすべての者が一斉に臣下の礼をした。ミーシャは恭しく頭を下げたままのみんなに向かって「行ってきます!」と声をかけた。


「皇帝陛下。そして……皇后陛下。行ってらっしゃいませ。お気をつけて!」

「……私、まだ皇后じゃ、わあっ!?」


 リアムは手綱を強く握り、馬を操作して駆け出す。

 ミーシャは体制を整えると振り返り、笑顔で見送るみんなに手を振った。


 後続を置き去りにして、どこまでも白い世界を風を切って走る。馬の蹄でさらさらで柔らかい白い雪が空に舞う。きらきらと輝き、とてもきれいだ。


 ふと真横に大きな白い塊が現れた。白狼だ。一緒に並走して走る。

「ミーシャ、寒くないか? もっとしっかり捕まって」

「大丈夫」

 ミーシャは指輪がある左手を持ち上げ、空にかざした。天の果てから炎の鳥が現れ、自分たちのそばに舞い降りる。照らす太陽のように朱い光を放ちながら気持ちよさそうに、自由に飛んでいる。

 

 しばらく進むと、目の前に大きな流氷の結界が見えてきた。そこでリアムは馬の足を止めた。

 どうしたのだろうかと振り返ると、リアムはミーシャの顎に触れそっと、唇を重ねた。

 触れた場所から熱が灯っていく。周りには誰もいない。リアムと二人きりだ。

 ……きっと、リアムを必要以上に意識して、顔が赤くなってる。

 ミーシャは恥ずかしくて、彼から顔を逸らした。

「流氷の結界を渡って、先に進まないの?」

「ジーンたちを引き離しすぎだ。後ろが追いつくまで、ここで待つ」


 子供が欲しいと散々言っておきながら、その実、まだ心の準備は整っていない。

 リアムと目を合せることができなくて、前を向く。


「初めて流氷の結界を見たとき、とてもきれいでびっくりしたの。侵入者を容赦なく凍らせる結界だと思うと怖かった。同時に、尋常じゃない量の魔力の消費に不安になった。リアムの身体がますます心配になって、落ち着かなかった」


 リアムはくすっと小さく笑った。

「おかげで俺は、ミーシャとオリバー二人に、結界を解けと散々言われた」

 今度はミーシャがくすりと笑った。

「ねえ、リアム見て。ずいぶん南下したはずなのに、まだ息が白い……」

 

 陽に照らされた粉雪が、煌めきながら静かに舞っている。

 ミーシャは、ひんやりとした風の中、雪を追いかけて手を伸ばす。すると、その手をリアムはそっと掴み、指を絡めた。


 この地に来たときは逃げられ、触れられなかった雪の結晶が今、この手にある。

 それが嬉しくて、泣きそうになった。ミーシャは振り返り、愛しい人を見つめた。


「フルラ国の最南端は海なの」

 ミーシャはリアムの頬に手を伸ばした。


「空を溶かしたみたいに碧い色をしているわ。リアムの瞳の色みたいに透き通っていて、とてもきれいよ。あなたに見せたい」

「わかった。見に行こう」

「約束ね」

「二人で色んな物を一緒に見て、経験していこう」

 

 二人の間に約束が増えていく。それはお互いを縛るためのものではなく、結束を強める絆だ。これからも、お互いを想い合い、途切れることなく大切に紡いでいく。


 雪と氷の精霊獣『白狼』が、蒼玉色サファイアに発光する流氷の結界を飛び越え、渡っていく。


 復活を司る精霊獣『炎の鳥』は、ミーシャの横を勢いよくすり抜けた。細氷が煌めく中、優雅に羽ばたき、風渡る空に舞い上がる。


「絵本で見た楽園に入り込んだみたい」

「幼いころ、初めてフルラ国を見たとき俺もそう思った」


 お互いの存在を確かめるように手を強く繋ぐ。顔を寄せ合い、視線は前に向けた。


 銀色に輝く雪原を楽しそうに駆ける白狼と、青い空を自由に舞い続ける炎の鳥を、ミーシャとリアムはいつまでも愛しむように、眺め続けた。




゚・* .❆ fine.❆ * ・゚

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